第56話:復讐

「――ごきげんようカオカオ・ア、諸君」

 握りつぶされた矢が、閲兵観覧席テラスの床に落ちて乾いた音を立てた。

「サイファ……!」

 イェンがうなる。

 兵士たちが見守る中、閲兵観覧席テラスの背景が蜃気楼のようにゆらめいた。ゆらめきは蒸気のように激しくなると、潰えた。

 潰えたときにはもう、サイファがそこにいた。

 怪物じみた黒い体色に、爬虫類のごとくぎらついた金色の瞳。

 見間違うはずなどなかった。

 サイファの両脇には、フードを目深にかぶった従者が控えている。ローブからはみ出す長いかぎ爪に、黄色く輝く瞳が、従者達の異質さを物語っていた。

 サイファを含め敵は三人。

 ロイの言葉は当たった。

「やぁ、諸君」

 もったいぶっただみ声で、サイファは閲兵観覧席テラスの下にいるヒスイたちへ呼びかける。相変わらずガラスの容器を被っているせいで、声は不気味にくぐもって聞こえた。

「よくぞ我が宮殿へ参られた。いきなり矢を放つとはずいぶんなご挨拶だが、まぁいいだろう。道中はさぞかし苦労したに違いあるまい」

「……“我が宮殿”、じゃと?!」

 イェンが青筋をたててどなる。

「よくもまあいけしゃあしゃあと! お前みたいなゲドウの居座る場所じゃないわ!」

「アァ、そうカッカとするな国従」

 イェンに比べ、サイファの態度は対照的だった。閲兵観覧席テラスの縁までより、くつろいだ姿勢をとる。

「遅かれ早かれ、いずれ私のものになる……」

 口元は皮肉げに歪んでいたが、声色は冷え切っていた。サイファの金色の瞳がせわしなく動く。

「本来ならば主賓のために、下まで出迎えるのがあるじの務め。だが何せ主賓殿はご無沙汰。ここでの拝謁を失礼してもらいたい」

 口を動かす最中、サイファの視線がエバのいる方角で止まった。エバが身を硬くしているのを、ヒスイは間近で感じ取る。透明マント越しに、ヒスイはエバの手に自らの指を添えた。

「構いません、サイファ」

 ジスモンダが身を乗り出すようにして、朗々とサイファに言い放つ。

「貴女の手を煩わせずとも、我々からそちらへ、すぐにでもうかがう予定です」

「ハハッ――! この期に及んで冗談がすぎる」

 サイファ自身の笑い声で、ガラスの容器が曇った。エバからサイファが目を離す。

「貴様らはここで、この広場でくたばるのがお似合いだ。主は私だ。誰が主賓で誰が外野なのかは、この私が決めること。もっとも――すでに小鼠どもがうろちょろしていたようだがね?」

「主賓が居られないのに、外野は決めるのですか?」

「あァハハハ、ジスモンダ」

 サイファがあざけるようにかん高く笑う。

「――私がいつまでもいい顔をしていると思うな……!」

 その声は今までにも増して真剣な口調だった。サイファの態度が、このときばかりは熱気を帯びていた。ヒスイは思わず、ジスモンダを見つめる。

 お面越しに、ジスモンダは目を細めていた。

(……笑っている?)

 ヒスイにはそのようにしか見えなかった。どうしてジスモンダは笑っているのだろうか。何か奥の手があるのか、それとも虚勢をはっているのか。

「ヒスイ……」

 か細い声で、エバがヒスイに声を掛ける。うかつに答えるわけにもいかず、ヒスイはエバの指を叩いて合図した。

 口元に手を当て、エバは咳をするそぶりをしていた。口の動きをサイファに悟らせまいとする工夫だろう。

「ねぇ……ウソだったらウソって言ってね……?」

 エバの声は震えている。

「セフは……どこにいるの?」

 言われて初めて、ヒスイも大きな事実を悟った。

 セフがいない。少なくとも、ヒスイの視界の範囲にはどこにもいない。とっさに見渡したくなる衝動をおさえ、ヒスイは緩慢に周囲を盗み見る。しかし背後にいる気配もなかった。

(いなくなった?)

 必死にヒスイは記憶を辿った。ロイと会話をしているとき、セフは確かにいた。イェンと合流する際も、エバと一緒にいた。今歩いているときだってセフの姿を見た。――サイファが現れたとき、そう、まさに今このとき、セフはこの場から消えたのだ。

(捕まったのか?)

 サイファの脇に控える従者たちをヒスイは見た。だが彼らは黙して佇むだけで、何かを行ったそぶりはない。第一どうやって捕まえるというのだろう? セフだって抵抗できるだろうし、兵士たちが居る中でそんなことをしたら、必ず分かるはずだ。

 そうなると、考えられる結論は一つしかない。

 セフは人目を忍び、自らいなくなったのだ。

 サイファのいる閲兵観覧席テラスまで、ヒスイは視線を走らせる。よく目を凝らせば、閲兵観覧席テラスの脇から広場まで、長い階段と回廊が張り巡らされている。

 ヒスイの直感が答えを導き出した。

 セフはサイファを、直接狙っているのだ。

(どうする……?)

