第55話:チュラ、もしくはカオカオ・ア

 気まずい沈黙が、転日宮ハルムイールの広間に垂れ込めてくる。――ヒスイたち三人にとってはそうだった。

 鳶色の瞳でヒスイを見据えたまま、ロイが近づいてくる。大振りの弓を、ロイは左肩に掲げていた。シルエットだけ見ればガキ大将とさして変わらない。しかしロイには、そうした揶揄を寄せ付けない威容がある。

「あ、えっと……ロイ」

 完全に気が動転しているのだろう。目を白黒させながら、セフが言い訳にはしった。

「その、これはちょっと違うんだ。状況がいろいろと込み入っていて――」

「お前が勇者の娘か?」

 相変わらずのぶっきらぼうな口調で、ロイはヒスイに尋ねた。セフの言葉など、まるで意に介していないようだった。

 不安そうに、エバが目配せをしてくる。エバの左手はタクトに触れていた。魔法で小細工をして、状況を打破しようとしているのかもしれなかった。

「ええ……そうよ」

 そんなエバを手で制し、ヒスイはロイに答えた。

「私が予章緋睡ヨショウヒスイ、勇者の娘――」

 ヒスイはそこで口をつぐむ。静止した時間の中で、ただ自分の心臓だけが脈打っているような錯覚にヒスイはとらわれる。

 ロイは視線を逸らさない。

 ヒスイは視線を逸らさない。

 ロイが口を開く。

「だろうな」

 しかし、それ以上のことは何も話さなかった。ヒスイの脇を通り過ぎ、ロイは翩ヘンの肉片に刺さっている矢を引き抜く。ヘンを消し飛ばすほどの威力だったというのに、矢はすこしもゆがんでいない。

「そうだ、」

 やじりについた血糊を衣の袖でぬぐうと、思い出したようにロイは背中に巻きつけたポーチから外套を取り出した。

「これ、必要だろ?」

 ヒスイに向かって、ロイは外套を投げる。受け取ってみれば、ヒスイが后来院ホウライユェンで脱ぎ捨てた透明マントだった。

「……どうしてこれを?」

 透明マントを握りしめたまま、ヒスイはロイに尋ねた。クラインの錬庵アトリエに、ロイは立ち入っていないはずだ。

「リリスの道士ダオシュからもらった。……『妹の仲間たちに渡してくれ』だとさ。――アンタがその妹だろ?」

 ロイがエバの方を見やる。ややけおされがちに、エバも返事をした。

「そうだけど……リリスは?」

道士ダオシュはイェン国従に遅れてやってくるらしい。よく分からないが、細工を仕込んでおくんだとさ」

「そうなんだ……」

「それにしても」

 礼を言う前に、唐突にロイがヒスイを見つめ口を開いた。

「それにしても、チュラだな」

「えっ……?」

「『勇者の娘』って言うぐらいだから、相当いかつい人を想像していたんだけどな」

 セリフの途中で、ロイはあくびをかみ殺した。

「思いの外チュラだ。ハイ国従が、アンタに惚れる理由もわかる」

 どう返事を返してよいのか、ヒスイには分からなかった。ロイの風情からして、からかっているのではなく、本心から言っているようだった。面と向かってそのように言われたら、どう反応するのが正解なのだろう。

 エバとセフの二人を、ヒスイは交互に見た。エバは話の脈絡がつかめずに目が点になっているし、セフはヒスイ以上に顔を真っ赤にして、しょっぱい表情をしていた。

「それは――その――ありがとう」

 今までにないおかしな返事をヒスイはする。自分まで恥ずかしくなってきたところで、正門の辺りが騒がしくなってきた。

「であえ、であえーっ!」

 怒号とともに、兵士たちが正門を突破してくる。

「ヒスイ、隠れろ」

 半ば呆然と仕掛けていた三人も、ロイの言葉で我に返った。ヒスイは渡された透明マントを被り、エバとセフは抜き足で兵士たちの脇に回りこんだ。

「?! ロイか?!」

 兵士たちの合い間から、イェンの声がしてくる。周囲をかこっていた兵士たちが、脇へ静かに退く。他の兵士たちが鎧を身にまとい、太刀やいしゆみで完全武装しているというのに、イェンは金棒を担いでいる以外、実に身軽な有様だった。

「ロイ、なぜ勝手に入りおった?」

 ロイのもとへよる途中、イェンは金棒で通り道に死んでいる翩を薙ないだ。金棒が金属音を発するのと、翩の亡骸が赤黒い城壁にぶち当たって土ぼこりを上げるのはほぼ同時だった。

