ロイとセフに続き、ヒスイとエバも先を急ぐ。ヒスイたちの肌を、熱気がなぞった。通りを何度も曲がり終え、ようやく后来院の前まで辿り着く。
「おい、開けてくれー」
ロイが大声で呼びかけ、閉ざされた門を叩いた。セフは所在無く周囲と、空を見渡している。空を飛び交う、翩の群れが気になるようだった。
「頼むぜー。こっちは二人とも丸腰なんだ」
「だから私は――」
セフが食ってかかる前に、鉄扉の向こう側から兵士の声がした。
「雷? ロイか?! ダメだ! こっちから入るとまずい。脇に階段があるだろ? そこから通れ」
声は切迫していた。
「急ぐんだ! このままここにいたら翩の餌食だぞ!」
「ああ、分かってるよ。了解、了解」
肩をすくめ、ロイは応答する。状況の切迫した様子に比べ、ロイのこの呑気のんきさは何なのだろうか。ロイとセフの二人は、指示に従って階段を下る。足音をひそめつつ、ヒスイとエバもその後ろに続いた。
細長く、薄暗い階段を下った先に、小さな扉があった。ロイを含め、四人がその中に入る。
「うぃーっす」
「ロイ!」
「大丈夫か? 無事か!」
通路には数名、兵士達が待機していた。無事そうな者もいれば、手負いの者もいた。しかし彼らは全員、ロイを見るやいなや駆け寄ってくる。ロイは兵士達の界隈でも、結構な有名人のようだ。
「俺は全然平気だ」
ロイの周りでしつこく、兵士たちは安否を確認してくる。適度にそれをいなしながら、ロイは通路を進んでゆく。
「この先に広間があるのよ」
ヒスイの隣で、透明マントを被っているエバが囁いた。なるほどエバの言うとおり、通路の先には巨大な堂がある。長いすが即席のベット代わりとなり、負傷した兵士達が寝ていた。みな襲撃に不安げな様子だったが、やはりロイを見かけると安堵の表情を浮かべた。
「ロイ、お前無事だったのか!」
若い兵士が一人、ロイのもとへ駆け寄ってきた。彼は頭を打ち付けたらしい。手に巻きつけた包帯で、傷口を押さえていた。
「当たり前だろ。こんなところで狗斃ばってたまるか」
「あのう……」
「ん?」
完全に機を逸しかけていたセフが、おずおずと二人の会話に入り込んだ。若い兵士が、不思議そうにセフを見やった。
「この子はどうした、生存者か?」
「いや、それがな……」
「おい!」
ロイが話を始めようとすると、すさまじい声が講堂に響き渡った。ヒスイは背筋を震わせる。見れば、兵士達のうちでも年長の人物がロイへ歩み寄ってきていた。あの緑の帯を締めた、壮年の男性だ。
ロイは落ち着き払って敬礼してみせる。どうやらロイの上官に当たる人物のようだ。
「ロイ、今の今までどこに行っていたんだ! 『総員退避』と確かに言ったはずだぞ!」
「いやー?」
妙にすっとぼけた口調で、ロイは後ろに控えていたセフを見つめた。相手の男がセフを睨みつける。セフはしゃちほこばった。
「ここにいるセフって奴と抱 (デート)してました」
……
ものすごい沈黙。
……
「へえっ?!」
他ならぬセフが、真っ先に素っ頓狂な声を上げた。みるみるうちに、顔が真っ赤になってゆく。
「へええっっ? へえ……ふえぇぇーーーッ?!!!!!!」
ふえぇぇーーーッ、の部分が講堂にこだました。
ヒューッ、と誰かが口笛を吹いて二人を煽る。セフは完全に、ロイのダシにされたのだ。信じられない、といった感じで、セフは口を開け閉めする。窒息しかけた鯉のようなセフの様子に耐えかねたのか、エバの吹き出す声がヒスイにも届いた。
「“そんなこと”よりもですね、崔督尉」
「そんなこと」をことさら強調して、ロイは仰け反っている上司と話を進める。