 ヒスイの思考が、一気に加速する。セフを止めるか……?

 いや、違う!

「――ここに“竜の娘”がいるな?」

 サイファの言葉が、ヒスイの思考にくさびを打った。

「……“竜の娘”?」

「主賓である予章緋睡ヨショウヒスイ殿だ」

 侮蔑的な視線を、サイファはジスモンダへ向けて投げかける。

「お前達がどこかへ隠したのではないかと私は睨んでいる。本当はここにいるんだろう?」

「では……当ててみたらいかがでしょう?」

 嫌味の混ざった口調で、ジスモンダが答える。

 ヒスイはそっと、自らの銃に手をかける。

 セフの居場所は分からない。だが物陰に隠れ、サイファの隙をうかがっているのだろう。

 そんなセフを、ヒスイが援護するのだ。セフを信じるしかなかった。

「当てるだと? ハッ!」

 サイファが忌々しげに吐き捨てる。それから自嘲気味にため息を漏らすと、何がおかしいのか、肩を震わせて笑い始めた。

「フフフ……当てるまでもない。これから炙あぶりだしてやる。……国従猖、君は皮肉の分かる人間ではないはずだが、それにしてはさっきからやけに大人しいな?」

「ここにヒスイはおらん!」

 イェンが声を荒げ、金棒を地面に撞いた。広間全体が震える。

「他にもっと言っていいことがあるはずだ。君みたいな人外を頼らなくてはならぬほど、竜の娘はひ弱だというのにかね?」

「――言いたいことはそれだけかの? ん?」

 腰に手を当て、イェンが不敵に微笑んでみせる。

 銃把を握り締める寸前、ヒスイは素手のままの右手を、銃に添えた。

泰日楼テイロスでもそうだったように、また逃げるつもりかの?」

 銃の鼓動が、ヒスイに伝わる。それはヒスイの鼓動と同じ波長だった。

 ここは戦場。

「アァ、ハ、ハ、ハ、ハ、ハ……」

 ひとしきり笑い終えると、サイファは唇を引き結んだ。

 ヒスイは撃鉄をあげる。

「……よろしい。私も茶番に飽きてきた。そこまで言うのなら、隠れおおせている主賓殿を炙りだすとしよう。さあ諸君、叡覧したまえ、この――」

 サイファが左の拳を振りかざした。

(今だ!)

 ヒスイは左手を伸ばす。銃口とサイファの拳が一直線に重なる。右手で自らのマントを掴むと、それを脱ぎ捨てた。

「ヒスイ!」

 エバが驚愕の声を発した。風にマントがひるがえる。兵士たちの視線が、仲間の視線が、ヒスイに集中する。

 拳を振りかざしたまま、サイファがヒスイの方を振り向く。見開かれるサイファの瞳、その中にきっと自分が映っているはず――、

 ヒスイは確信していた。

 銃声。しかし、サイファの動きは素早かった。とっさに屈んだために、銃撃は宮殿の壁を穿つにとどまる。

「何だ、今のは?!」

 兵士の一人が声をあげた。


 サイファにできた一瞬の隙――それを“セフも”見逃さなかった。

 長刀を抜き放ち、セフは閲兵観覧席テラスへ躍り出る。

 窮地を知った従者の一人が、とっさにその長刀を掴む。

 だが、それもセフの思惑通りだった。すぐさま長刀を手放すと、セフは機敏に従者の脇をすり抜ける。

 セフの左手にはもう、氷霜剣が握られている。

 サイファとセフの間、もう一人の従者がそこに割って入ろうとした。ヒスイはそこへ銃撃を叩き込む。銃声! 頭へ銃撃を喰らった従者はひるみ、よろめく。ヒスイが考える以上に、従者は堅い。

 だが、セフには充分すぎるチャンスだった。

「貴様――!」

 サイファが声を荒げる。逆手に握った氷霜剣で、セフはサイファに切りかかる。サイファは手を伸ばし、その刃を握り締める。

 寺院のときと同じく、刃を握りつぶすつもりなのだ。

「喰らえ――!!」

「なっ?!」

 しかしサイファを刺したのは、氷霜剣ではなかった。右手に握り締めていた何かを、セフはサイファの胸部にねじ込む。

 長刀をねじり捨てた従者が、セフを掴んで閲兵観覧席テラスの外へ放り投げる。必死にサイファに食い下がっていたセフも、従者の怪力の前には適わない。

「あっ……!」

 声を出したときにはもう、セフの身体は外へ飛び出している。小柄なセフはなす術もなく宙を舞った。落下し、叩きつけられるその直前、セフの身体は何かに掬われる。

 それはロイの腕だった。


「アァ――クソッ、忌々しい……」

 苦しげに息をしながらも、サイファは両手を叩いて合図した。城壁に描かれた文様が発光すると、そこからガラガラ音の怪物が飛び出してくる。

「敵襲!」

 ジスモンダが一声を発した。半ば呆然としていた兵士たちも、その一言で我に返る。召喚されて現れた怪物たちを見据えると、兵士たちは各々の武器を構える。囲まれてはいたが、不思議と誰も恐怖を感じなかった。