「おおっ……」

 と、上司イェンの怪力に周囲は驚嘆のため息を漏らす。

「言うたはずじゃ、あれ先陣をきる、と。戦功を独り占めするとか、そんなたわけた理由では断じて――」

「可愛がっている生徒の安否を確かめるためだろ?」

 相変わらずの不遜な、それでいて自然な口調で、ロイはイェンの言葉を遮った。特にロイは“生徒”の語をやけに強調した。

「“生徒”?」

 初めはいぶかしげな表情をしていたイェンだったが、ヒスイのことを暗示していると理解し、顔色が変わった。

「まさか……ロイ?!」

 必死の形相で、イェンは振り返る。あちこち振り向くうちに、エバと視線が交錯した。切羽詰ったエバが愛想笑いをする一方で、イェンの目が泳ぎ始めた。

「そのな、これはな、ちょっと違うんじゃな。状況がいろいろと込み入っておってな――」

「ああ、セフからも聞いたぜ」

「海国従!」

 必死に取り繕おうとしているイェンに、後ろから兵士の一人が呼びかけた。

「……なんじゃ!」

「これは……いけない!」

 鬼気迫る声だった。その声に、全員の視線が正門にそそがれる。セフが綱を切ったはずの跳ね橋が、何か得体の知れぬ力によって急速に巻き戻され、正門を塞いだ。

「くそっ――」

 ヒスイの耳に、イェンの声が届く。そのときにはもう、イェンは金棒を担いだまま跳躍していた。圧倒的な速度と、怪力に裏打ちされた一振りが、跳ね橋に叩きつけられる。

「なっ?!」

 イェンは驚愕して目をむいた。耳をつんざくような金属音が、広場にこだまする――渾身の力を込めたイェンの金棒が、弾かれたのだ。跳ね橋が無傷のまま正門を塞ぐ。そして塞いだと同時に、眩い光を放った。反射的にヒスイは目を閉じる。まぶたの裏まで明るくなる。

「見て――!」

 光に目をくらませながらも、エバが正門を指差した。複雑な文様が、扉と化した跳ね橋に書きめぐらされている。閃光は正門から飛び立つと、複雑な軌跡を描きつつ、城壁をくまなく駆け抜けてゆく。兵士たちはどよめき、ヒスイたちもすくみ上がる。

 ――しかし、それ以上のことは起きなかった。転日宮は再び、不気味な沈黙を取り戻した。

「今のはいったい……?」

 うっとうしげに首を振りながら、イェンが呟く。

「閉じ込められたようですね」

 兵士たちの中枢から、澄んだ少女の声が届く。国璽尚書・ジスモンダの声だった。ヒスイも声のする方角に目をやる。完全武装とまではいかなかったが、ジスモンダもまた身軽そうな鎧を身につけていた。左手にはいしゆみを構え、戦乙女いくさおとめといったいでたちだった。……相変わらずお面を被っているせいで、正確な表情は分からなかったが。

「『閉じ込められた』?」

 あきれ返ったといわんばかりに、ロイが突っかかる。

「何のために? 市中の怪物は日差しに捲かれて狗斃くたばったっていうのにか?」

 ロイの言葉に、ヒスイたち三人は互いに顔を合わせる。明け方になりヘンが少なくなったのは、日差しにやられて弱ったからだったのだ。

「……総力戦を見込んでいるのかもしれません」

 ダーツをいしゆみにつがえると、ジスモンダはネジを回して弓を引き絞った。

「転日宮の中で、何かに力を注いでいるのかも」

「強烈な魔法がかかっているわ」

 ただ一人で城壁の側までよってきたエバが、門に描かれた文様をなぞって顔をしかめていた。

「解除できるかの、エバ?」

「できるけど、夜までかかる」

 エバはそう述べると、取り澄ました表情でイェンを見た。

「それぐらいだったら、サイファと最終決戦をしたほうがいい」

 その口調が、却って兵士たちの間に緊迫感をそえた。閃光が放たれた際にはどよめいていた彼らも、今は石のように静まり返っている。

「……ならば、行くしかあるまい」

「ええ、そうしましょう。総員注意を怠らず、進め!」

 ジスモンダの言葉に、兵士たちは武器を構えつつ一歩一歩転日宮へ歩みを進める。

「二人とも、こっちじゃ。……ロイ、お前もじゃ」

 隅で成り行きを見守っていたセフを、イェンが手招きした。ロイも言葉に応じて、弓を担いだまま歩みだす。


 転日宮の入り口まで、兵士たちは黙々と行進していた。戦場にふさわしくないほど、場の空気は凍り付いていた。誰も何も言葉を発しなかった。ただ恐怖に裏打ちされた冷気だけが、この領域を独裁していた。

 真っ先に、イェンが入り口へ辿り着く。閉ざされた扉に、金棒の先端を当てた。目を細めて狙い済ますと、振りかぶって一発。――残像が見えるほどの烈しい一発だった。しかしこの一撃も無様に弾かれた。

「どうして……?」

 ヒスイの隣で、エバが不思議そうに声をあげた。

「広間へ閉じ込めて……サイファは何を……?!」

 弦のうなる鋭い音が沸き起こったのは、そのときだった。ロイの一擲だ。一瞬の躊躇いも、一分の狂いもなく、ロイは城門の上に設けられた閲兵観覧席テラスに矢を放ったのだ。

 中空へ突き抜けるはずの矢が、唐突に空中で静止する。兵士たちが息を呑む音が、ヒスイの耳にまで届いた。

「三人!」

 ロイが声を大きくして、閲兵観覧席テラスを指差した。

 重力にめられたかのように、一同の前で矢は潰れてゆく。

「――ごきげんようカオカオ・ア、諸君」

 誰もいないはずの閲兵観覧席テラスから、声がした。

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