第46話:ひねくれ者二人

「起きなさい、ヒスイ」

 目を開けるより早く、ヒスイの耳に声が届いた。それに続き、背中に衝撃が走る。

 痛む背中を押さえ、ヒスイは立ち上がる。ヒスイのすぐ側に、声の主が立っていた。その人物は右足のかかとを立たせ、靴の底をヒスイに見せ付けている。どうやら寝ているヒスイを、容赦なく蹴り飛ばしたようだ。

「……また、私の夢の中へ入ってきたのね」

 暗闇の中で背筋を伸ばし、ヒスイは声の主を睨んだ。二人の周囲だけがほの白いおかげで、お互いがお互いの様子を理解できた。

(それにしても、いつ眠ってしまったのだろう?)

 ヒスイは記憶を反芻してみる。ジスモンダやイェンとの協議の結果、転日京への攻勢は明後日の未明に行うと決定した。そのあと「今のうちに仮眠を取るのじゃ」とイェンに言われたのだ。ならば、今は仮眠の最中だろう。

 痛む頭を押さえつつ、ようやくあることにヒスイは気がついた。

 目の前に立っている相手は、これまでの夢に登場してきた似姿とは違っていた。お面を被っている点は一緒だ。しかしそのお面の柄からして、そもそも違っている。それはとりどりの寒色が施された、怒る鬼のお面だった。

「そうか……」

 ヒスイの頭の中で、夢とうつつとが全て繫がった。

「あの似姿――もしかして……」

「ええ、“ご明察”」

 何者かが答える。この人物もやはり少女だ。ただ、幾分か大人びた雰囲気のある声だった。肩の位置からして、ヒスイより背は少し低い。ヒスイが今までに見たこともない、なんとも形容のしがたい衣服を身に纏っていた。

 この場にもしフスが立っているとしたならば、その服が何かをすぐに答えられただろう。それは濃紺色のセーラー服である。

 だが、残念ながらヒスイは知らない。

 お面の少女は言葉を続ける。

「あなたの思っている通りよ。でも残念ね? 夢の中での記憶は、現実には引き継げないもの」

 その言葉に、ヒスイは身構える。

「……どうしてあなたがそのことを知っているの?」

 言い終わらぬうちに、ヒスイは酷い頭痛に襲われる。

「うっ……?!」

 今までの夢の中では、こんな現象はなかった。

「あらあら」

 苦痛にうめくヒスイを尻目に、お面の少女は肩をすくめた。

「いいのよ。あなたの夢なのだから。我慢せずとも、好きなだけ夢の中でもだえればいい」

 その言い方が、ヒスイのしゃくに障った。

「――質問に答えなさい」

「知っていちゃダメかしら?」

 そっけない返事をすると、その場で踊るようにお面の少女は一回転した。スカートの裾が、花びらのようにひらめく。

 なけなしの記憶を手繰り寄せ、お面の少女の言葉をヒスイは推理する。

「あのが――似姿が言っていたわ、『私の夢の中へ“誰か”に連れてこられる』って」

「うんうん、それで?」

 やけに軽いお面の少女の相槌に、ヒスイは面食らう。

「……それで、あなたがその“誰か”なのでしょう?」

「あら、凡庸ねぇ?!」

 お面の少女は指を鳴らすと、心底嬉しそうにヒスイに応じる。そのセリフから皮肉めいた印象をうけ、ヒスイはむっとする。

「凡庸ですって?」

「ええ。だってそうじゃない? “勇者の娘”なんていう非凡な肩書きを貰っているくせに、そんな誰でも考えられそうな推理をするなんて。これがあなたのセリフだから好いものの、私みたいな凡人が言ったら地獄行きよ?」

「どうしてアンタが――」

 それ以上のことを言いかけ、ヒスイは口をつぐんだ。ここが自分の夢の中であるということ以外、状況はまったく把握できない。第一、どうしてヒスイにしか知りえないようなことを、この少女は全て知っているのだろうか。

