第49話:后来院(1)

 ロイとセフに続き、ヒスイとエバも先を急ぐ。ヒスイたちの肌を、熱気がなぞった。通りを何度も曲がり終え、ようやく后来院の前まで辿り着く。

「おい、開けてくれー」

 ロイが大声で呼びかけ、閉ざされた門を叩いた。セフは所在無く周囲と、空を見渡している。空を飛び交う、ヘンの群れが気になるようだった。

「頼むぜー。こっちは二人とも丸腰なんだ」

「だから私は――」

 セフが食ってかかる前に、鉄扉の向こう側から兵士の声がした。

ロイ? ロイか?! ダメだ! こっちから入るとまずい。脇に階段があるだろ? そこから通れ」

 声は切迫していた。

「急ぐんだ! このままここにいたら翩の餌食だぞ!」

「ああ、分かってるよ。了解リャオジエ了解リャオジエ

 肩をすくめ、ロイは応答する。状況の切迫した様子に比べ、ロイのこの呑気のんきさは何なのだろうか。ロイとセフの二人は、指示に従って階段を下る。足音をひそめつつ、ヒスイとエバもその後ろに続いた。

 細長く、薄暗い階段を下った先に、小さな扉があった。ロイを含め、四人がその中に入る。

「うぃーっす」

「ロイ!」

「大丈夫か? 無事か!」

 通路には数名、兵士達が待機していた。無事そうな者もいれば、手負いの者もいた。しかし彼らは全員、ロイを見るやいなや駆け寄ってくる。ロイは兵士達の界隈かいわいでも、結構な有名人のようだ。

「俺は全然平気だ」

 ロイの周りでしつこく、兵士たちは安否を確認してくる。適度にそれをいなしながら、ロイは通路を進んでゆく。

「この先に広間があるのよ」

 ヒスイの隣で、透明マントを被っているエバが囁いた。なるほどエバの言うとおり、通路の先には巨大な堂がある。長いすが即席のベット代わりとなり、負傷した兵士達が寝ていた。みな襲撃に不安げな様子だったが、やはりロイを見かけると安堵の表情を浮かべた。

「ロイ、お前無事だったのか!」

 若い兵士が一人、ロイのもとへ駆け寄ってきた。彼は頭を打ち付けたらしい。手に巻きつけた包帯で、傷口を押さえていた。

「当たり前だろ。こんなところで狗斃くたばってたまるか」

「あのう……」

「ん?」

 完全に機を逸しかけていたセフが、おずおずと二人の会話に入り込んだ。若い兵士が、不思議そうにセフを見やった。

「この子はどうした、生存者か?」

「いや、それがな……」

「おい!」

 ロイが話を始めようとすると、すさまじい声が講堂に響き渡った。ヒスイは背筋を震わせる。見れば、兵士達のうちでも年長の人物がロイへ歩み寄ってきていた。あの緑の帯を締めた、壮年の男性だ。

 ロイは落ち着き払って敬礼してみせる。どうやらロイの上官に当たる人物のようだ。

「ロイ、今の今までどこに行っていたんだ! 『総員退避』と確かに言ったはずだぞ!」

「いやー?」

 妙にすっとぼけた口調で、ロイは後ろに控えていたセフを見つめた。相手の男がセフを睨みつける。セフはしゃちほこばった。

「ここにいるセフって奴とバオ (デート)してました」

……

 ものすごい沈黙。

……

「へえっ?!」

 他ならぬセフが、真っ先に素っ頓狂な声を上げた。みるみるうちに、顔が真っ赤になってゆく。

「へええっっ? へえ……ふえぇぇーーーッ?!!!!!!」

 ふえぇぇーーーッ、の部分が講堂にこだました。

 ヒューッ、と誰かが口笛を吹いて二人を煽る。セフは完全に、ロイのダシにされたのだ。信じられない、といった感じで、セフは口を開け閉めする。窒息しかけた鯉のようなセフの様子に耐えかねたのか、エバの吹き出す声がヒスイにも届いた。

