第48話:街道一の弓取り

 歯茎の怪人におぞけを感じながらも、ヒスイは引き金を引いた。

 至近距離にいた怪人は避けようがない。硬い音が廊下にこだます。

 しかしそれだけだった。怪物の全身にはびこる歯のエナメル質が、屈強な甲羅の役割を果たしたのだ。

「イイイイイイイ!!!!!!!」

 歯茎の怪人が奇っ怪な声をあげ、短い手をばたつかせる。金属どうしが擦れ合う不協和音を、何倍にも高めたかのような響きだった。

「イイイイ――サイファ国従からのイイイイ――、『イイイ――イイイイ――私は、イイイイイイイ!!!!!!!』」

 もんどりうちながらも、怪物は怯えたかのような足取りで逃げ出した。体格に似合わぬ敏捷な動きだった。逃げる最中にも声をあげ続けている。

「――はあっ!」

 金切り声の合間から、エバの声がする。ヒスイが振り向くと、エバのタクトから稲妻が放たれている最中だった。稲妻はしなやかに宙を駆け、怪物がばたつかせる右足の中央に命中する。右足は膨張し、熟れすぎたザクロのようにはじける。頭がおかしくなるくらいの鋭い悲鳴が上がり、三人の鼓膜を揺さぶる。

「イイイイイイイ!!!!!!!」

 左脚では巨躯を支えきれず、怪物が大袈裟に倒れ込んだ。ヒスイの視野で、怪物の体が瞬時に歪む。

「危ない!」

 セフの声がした。予兆ともいえるような腐乱臭が、強く鼻をつく。危機を直感し、ヒスイは顔を背ける。直後に爆発が起きた。爆風は廊下を駆け巡り、三人の身体は風圧で少し浮く。化け物の全身を包んでいた歯茎が周囲に飛び散り、もげた無数の歯が三人の背中に当たる。

 爆発の後に沸き起こった空虚感を、静寂が埋め尽くした。悪臭のあまり、ヒスイは口で息をする。

「うあー気持ち悪ーっ!」

 開口一番に、エバがそう言った。服と帯の合間に挟まった化け物の歯を、一心不乱に取り除いている。

「ひどい臭い」

 セフは咳き込み、涙目になっている。

「あの化け物、ヒスイのことを捜していたよ」

「化け物たち、じゃない?」

 唐突なエバの発言に、ヒスイとセフは振り向いた。ヒスイにとっても、セフにとっても、それはありがたくない事実だった。

「――他にもあれがいる、ってこと?」

「うん。……たぶんだけど」

「どうして分かるの?」

「いや、ゴメン。根拠はないんだけど、そんな気しかしないの」

 エバはくしゃみをする。

「とにかく后来院ホウライユェンまで行かないと――」

 頷こうとするヒスイを、外からの絶叫がはばんだ。とっさに身をかがめ、セフがそっと窓から上空を見た。

「|翩《ヘン」だ――」

 セフの言葉に呼応するように、空からの鳴き声が大きくなる。ヒスイはエバと顔を見合わせた。

 考えあぐねる暇は、とにかく今は無いようだった。

――……

 透明マントに身を包んで、三人は外へと飛び出す。

「向こうよ――」

 エバの声が路地に響いた。姿こそマントのせいで分からない。しかし三人は、お互いがどこにいるか何となく把握できた。

 周囲の家屋からは、火の手が上がっていた。血生臭い光景はなかったが、破壊の痕は各所に残っている。予章宮で見たあの青い泥が、壁に、地面にこびり付いていた。

 上空に舞い上がる火の粉に照らされ、空を旋回する翩の群れが見える。幾匹かが群れを離脱しては街へ降り立ち、遊撃を試みているのだ。

 ヒスイの身近で、湿った音がする。

 そちらへ目を向けてみれば、青い泥――“竜の鱗”――が“孵化”している最中だった。人間を食い潰し、蛹となり、異形へと変貌する“竜の鱗”。

「気付かれないように」

 近くにいるだろうエバとセフに向かって、ヒスイは呼びかける。それは同時に、自分を緊張から救う目的もあった。銃を左手に構えると、先導するエバの気配を頼りにヒスイは先へ進む。

 やがて向こうから声が聞こえた。

「サイファ国従からの伝言です――」

 抑揚のない平板な声だった。エバの勘は的中したのだ。ヒスイは身を硬くする。声に呼応するように、ガラガラという耳障りな音も響いてきた。いずれも、路地を抜けた先から届く音だった。