「少々、大切なお話があります。ジスモンダ閣下と、海国従にお会いしたいのですか」
先ほどまでと違い、ロイは真面目な口調だった。おおよその見当はつく。もっぱら、ヒスイのことについて、ロイは二人に問いただすのだろう。
(先に二人に会わないと)
ヒスイは焦った。
「そうか、そうか。分かった」
崔と呼ばれた督尉は二つ返事で頷くと、そのままもと来た階段を駆け上がっていった。ロイの無邪気な振る舞いに、この上司も手を焼いているに違いない。
――……
「ふうー居なくなったぜ……」
額の汗を拭いながら、ロイが満足げに呟いた。
「な、な、何なんですかいきなり?!」
上ずった声で、セフがロイに詰め寄る。目尻の辺りに、うっすらと涙が浮かんでいた。
「いいだろ、別に」
「や、やっぱり私をなじっておられるのですね?!」
「まさか」
散々コケにされておきながら、それでもセフはロイに敬語を使っている。セフの真面目さはいじらしいくらいだ。しかしそのせいで、かえってロイに足元を見られているのだろう。
「それじゃ、俺は用事があるからな」
飄々とした風体で、ロイは身をひるがえす。
「またいつか抱の続きしようぜ」
「ふぅうっ――ッ!」
猫のようなうなり声をあげたっきり、セフは黙ってうつむいてしまった。本当は
「ふざけるなーッ!」
と叫びたかったのだろう。あいにく周囲の状況がそうさせなかったのである。周囲の兵士は取り乱しているセフの様子が面白かったのか、肩を震わせてさりげなく笑っていた。
――……
「ねぇ、エバ」
透明マントのフードからそっと口を覗かせ、ヒスイはエバに囁いた。
「イェンさんたち、どこにいるかしら?」
「え? あぁ……」
鼻を啜って、軽く咳き込みながら、エバが返事する。今しがたまで、エバは笑いを堪えるのに必死だったらしい。囁きを聞きつけて寄ってきたセフも、透明マントの裾からのぞいたエバの歪んだ口先を見て、憮然とした表情をする。
「とりあえず、とりあえず行きましょう……。さっきの崔督尉って人は二階へ上がったから、その後についていけば……」
いつ噴き出してもおかしくないようなエバの声に、セフは歯軋りしていた。
イェンたちの居場所は、あっけなく分かった。崔督尉がかしこまって、あたふたと二階にある部屋の一つから抜け出てきたからである。
「失礼します……」
周囲に人がいないことをよく確かめてから、ヒスイたちはドアをくぐった。
「ヒスイ! ヒスイか? ああ、好かった」
とっさに振り向いたイェンも、ヒスイたちの顔をみて安堵の息をつく。マントを脱ぎ捨ててヒスイが近づくと、イェンもヒスイの側に駆け寄り、ヒスイの項から後頭部までを撫でた。気恥ずかしい思いもあったが、今はなぜか安心できた。
「大丈夫か、ヒスイ? ……すまぬ、サイファめの夜襲じゃ。翩の群れにかかずらううちに、手薄だった拠点を狙われてしまったのじゃ」
「大丈夫よ、私たちは」
ヒスイははにかんでそう答える。
「イェンさん、これから私たちはどうなるの?」
ヒスイの質問に、イェンは険しい表情を作る。
「体勢が直り次第、転日宮へ向かいたい。じゃが、正門が開かぬのじゃ。兵士達は充分に居るが、正門から行けぬかぎり、まとまった数では進入できぬからの」
「そうなんだ……ジスモンダは?」
「となりの部屋におる」
イェンは顎で、隣へと通じる扉を示した。
「あの、ガラガラと鳴る奇妙な化け物にやられてのう」
「大丈夫なんですか?」
「あまり無理はできん、今は隣で休ませておる」
話を聞き終えると、ヒスイはさっと部屋全体を見渡してみた。部屋は奥行きの狭さのわりに天井が遠い。壁の隅々には書架が張り巡らされ、巻物が所狭しと積んであった。きっと、書庫かなにかなのだろう。別世界に迷い込んだかのような錯覚に、ヒスイは気圧される思いがした。
