第39話:王の眠る墓(1)

「もしかして――」

 再び席に戻ると、エバは畳まれていた地図を広げる。食い入るように地図を見つめるエバの表情は、みるみるうちに強張ってゆく。

「ヒスイ、これ……マズイよ」

 震えた声をエバが発した。ヒスイが見たときにはもう、エバの顔色は蒼白だった。

「このデンシャ、“国師廟”に繋がってるんだ」

「コクシビョウ?」

「何で気づかなかったんだろう」

 エバは一人で泡を食っている。

「どうしよう。ていうか、もうすぐじゃない……!」

「ねぇエバ、私達にも分かるように説明してくれない?」

 セフと目配せし合いながら、ヒスイが訊ねた。

「ねぇ、ヒスイの持っていた地図を見せて」

 言われるままに、ヒスイは竜の島全図を取り出した。それを拡げ、エバはフスの地図を隣に並べる。

「ほら、ここ」

 と、エバはヒスイの地図を指差す。示された先には“希善樹里チウゼンジュリ”と記されている。

「ここと、このデンシャの終着点――同じ場所じゃない?」

 二つの地図を、ヒスイは交互に確認した。ヒスイの携帯していた地図は、フスのものより一回り大きい。しかし、両地図の示す箇所は確かに同じだった。

 もう一度、路線図と竜の島の全図をヒスイは入れ違いに見つめる。下天を抜けてすぐの地点を、竜の島全図は“水道橋”と記している。

「そうか、ここが水道橋なのね」

 エバの返事を待たずして、ヒスイは頷いた。もともとこの水道橋は、上天と下天とを繋いでいたセンロだったのだ。それが時代が下り、整備不良のまま水が這うようになってから、新たに水道橋としての役目を果たすようになったのだろう。

「じゃ、このまま行けば希善樹里まで辿り着くの?」

「着ける」

 エバは断言したあと、ためらうように付け加えた。

「着けるんだけど……あたし考えたんだ。デンシャが仕舞えるような場所が何処にあるのかなァ、って――」

「そこが、国師廟、ってこと?」

「そう!」

 ヒスイの促した答えに、食い付くようにエバは頷いた。

「絶対マズイよ! あそこ立ち入り禁止だし、それに――このデンシャどうやったら止まるわけ?」

 そこまで言われて、ヒスイもセフもはっとした。

 それを操縦室に差し込んで青いレバーを引けば、すぐに発進するから――

 フスはそう告げて、ヒスイに鍵を託した。

 が、デンシャの止め方までは教えていない。

「でも、でも、大丈夫だよ」

 戸惑いの表情を浮かべながらも、セフが二人の会話に割って入った。

「このデンシャ、八個が連なってるわけだし、一番奥まで行けば……」

 デンシャが右方に大きく沈み込み、それにしたがって水は一層高く跳ねる。

「水道橋……」

 ヒスイも事態が呑み込めてくる。「国師廟にぶち当たって、デンシャが転がりでもしたら――」

 エバとセフが、互いに顔を見合わせた。何かの拍子で水道橋からデンシャが逸脱したら、三人は転日京をめぐる断崖に阻まれ、奈落へ真っ逆さまである。

「二人は奥まで行って」

 立ち上がると、ヒスイはデンシャの進行方向を見据えた。地図を手早く折り畳み、背嚢ごとエバに預ける。

「ヒスイ、どうするつもり?」

「レバーとか何とか、とにかくいじってみる」

「ヒスイ、でも――」

 エバは何かを言いかけたが、結局は口をつぐみ、頷いた。ヒスイが考えるやり方以外の、もっと良い方法は思い浮かばなかった。

――……

 デンシャの揺れがますます激しくなる。水道橋から、車体がいつはみ出してもおかしくないほどだった。

 大きな衝撃と共に車体が上へ跳ね、ヒスイも足場の安定を失い、ソファに放り出される。あわやと思ったが、デンシャは水道橋の高い側壁に阻まれる。体のバランスを何とか保ちながら、ヒスイはデンシャの先頭に駆け寄った。

 デンシャは水際をしぶかせて直進する。その先に断崖が見えた。

 崖の上は平坦になっていた。山を頂上から削り取ってしまったのだろうか、台地は前方にあまねく広がっていた。

 その上にある城壁は、本当に人工物かと目を疑ってしまうほど長く伸びている。台地の側面を埋め尽くす白い城壁に比べれば、泰日楼テイロスの城壁などそれこそ玩具おもちゃのようだった。