「“そんなこと”よりもですね、サイ督尉」

 「そんなこと」をことさら強調して、ロイは仰け反っている上司と話を進める。

「少々、大切なお話があります。ジスモンダ閣下と、ハイ国従にお会いしたいのですか」

 先ほどまでと違い、ロイは真面目な口調だった。おおよその見当はつく。もっぱら、ヒスイのことについて、ロイは二人に問いただすのだろう。

(先に二人に会わないと)

 ヒスイは焦った。

「そうか、そうか。分かった」

 崔と呼ばれた督尉は二つ返事で頷くと、そのままもと来た階段を駆け上がっていった。ロイの無邪気な振る舞いに、この上司も手を焼いているに違いない。

――……

「ふうー居なくなったぜ……」

 額の汗を拭いながら、ロイが満足げに呟いた。

「な、な、何なんですかいきなり?!」

 上ずった声で、セフがロイに詰め寄る。目尻の辺りに、うっすらと涙が浮かんでいた。

「いいだろ、別に」

「や、やっぱり私をなじっておられるのですね?!」

「まさか」

 散々コケにされておきながら、それでもセフはロイに敬語を使っている。セフの真面目さはいじらしいくらいだ。しかしそのせいで、かえってロイに足元を見られているのだろう。

「それじゃ、俺は用事があるからな」

 飄々とした風体で、ロイは身をひるがえす。

「またいつかバオの続きしようぜ」

「ふぅうっ――ッ!」

 猫のようなうなり声をあげたっきり、セフは黙ってうつむいてしまった。本当は

「ふざけるなーッ!」

 と叫びたかったのだろう。あいにく周囲の状況がそうさせなかったのである。周囲の兵士は取り乱しているセフの様子が面白かったのか、肩を震わせてさりげなく笑っていた。

――……

「ねぇ、エバ」

 透明マントのフードからそっと口を覗かせ、ヒスイはエバに囁いた。

「イェンさんたち、どこにいるかしら?」

「え? あぁ……」

 鼻を啜って、軽く咳き込みながら、エバが返事する。今しがたまで、エバは笑いを堪えるのに必死だったらしい。囁きを聞きつけて寄ってきたセフも、透明マントの裾からのぞいたエバの歪んだ口先を見て、憮然とした表情をする。

「とりあえず、とりあえず行きましょう……。さっきのサイ督尉って人は二階へ上がったから、その後についていけば……」

 いつ噴き出してもおかしくないようなエバの声に、セフは歯軋りしていた。

 イェンたちの居場所は、あっけなく分かった。サイ督尉がかしこまって、あたふたと二階にある部屋の一つから抜け出てきたからである。

「失礼します……」

 周囲に人がいないことをよく確かめてから、ヒスイたちはドアをくぐった。

「ヒスイ! ヒスイか? ああ、好かった」

 とっさに振り向いたイェンも、ヒスイたちの顔をみて安堵の息をつく。マントを脱ぎ捨ててヒスイが近づくと、イェンもヒスイの側に駆け寄り、ヒスイの項から後頭部までを撫でた。気恥ずかしい思いもあったが、今はなぜか安心できた。

「大丈夫か、ヒスイ? ……すまぬ、サイファめの夜襲じゃ。ヘンの群れにかかずらううちに、手薄だった拠点を狙われてしまったのじゃ」

「大丈夫よ、私たちは」

 ヒスイははにかんでそう答える。

「イェンさん、これから私たちはどうなるの?」

 ヒスイの質問に、イェンは険しい表情を作る。

「体勢が直り次第、転日宮へ向かいたい。じゃが、正門が開かぬのじゃ。兵士達は充分に居るが、正門から行けぬかぎり、まとまった数では進入できぬからの」

「そうなんだ……ジスモンダは?」

「となりの部屋におる」

 イェンは顎で、隣へと通じる扉を示した。

「あの、ガラガラと鳴る奇妙な化け物にやられてのう」

「大丈夫なんですか?」

「あまり無理はできん、今は隣で休ませておる」

 話を聞き終えると、ヒスイはさっと部屋全体を見渡してみた。部屋は奥行きの狭さのわりに天井が遠い。壁の隅々には書架が張り巡らされ、巻物が所狭しと積んであった。きっと、書庫かなにかなのだろう。別世界に迷い込んだかのような錯覚に、ヒスイは気圧けおされる思いがした。

