第40話:王の眠る墓(2)

「うぅ、いたたた……」

 頭を擦りながら、エバが身を起こす。

「ヒスイ、大丈夫?!」

「えぇ、何とか」

 膝をついて呻くヒスイの鼻孔に、生臭い臭いが漂ってくる。今度はセフが、ヒスイを助け起こす番だった。

「二人とも、マズイよ。早く外へ出よう! 油が漏れてる!」

 体の痛みが、一気に醒める気がした。確かにこれは油の臭いだ。ランタンの燃料をきつくしたような臭いが、デンシャの内部に充満し始めている。

 溝に引っ掛かっているのか、デンシャは斜めに傾いている。衝撃で歪んだドアの隙間から、何とか三人は外へ這い上がる。初めにセフ、続いてヒスイ。ヒスイはエバを引き上げる際、背中越しにデンシャの床を燃料が浸しはじめているのを見た。

 三人はお互いの無事を確かめると、一先ずデンシャから離れる。

(ここが国師廟か……)

 周囲を見渡しながら、ヒスイは心の中で呟いた。

 デンシャが衝突した影響なのか、それとも元から風化していたのか、国師廟は荒れ放題だった。壁には亀裂が走り、踏みしめたガラスが弾ける。ガラスは皆、天井にあったものだろう。

「あァー、空ねぇ……」

 空を見上げ、感慨深げにエバが溜め息をつく。

「ちゃんと下天を抜けたのね、あたしたち。マァ、曇ってるけど」

 それに寒かった。垂れ込める雲は、山に特有の張り詰めた空気を国師廟にもたらしている。

 ところどころ床に穴が開いていた。長い間放置されているせいで風化し、抜け落ちたに違いない。床に開いた大きな穴を、水道橋を伝ってきた水が流れ込んでいる。

 水に足を取られぬように跳躍して、三人はその深い溝をやり過ごす。溝の下からは、轟音が響いてきた。

 幾本もの線路を横切り、三人は段差ホームの上まで辿り着いた。座り込んだヒスイは、ふと国師廟の内装が、ウテーとさして変わらないことに気づく。

「ヒスイ、ここって――」

「うん、気づいてる」

 ヒスイがそれだけ言うと、セフは黙りこんだ。

 かなり酷い衝突の仕方だったに違いない。操縦室を持つ一両目の車輌はひしゃげ、豚鼻のように潰れていた。あのまま一両目でまごついていたら、ヒスイなどひとたまりもなかっただろう。

 再び立ち上がると、溝の奥を覗こうとヒスイは近寄った。裂け目には、飛び越えられぬほど大きく広がっている箇所がある。そこに近寄れば下が容易に覗けそうだった。

 駆け寄るヒスイの眼前に、青磁色に光った水面が飛び込んでくる。どうやら、ヒスイたちが今いるのは国師廟の二階で、一階には水辺が広がっているらしい。

 二階の縁から、湖面がよく見渡せる。こぼれた燃料は既にデンシャを溢れ、水に流され、かつ反発しあいながらセンロを横切って落ちてゆく。湖面へと吸い込まれる水と油を眺め、一階と二階の間にかなり距離があることをヒスイは確かめた。

「へぇ、こうなってたんだ」

 エバが近寄り、ヒスイと同じように階下の水面を覗きこむ。不思議そうな顔をしているヒスイに対し、エバは肩をすくめてみせる。

「あたし、この町はお馴染みなのよ? ついこの前まで――といっても、一年前だけどね――あたし、この町で魔法を習っていたんだから」

「リリスお姉さんから?」

「ううん。クライン導師から直々によ」

 エバの表情には得意気な様子が見え隠れしていた。クライン導師は国従魔だった人物だ。エバの魔術の才能も、クライン導師に見込まれたものなのだろう。

「下に降りられるかなぁ?」

 やや遅れて二人に続いたセフが、膝を屈めて階下を覗きこんだ。

「そうね、階段を探してみましょう」

 三人は来た道を戻って、国師廟の二階を探索してみる。

――……

 探索すればするだけ、国師廟とウテーの地下道との共通点は増えていった。国師廟は地上にあり、ウテーは地下にある、違いはそれだけだった。

 部屋を等間隔に並んでいるからくり――“カイサツ”と呼ばれた――を抜ける際にも、三人はウテーに関して何も言わなかった。言葉を発したらそれだけ、ウテーで受けた仕打ちを思い出しそうだったからだ。

「国師廟って、国師様のお墓よね?」

 下天の記憶を追い出そうとするかのように、ヒスイはしきりに口を開いた。カイサツの向こうに続く階段を、三人は手すりに沿って慎重に降りる。階段の右側は沈下しており、水道橋からの水がそこを流れている。

「ここのどこかに、国師様が眠っている、ってこと?」

「うーん、じゃないかなぁ」

 お手上げといった口調でエバは答え、後ろに取り付けてある折り畳み式箒を伸ばした。

「誰も近づく人なんていなかったから、よく分かんないのよね」

「どうして? ここって大切な場所じゃないの?」

「何だかブキミだし、衛兵もいなかったから」

 階段は半ばから水に濡れて苔むしており、床は完全に水の中に浸かっていた。一番はじめに階下へ到達したセフが、水辺に手を浸して身震いする。それから周囲を見渡して、後からやって来たヒスイとエバに呼び掛けた。