「どれ、答えてあげましょうか?」

 押し黙ったままのヒスイに、少女がとつぜん口を開いた。

「――えっ?」

「凡人の私が、非凡なあなたを推理してあげるのよ」

 腕を後ろに組むと、わざとらしく肩をいからせ、お面の少女はヒスイの周りを円を描くように歩き始める。

「うーんと、そうですねぇ。ヒスイ、あなたは今、『どうしてコイツは私のことをこんなに知っているのだろう』とか考えていたでしょう?」

 それはヒスイにとって、真っ当な推理だった。

「どうして――」

「『どうして――』」

 ヒスイの言葉を遮り、お面の少女は言葉を続ける。

「『どうして、私の考えていることが分かるの?』かしら、次の質問は?」

 お面の少女の言い草は、いちいちヒスイをいら立たせた。それでも言っていることは的確だったので、ヒスイは黙りこくるしかない。

「そうね、そのとおりよ」

 しぶしぶヒスイは答える。お面の少女は再び指を鳴らした。

――そういう率直な物言いは私の愛するところだ

 サイファのだみ声が、暗闇全体を揺らした。

「今の私も、ちょうど同じ気持ちよ。どうかしら? フフン、陳腐な言い回しね、このサイファって女も」

 それだけ口にすると、お面の少女はヒスイに背を向ける。お面の少女が何者かは結局分からない。それでもやり口だけは似姿と同じだった。

「――私の夢にやって来た目的は何?」

 ヒスイは口にせずにはいられなかった。

「うーん、そうねぇ? 答えてあげるのも好いんだけどねぇ」

 ヒスイを振り返ることもせず、お面の少女は大げさに首を傾げてみせる。お面の少女の仕草は、暇つぶしに相手をいじって楽しんでいるようだった。

 苛立ちはあったが、黙ってヒスイは見守ることにする。

 なおも考えあぐねている様子だったが、お面の少女は唐突に振り向くと、

「ねぇアナタ」

 とヒスイに訊いてきた。

「死ぬのは怖いかしら?」

 ヒスイは眉をひそめた。

「死ぬ? 私が?」

「そうよ。あなたはどう答えるのかしら?」

 言葉を口にしかけたヒスイだったが、あることをふと思い立った。

「ねぇ……非凡な推理ができるのだったら、どう? 私の頭の中を読んでみない?」

「あら」

 お面の向こう側にある、少女の表情はヒスイに分からない。しかしいくらか、このやり取りを少女は楽しんでいるようだった。

「いいわね、気が利いているじゃない。どれ……読んであげましょうか?」

 近づいてくると、お面の少女は怒りの面相をヒスイに寄せてくる。怒りをかたどった青いお面を、済ました表情でヒスイは見つめた。

「――『どう答えれば正解か?』ね……」

 ヒスイから距離をとると、たどたどしい口調で、お面の少女は答えた。

「質問に質問で返すのは禁忌タブーよ。でも私は『そうするな』とは言わなかった」

 辺りを歩き回りながら、教え諭すような調子で、お面の少女は言葉を継ぐ。

「そうね、『怖くない』なんて答えるのは最低かしら。とはいえ、『怖い』と答えるのもどうかしら? ――もっとも、怖気づいているアナタを見るのは、そそられるでしょうけれど……」

「死なないわ」

「――え?」

 ヒスイの言葉は、お面の少女にとっては不意打ちだったらしい。踵を返し、お面の少女はヒスイの方を見やった。

「死ねないもの、私。死んでいる暇なんてないわ。サイファを討つ、今はそれだけよ」

「フスって子供が死んだのに?」

「死も人生のうちよ――」

 言いおえてから、驚きのあまりヒスイは口をつぐんだ。次の言葉を続けることはできなかった。今の言葉は、限りなく正しいものだとヒスイは直観した。同時に、フスの存在が自分の深奥にぴったりと寄り添っている気がして、ヒスイは妙なこそばゆさも覚えた。

「フフフ――」

 自分自身の答えにヒスイがまごついていると、お面の少女が唐突に笑い出した。お面の少女は肩を震わせ、俯きがちに笑っている。怒りのお面を被った人物が笑っているさまは、滑稽な印象をヒスイに与えた。

「好いわね、好い答えよ。死生を超越した唯物的な答えね。好きよ、私、そういうの。でも――」

 少女の声に、初めて逡巡の色が混じった。

「なぜだろう? 同じ答えを昔、違う人間から聞いた気がする――?」

「あら、じゃあ今の答えも陳腐だったかしら?」

 ヒスイの応答に答える代わりに、浅く息をつきながら、お面の少女は言葉を続けた。

「好かったわね、ヒスイ。その答えは永久とこしえにアナタの答えよ。それこそ死んでいるうちにも、生きているうちにもね」

 ヒスイに背中を向け、暗闇の向こうへお面の少女は歩み去ろうとする。

 思わず、その背中へヒスイは問いかける。

「私は死ぬの?」

「えぇ、じきにね」

 お面の少女の答えは、天気を予想するかのように気楽な口調だった。

「ねぇアナタ、死んでから始まる物語だってあるのよ」

「それってどういう――」

 しかし、それ以上をヒスイは言えなかった。お面の少女に歩み寄ろうとしたヒスイの足は、地面を踏むことがない。

(まただ)

 そう思ったときにはもう、ヒスイの意識は夢から現実へと、果てしない落下を試みている最中だった。

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