 ヒスイは転日京を知らない。知らないにもかかわらず、ヒスイはその廻らされた城壁を転日京を「理解した」。――沈みゆく“日”を“まきもど”し、再び中天に輝かしめる程の絶大な権勢を誇った、国師の住む“みやこ”。

 その都の足下の街・希善樹里に、ヒスイたちを乗せたデンシャが今肉薄している。

「太陽だ」

 自分でも驚くほどはっきりした声で、ヒスイは呟いた。もっとも、太陽そのものを目視できたわけではない。転日京の白い城壁が輝くのを見て、太陽の存在を思い知らされただけだった。薄暗がりの下天から脱け出したヒスイの魂が、ヒスイの呟きを誘ったのかもしれなかった。

 ほとんど飛び込むように、ヒスイは先頭の席へと舞い降りる。正面に据えられた窓からは、水面を波立たせて一直線に続く水道橋と、仰仰しく鎮座する流線型の建物が見えた。あれが国師廟なのだろう。

 ヒスイは目を凝らし、水道橋と国師廟の結節点を睨んだ。入り口は分厚い金属扉で封じられているのが、今の位置からでも分かる。

 手始めに、ヒスイは青いレバーを引き戻そうとする。デンシャを走らせるため、ヒスイが唯一手を掛けたレバーだ。

 しかしレバーは、万力で締め付けられたように堅い。全体重をヒスイはレバーに掛けたが、レバーに指の跡が残っただけだった。

 苦痛に顔を浮かべながら、ヒスイはじっと手を見る。力の入れすぎで白くなった右手の指には、青い粉がこびりついている。

(粉……?)

 何か他の方法を探そうとしたヒスイだったが、ふとその粉が気になった。周囲を見渡せば、他のレバーはほとんどが黒色で、しかも滑らかな光沢を放っている。ヒスイの握りしめたレバーだけが青色で、ざらついた感触だった。

 ヒスイはもう一度、レバーを握り締める。今度はグローブを嵌めた左手も使って、レバー全体に摩擦を加えてみた。

 ヒスイの思った通りだった。青い塗料が摩擦で削げ落ち、下から黒い塗装が姿を現した。レバーがすぐに判別できるよう、フスの凝らした工夫なのだろう。

 フスが塗料をつけた箇所は、他にもあるはず。操縦室全体を眺め回したヒスイは、それを見つけた。赤い塗料の塗ってあるレバーをもろ手で掴むと、一呼吸置いて、祈るような気持ちでヒスイは手前に引く。

 思いのほか軽い力で、レバーは動いた。ただ、ヒスイは最後までレバーを引ききることが出来なかった。ヒスイが非力だったからではない。レバーが中途に差し掛かった段階で、途方もない効果を上げ始めたからだ。

 床全体からのつきあがるような衝動が、このレバーの役割を如実にヒスイに教えた。衣を裂くようなすさまじい音が、車外からヒスイのもとへ届く。間違いなくブレーキを引き当てたことに興奮を覚えながらも、それがまだ完全に効力を発揮していないことをヒスイは感じていた。

 国師廟の鉄扉は、目前に迫っている!

 前につんのめりながらも、ヒスイはもう一度レバーを引ききる。外からの音が止んだ。水の上を這うときの、船に独特の規則正しい揺れも止んだ。

 今のブレーキで、デンシャはセンロを離れ、今や完全に水を滑り猛進する鉄の塊になったことを、ヒスイは本能的に悟った。

 そのときにはもう、ヒスイは後ろを顧みることなく駆け出している。一両目を駆け抜けた矢先、ヒスイの耳を轟音が飛び交った。鉄扉が叩き壊された代償に、操縦室もひしゃげたのだ。デンシャ全体を伝わる振動に、ガラスが耐え切れずに弾ける。

 デンシャが国師廟に入り、ヒスイの周辺も暗がりに覆われる。惰性で国師廟に突っ込んだデンシャは、ようやく静止に近い状態となり、ついに平衡を失った。

「ヒスイ、こっち!」

 七両目まで駆け込んだヒスイに、エバが手を差し伸べる。だが二人の手が触れ合う前に、デンシャは完全に横倒しになった。座席のソファに転がり込んだヒスイに、最後の大きな衝撃が伝わる。

 そしてデンシャは、完全に動作を停止した。

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