「あーっ、面白かった!」
マントを脱ぎ捨てたエバが、開口一番にそう叫んだ。セフはそんなエバを恨めしそうに見つめると、歯を食いしばっている。
「なんじゃセフ?」
ただならぬセフの様子に、イェンも席を立って首をひねった。セフはまだ憤懣やるかたないのか、イェンまでにもいかつい視線を送る。
「ろ、ろろろ」
「ろ?」
イェンが眉をひそめる。「“ろ”……ナニじゃ?」
「ろろろ、ろろろろろ、ロイ、って奴がッ! 私――私を――私のことを――ッ!」
“ロイ”という単語に、イェンが肩をすくめてみせる。ということは、イェンもまたロイのことを知っているのだろう。言葉がしどろもどろになっているセフを差し置き、イェンはヒスイとエバを交互に見つめた。
「それがですね――」
エバがさも面白そうに、一部始終をイェンに語る。
――……
「まぁ、あやつらしいものじゃな」
一通り話を聞き終えると、唇の端に笑みを浮かべながら、イェンは何度も頷いた。
「伊達男じゃからの、アイツは。――セフ、もしかして泣いておるのか?」
もしかしなくとも、セフはぼろぼろと泣いていた。
(そんなに悔しかったのか)
ヒスイはエバとお互いに微苦笑しあった。
「今度会ったら……今度会ったら……ぶった切ってやる!」
セフの口から「ぶった切る」なんて言葉が出てくるとは、ヒスイにも予想外だった。思わず笑いかけたが、恨めしそうにヒスイを見つめてくるセフを見つけて、ヒスイも視線をそらした。
「いやセフ、お前さんじゃあやつには敵わんぞ?」
「どうしてですかッ?!」
いつにない剣幕で、セフがイェンに食ってかかる。さすがのイェンも少しのけ反った。
「いや……どうにもこうにも、ロイは国従の息子じゃからのう」
「あーっ、そうだ、そうだわ」
合点がいったとばかりに、エバが指を鳴らす。
「そうだそうだ、どうりで聞いたことがあるわけだ。陵なんて珍しい名字だから、忘れるはずないと思ってたんだけど」
「さようじゃ」
イェンも頷いてみせる。
「あやつは国従・陵秋空の息子じゃ。弓に秀でた武芸者じゃが、剣の腕も相当たつでな。今のセフでは、あやつの剣戟を何とかかわすのでやっとじゃろう」
セフは不満げに鼻を鳴らした。が、それ以上は何も言わない。怪物に対峙した際、ロイが放った刃の一閃は、確かに見事なものだった。それ以外の所作ですら、当のセフまでもが「すごい」と呟いたほどなのだ。男女の差をさしおいても、今のセフではロイに敵かなわない。
「……世の中、リフジンだ」
搾り出すようにしてセフが呟いた。ある意味では捨て台詞だった。
「まぁ、悪気はないヤツじゃ。許してやってはくれんかの?」
イェンは籐椅子に座りなおすと、ヒスイに尋ねる。
「ところで……そのロイに姿を見られた、とな?」
「ええ……」
ヒスイは唾を呑み込んだ。
「あのとき、ロイと目が合ったから、きっと――」
「ふーむ……」
うなり声を上げて、イェンは腕を組んだ。
「実は今、兵士達も盛んに噂しあっておる。――体の膨れ上がった、無様な怪物がおったじゃろ? ヒスイのことを探し当てようとしている怪物じゃ」
ヒスイにも心当たりはある。全身に歯や、乳房をつけていた怪物たちだ。グロテスクな容貌を思い出すまいと、ヒスイは頭を振った。
「妾も見つけ次第、片っ端からやっつけたのじゃが。ジスモンダやリリスとも話をして……しかしじゃな、そうなると……」
顎に手を当てて、イェンが何かを考え込む。その矢先、
「失礼します」
と、扉の向こう側から声がした。
ロイの声だった。