 息を殺し、ヒスイは路地から音のする方向へ抜け出した。前方は広場になっている。石畳には兵士達の遺骸が散乱し、青い泥が周囲を這っている。

 督撫邸でヒスイを襲った怪物が二匹、頭からガラガラという音を立て佇んでいる。その隣には、サイファの伝言を伝える異形が巨躯を震わせていた。

 異形の身体を埋め尽くしているのは、歯ではない。目を凝らして見れば、それらは無数の乳房だった。乳首が蕾のように膨れ上がっては、あやしげな汁を滴らせている。葡萄に脚がついているかのような見た目はひょうきんだが、ヒスイは吐き気に襲われた。

デイ (チクショウ)!」

 奥から聞こえる男の声に、ヒスイははっとする。気づかなかったが、異形の群れの中枢には生き残りがいた。ヒスイの胸が高鳴る。

 生存者は兵士の一人だった。右手に太刀をたずさえ、自らを取り囲む異形の群れを険しい目つきで見渡している。上背があり、窮地に立たされているというのに、恐怖に駆られた様子はみじんもない。

 ガラガラ異形が一匹、予備動作無しに男へ肉薄する。だが男は察知していたのだろう。鳶色の瞳を光らせ、怪物を見据える。出だしは異形が先だったが、踏み込みは男のほうが数段速かった。

 稲妻のような太刀の白い一閃と、それに続いて迸ほとばしる血の赤い一閃がヒスイの視界で交錯する。しかし、途中で太刀が肉に嵌まってしまったようだ。男はすかさず手を離すと、左手を握り締め、顎に一発。致命傷で動けない異形の歪な頭蓋が、男の拳で砕け散る。異形の身体は軽々と宙を舞い、石畳にぶち当たって動かなくなる。

「すごい」

 ヒスイの隣で、セフの声が聞こえる。

 それでも見とれている暇はなかった。乳房の異形が身体を膨らませる。男を目がけ、乳房の一つから汁が吹き出した。丸腰の男はすんでのところで横へ転がり、それをかわす。汁は石畳に飛び散ると湯気を立てた。酸を射出したのだ。

「『予章緋睡、私は転日宮ハルムイールでお前を待っている』――」

「うるせェな」

 立ち上がると、憮然とした口調で男が悪態をついた。

「もう死んでるだろうが」

 ヒスイは嫌な気持ちになった。自分が死んだことにされているのは分かっている。ただ改めて「死んでいる」言われると、居心地は相当に悪かった。

 男に焦った様子はないが、不利なのは変わらない。ヒスイは銃を構え、一発。異形の背中についている乳房が二つ、風船のように弾ける。

 しかしひるんだのは、乳房の怪人だけだった。銃声に呼応し、ガラガラ異形が飛び出してくる。猛烈な跳躍力だった。すかさず一発。狙いはわずかに反れ、頭蓋の代わりに異形の左腕が消し飛ぶ。

 飛び出した異形は防ぎきれない。発達したかぎ爪が、ヒスイに振り下ろされる。

 身をひるがえし、ヒスイは異形のかぎ爪をかわす。衣服一枚分ほどの間隔で、辛うじてヒスイは爪をかわした。爪は透明マントに食い込み、それを縦に裂く。ガラガラ異形はそれに絡めとられた格好になり、もがいた。即座にヒスイはもう一発。今度こそ頭に命中して、ガラガラ異形は倒れ伏した。

 時間にしてわずか数秒。でもヒスイには結末がわかった。

(まずい!)

 息を弾ませて、ヒスイは男を盗み見る。

 銃から吹き出る紫煙の向こう側で、男がこちらを見ている。

 その途端、ヒスイの視界が黒いもので塞がれた。――影に隠れていたセフが、自分のマントを投げたのだ。すかさずそれを掴むと、ヒスイは身を包む。

「イイイイイイイ!!!!!!!」

 乳房の怪人が絶叫を上げる。狐につままれたような表情をしていた男も、われに返った様子だった。再び乳房の怪人と真正面から対峙する。

 怪人の乳房が一つ、大きく膨らむ。また酸を飛ばしてくる算段なのだろう。

 男はすでに動いていた。一歩踏み込むと、振りかざした右脚で勢いよく石畳の破片を蹴り上げる。膨らみきった怪人の乳房に、破片が吸い込まれた。乳房ははじけ、飛ばすはずだった酸が怪物の身体に降りかかる。