 勇者の娘は生きている、――そのことを、誰もが見せつけられたからだ。


「セフ!」

 ヒスイとエバ、それにイェンが、ロイのもとまでやってくる。ロイに抱き起こされ、セフも立ち上がった。

 途方もない力で弾かれたが、セフの身体には傷ひとつなかった。

「大丈夫、大丈夫――」

 握り締めた氷霜剣を、セフは鞘へ戻す。

(氷霜剣じゃないのか)

 一部始終を見ていたヒスイも、そこまでは分からなかった。サイファに一撃を喰らわせたのは、一体なんだったのか。

「無茶をしおって!」

 イェンが怒鳴ったが、心なしか嬉しそうな様子だった。周囲では戦闘が行われている。だが熟練の兵士たちの前に、無統制の怪物たちは無力に等しかった。個別に撃破され、一時的な戦慄も収束を迎えている。

「どうなったの? もう終わり?」

 混沌の最中で、エバが訊きかえす。

「いや……」

 矢をつがえつつ、ロイが再び閲兵観覧席テラスを見据えた。

「まだ終わっちゃいない」

 ヒスイもそこへ視線をうつす。


「ハァ……なるほど」

 セフが喰らわせた一撃の“正体”を、サイファはようやく自分の胸部から引き抜いた。

 それは小さなダーツ……サイファが僧正にとどめを刺したときに用いた、銀色のダーツだった。

 セフはそれを、ずっと握り続けていた。

 サイファに復讐をするためだけに、ちっぽけなダーツを懐にしのばせていたのだ。

「いいじゃないか」

 サイファは鼻を鳴らす。

「泣かせるじゃないか、それにずいぶん叙情的だ、実に私好みの展開だ……」

 怒りを込めてそれを投げ捨てると、サイファは再び手で合図をした。セフの長刀を握りつぶした従者が、その合図を見て宮殿の奥へさがってゆく。

「忌々しい……」

「観念しなさい、サイファ」

 照準を合わせたまま、ヒスイがサイファに呼びかける。

「あなたきってのお願いだから、わざわざはるばるここまでやってきてあげたのよ? あなたにとっては、死んでくれている方が嬉しかったのでしょうけど」

「それで勝ったつもりかね、竜の娘?」

 サイファが閲兵観覧席テラスの縁に手をかけた。傷のためか、呼吸の度に肩が激しく上下している。

「これから勝つつもりよ、サイファ」

 ヒスイは撃鉄を上げた。

「それに私は“竜の娘”なんかじゃないわ」

「あァ?! ア、ハ、ハ、ハ、ハ……」

 あからさまな嘲笑だった。それがヒスイの癪に障った。

「まぁいい……どうしても勝ちたかったら、宮殿の中までおいで。私はそこで待つとしよう……待ってやるのだ。本来ならばここで君たちが死んでゆくのを見物するつもりだったが、まぁ致し方ない。不具合はいつだってつき物だ――」

 やにわに、サイファがまとっていたローブをひるがえした。それと同時に、広場全体が強い光に満ち溢れてゆく。

「なんじゃ……?!」

 思わず声を上げたイェンだったが、なす術はない。皆目をつぶり、手で顔を覆った。ガラガラ音の異形たちは光にやられ、次々に斃れてゆく。

 やがて光が収まる。涙目になりながらも、ヒスイは閲兵観覧席テラスをもう一度見た。

 サイファの姿はない。が、従者が一人取り残されていた。ヒスイの銃撃を頭に喰らった方の従者だ。やはり光にやられたのか、従者はよろめいて閲兵観覧席テラスの周縁に近づき、身を乗り出して落下する。

 皆の見つめる前で、従者は広間の床に激突した。金属を叩きつけるような、硬い音が響く。

「気をつけろ……!」

 ロイが呟いた。

「えっ?」

 成り行きを見守っていたエバが、その声に不思議そうな顔をする。

 ロイの視線はずっと、従者にそそがれていた。ヒスイも銃を構えなおし、照準を従者に合わせる。

 突如、従者の体が大きく動いた。――否、正確にはローブの裾から、太い触手のようなものが飛び出したのだ。

 のたうつ触手は鞭のようにしなると、広場の床を叩きつける。強烈な地鳴りに、ヒスイたちは後ずさる。

 ヒスイは触手を凝視してみた。触手は青い鱗に埋め尽くされ、ひれのようなものがはみ出している。国師廟で邂逅した蛟をヒスイは連想する。触手というよりはむしろ、尻尾と言った方が近い。

「あ、そんな……」

 呆然とした口調でセフが、ため息をついた。従者の体が見る見るうちに変容を来たし、広間の一画を占めかねんほどの大きさにまで成長する。ぎらついた青い鱗、金色の禍々しい瞳、鋭く白い爪、生臭い息に牙、頚椎からはみ出したような翼。

「これは――クソッ、どうやって……!」

 苦々しげに、イェンの吐き捨てる声が聞こえる。

 伝承上の怪物である、リウがそこにいた。

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