「あーっ、面白かった!」

 マントを脱ぎ捨てたエバが、開口一番にそう叫んだ。セフはそんなエバを恨めしそうに見つめると、歯を食いしばっている。

「なんじゃセフ?」

 ただならぬセフの様子に、イェンも席を立って首をひねった。セフはまだ憤懣やるかたないのか、イェンまでにもいかつい視線を送る。

「ろ、ろろろ」

「ろ?」

 イェンが眉をひそめる。「“ろ”……ナニじゃ?」

「ろろろ、ろろろろろ、ロイ、って奴がッ! 私――私を――私のことを――ッ!」

 “ロイ”という単語に、イェンが肩をすくめてみせる。ということは、イェンもまたロイのことを知っているのだろう。言葉がしどろもどろになっているセフを差し置き、イェンはヒスイとエバを交互に見つめた。

「それがですね――」

 エバがさも面白そうに、一部始終をイェンに語る。

――……

「まぁ、あやつらしいものじゃな」

 一通り話を聞き終えると、唇の端に笑みを浮かべながら、イェンは何度も頷いた。

伊達だて男じゃからの、アイツは。――セフ、もしかして泣いておるのか?」

 もしかしなくとも、セフはぼろぼろと泣いていた。

(そんなに悔しかったのか)

 ヒスイはエバとお互いに微苦笑しあった。

「今度会ったら……今度会ったら……ぶった切ってやる!」

 セフの口から「ぶった切る」なんて言葉が出てくるとは、ヒスイにも予想外だった。思わず笑いかけたが、恨めしそうにヒスイを見つめてくるセフを見つけて、ヒスイも視線をそらした。

「いやセフ、お前さんじゃあやつには敵わんぞ?」

「どうしてですかッ?!」

 いつにない剣幕で、セフがイェンに食ってかかる。さすがのイェンも少しのけ反った。

「いや……どうにもこうにも、ロイは国従の息子じゃからのう」

「あーっ、そうだ、そうだわ」

 合点がいったとばかりに、エバが指を鳴らす。

「そうだそうだ、どうりで聞いたことがあるわけだ。なんて珍しい名字だから、忘れるはずないと思ってたんだけど」

「さようじゃ」

 イェンも頷いてみせる。

「あやつは国従・秋空シスコの息子じゃ。弓に秀でた武芸者じゃが、剣の腕も相当たつでな。今のセフでは、あやつの剣戟を何とかかわすのでやっとじゃろう」

 セフは不満げに鼻を鳴らした。が、それ以上は何も言わない。怪物に対峙した際、ロイが放った刃の一閃は、確かに見事なものだった。それ以外の所作ですら、当のセフまでもが「すごい」と呟いたほどなのだ。男女の差をさしおいても、今のセフではロイに敵かなわない。

「……世の中、リフジンだ」

 搾り出すようにしてセフが呟いた。ある意味では捨て台詞だった。

「まぁ、悪気はないヤツじゃ。許してやってはくれんかの?」

 イェンは籐椅子に座りなおすと、ヒスイに尋ねる。

「ところで……そのロイに姿を見られた、とな?」

「ええ……」

 ヒスイは唾を呑み込んだ。

「あのとき、ロイと目が合ったから、きっと――」

「ふーむ……」

 うなり声を上げて、イェンは腕を組んだ。

「実は今、兵士達も盛んに噂しあっておる。――体の膨れ上がった、無様な怪物がおったじゃろ? ヒスイのことを探し当てようとしている怪物じゃ」

 ヒスイにも心当たりはある。全身に歯や、乳房をつけていた怪物たちだ。グロテスクな容貌を思い出すまいと、ヒスイは頭を振った。

あれも見つけ次第、片っ端からやっつけたのじゃが。ジスモンダやリリスとも話をして……しかしじゃな、そうなると……」

 顎に手を当てて、イェンが何かを考え込む。その矢先、

「失礼します」

 と、扉の向こう側から声がした。

 ロイの声だった。

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