「浅いから、向こうの足場まで渡れそうだよ……」

「『冷たいけど』、って言うのを忘れてない?」

「えっと、うん、冷たい」

 エバに言い寄られ、慌てたそぶりで鸚鵡返しに肯定するセフに、ヒスイは微笑する。

「じゃ、あたしは飛んでっちゃいますからねー」

 箒に跨がると、エバは軽々と向こう岸まで渡ってしまう。物欲しげな顔をしていたセフだったが、サンダルの紐をほどいて素足になると、おっかなびっくり壁沿いに向こう岸まで歩いてゆく。ヒスイもその後ろに続きながら、もう一度よく全体を見渡してみる。

 一階は荘厳な光景だった。絶えず供給される水のお蔭で、地面は完全な湖と化している。湖の内側は、外延と水の色がくっきりと違っている。巨大な水がめのような構造をしているのだろう。壁沿いに足場があるから良かったものの、湖の中心へ数歩でも歩き出したら、泳ぐことを試みなくてはならないはずだ。

 水道橋からの水は、ありとあらゆる経路を伝って一階へと流れ落ちている。天井の穴からは雨のように水が滴り落ち、湖は絶えずその斑紋を映し出していた。生命はどこにでも根付くものらしい。壁の亀裂の合間を縫って、草花が生えている。

「ねぇヒスイ、あれって何かな?」

 刀を頭上まで持ち上げながら、セフが顎で湖面の中央を示した。

 湖水の中央には足場が渡してあり、そこに小島がある。先程からヒスイも気になっていた所だ。穴の開いた天井から光が漏れているからか、薄暗い国師廟の中で、小島は幻想的な雰囲気を醸し出していた。

 手を差し伸べ、エバが二人を段差へ引き上げる。ブーツを一旦脱ぎ、溜まった水を逃がしながら、ヒスイはエバに提案した。

「エバ、ちょっとあそこまで行ってみない?」

「あそこ? ……あの石碑があるところ?」

「石碑? あ、ホントだ」

 三人の中で一際目のよいセフが、サンダルを履き直すついでに、小島の中央にある茂みに隠れた石碑を凝視する。

「何か書いてあるね」

「あんなところに?」

 エバは首を傾げる。

「まぁいいわ、行ってみましょうよ」

 小島までを渡す足場は、巨大な石の柱を並べて作られたものだった。国師廟の建物の一部から取り出して作ったに違いない。

「昔は水が流れていなかったのね」

 足場を器用に跳びながら、ヒスイは側に並んで箒で浮遊するエバに言った。足場を飛び越えながら島まで渡るという冒険じみた行為に、ヒスイの心はおどった。しかし足元に広がる湖は相当深い。

「そうみたいね。でも、乱暴な工事じゃない?」

 湖面に移る自分の姿を眺めながら、エバは真珠色の髪を手櫛でとかす。このエバの質問は、湖の深さを考えればしごく当然の質問だった。

「とりあえず手頃な柱をひっぺがして並べた……ってカンジよね」

「一人でやった、のかな?」

 後ろを続くセフが、足場から飛び出ているひしゃげた鉄棒を跨ぎながら二人に問いかける。

「まさか! イェンさんじゃあるまいし……」

 エバが小島に降り立った。ヒスイとセフも後に続く。

 小島の中央にある石碑は思いの外大きく、しかも薄かった。この石碑だけは特製されたのだろう。装飾は質素だったが、風化しているそぶりもなく、堂々と屹立している。周辺には、ヒスイの知らない白い花が咲き乱れていた。

 ヒスイは手を伸ばして、碑の表面についている埃を払った。そこには、

【南滄王國國師輸贏鑽御陵】

 と書いてある。

「やっぱり――」

 納得したように頷いてから、ヒスイは更に下に文字が彫られていることに気づく。そこにはこう記されていた。

【除左右百姓不可侵御陵】(関係者以外立ち入り禁止)

「何よ、無理に決まってるじゃない!」

 非難がましくエバが叫んだ。望遠鏡で覗かなければ見えないほどのところに「立ち入り禁止」と書くのはあんまりである。

 エバの理不尽に対する非難は続く。

「普通看板があったら見に行くでしょう? 花畑のど真ん中に『花壇にはいるな』とか書くわけ? てか、ここ、国師様のお墓の上ってこと?」

 エバに指摘され、ヒスイも初めて思いを至らせた。地面に突き刺さるこの石碑がそのまま墓碑ならば、今自分たちは国師の眠る地を土足で踏みにじっていることになる。

 三人は互いに、後ろめたそうな笑みをこぼした。ひんやりとした心地よい風が一瞬だけ吹き抜け、墓碑の脇に咲く白い花の花びらを散らす。

「でも、というか」

 セフが、縦に細長く刻まれた一字一字を、指でなぞる仕草をする。

「これ、イェンさんの――」

 字じゃない? とセフは言おうとしたのだろう。

 その言葉は天井より響く轟音に遮られた。三人が振り向くと、上階からはみ出していた車輌が傾きだしていた。油が盛大に湖面にこぼれ、迸る。落ちるか落ちないかの絶妙な均衡を、車輌は限界まで保っていた。しかしついに耐えられなくなり、落下する。

 銅鑼を叩きつけるような強烈な音とともに、水面が激しく波打つ。

「何、何?!」

 異変はそれだけで終わらなかった。建物全体が大きくどよめいたかと思うと、水面が沸き立つ鍋のように激しく揺れだした。

「ヒスイ!」

 セフが隣で大声を上げる。水面に目を向けたヒスイも、何が起きつつあるのか分かった。

 濁った湖底に、暗い影が忍び寄っている。

 水の中に何かがいる。

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