「イイイイイイイ――」

 怪物の乳房が酸に腐食され、次々とはじけてゆく。歯茎の怪人のような爆発も起きず、乳房の怪人は次第に溶けて小さくなり、最後には白い水溜りになってしまった。

「いてぇーっ」

 右脚の土踏まずをさすってから、背筋を伸ばし、男は周囲を確認していた。ヒスイを捜しているそぶりだった。

 不思議そうな表情をして、男はヒスイの立っているところまで駆け寄る。

(まずい――)

 透明マントをしっかりと被り、足音を立てぬようにしてヒスイは飛びずさった。立ち止まり、再び男は周囲を見渡している。

 影に隠れているセフと、ヒスイは目配せをした。逃げるタイミングを完全に失い、セフは逡巡していた。

 やむなく、セフは男の前に飛び出する。

「おっ……あれ?」

「待って、待って。私はボウじゃない!」

 男はセフに気付いたようだが、疑問の表情は一層くっきりと男にあらわれた。身構えてから、ため息をつく。それから訝しげにセフをながめ、男はふたたび周囲を見渡した。

「その……どうかしましたか?」

「女がいなかったか?」

 納得いかない、といった様子で、男はセフに確認する。口調はぶっきらぼうだったが、力強かった。

「女? 女ですか?」

 不思議そうな顔をとりつくろって、セフは肩をすくめる。

(演技がうまいな)

 隣にいるエバと、ヒスイは顔を見合わせる。

「私のほかには、居ないと思います」

「ウソだな」

 男のセリフは、ヒスイをぞっとさせた。

「そんなに背は低くなかったぜ」

 ヒスイの隣で、エバが失笑しかけて俯く。セフは比較的小柄だが、この男に比べればたいていの女子は小柄になってしまうだろう。

 セフは表情を曇らせたが、口の端を引き結んで我慢しているようだった。

「……まさか、こんな危険な場所に人がいるわけないでしょう?」

「そうだな」

 男は鼻を鳴らすと、わざととぼけた表情を作った。

「こんな危険な場所にいる女は、相当な阿呆か腰抜けだろうな」

 ヒスイは緊張した思いでセフを見つめる。怒りを抑えようとしているのだろうが、セフは案の定完全に真顔になっていた。

「……もしかして、私をなじっておられるのですか?」

「いや、別に?」

 取り澄ました口調で、男は答える。

「とりあえず“トロい”って点では俺と同じような奴なんだろうな?」

 男はセフに同意を求めた。セフの顔が赤くなっている。明らかに憤慨している様子だった。

「――いくらなんでも、あなたの態度は失礼だと思います」

「おう、ありがとよ」

「誉めてないです!」

 軽薄な男の口調に対して、セフは声を荒げる。それから煩わしそうに頭を振った。

「とりあえず……后来院まで行かないと」

「だな」

 石畳に飛び散った肉塊を、男は草履の裏ですり潰す。

「お互いに丸腰なわけだし」

「私だって剣ぐらい使えます」

「裏に隠れていたのにか?」

「だってそれは――」

 セフは何かを言い返そうとした。しかし何を言い返すにしても、男には効果が無さそうだった。窮地にいるというのに、この男は憎たらしくなるほど飄然としていた。

「で、お前、名前は何て言うんだ?」

「わたしは……セフ珊瑚樹サンゴジュセフです」

「セフ、か。いい名前だな」

 その言葉に、セフはたじろいでいるようだった。また何か皮肉なことを言って、セフが怒るのではないか。――ヒスイも気が気ではなかったが、男の言葉には、今度ばかりは深い意味がなかったようだ。

「オレはロイだ」

 男は告げた。「ロイ

?」

 ヒスイの隣で、エバが不思議そうに呟いた。

って……どっかで聞いたような……?」

「ロイさんですね、分かりました」

 セフには、特に思い当たることはないらしい。やけに慇懃にロイに答えた。ロイにコケにされたことを、もうセフは根に持っているようだった。ロイの脇を通り過ぎて、セフはそのまま進もうとする。

「おい、セフ!」

 ロイが呼び止めた。

「なんですか?」

「そっちじゃねぇよ。こっちだ」

 セフは口をへの字に曲げるが、どうしようもなくなってロイの後へ続いた。それから心配そうに、何度も後ろを振り返る。ヒスイとエバはマントを被りなおし、セフのあとをひっそりと着いていった。

 ヒスイは心境が穏やかでなかった。

 ロイは確実に、ヒスイのことを認知したのだ。

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