第35話:聖器のアイデンティティ

 狙い澄まし、男はヒスイにボウガンを放つ。

 台車の裏手にしゃがみ、ヒスイは間一髪でそれを避ける。続けて二発、間隙をついて男に銃丸を放った。

 上段から身を乗り出している男に、銃弾が吸い込まれる。初めの一発は男の右手に命中し、彼の指をボウガンごと引きちぎる。指は花びらのように、放射状に散らばってゆく。

 もう一発は男の右目へと吸い込まれ、男の右頭部を炸裂させた。男の顔面は、覆面もろとも剥ぎ取られる。

 頭部が渦のようになった屍は、慣性にしたがって中空へ飛び出し、中段の足場に落下して桃のように潰れる。

「ひっ……ひぃっ?!」

 ヒスイの脇にうずくまっていた男が、その光景を見て悲鳴を上げた。右脚を撃ち抜かれて苦痛に悶えていたこの男も、仲間の強烈な死を見せ付けられて痛みを忘れたようだ。恐怖のあまり過呼吸になりながらも、男は近くに転がる鉄パイプに手をかけようとする。

 窮地を逃れんとする男の惨めなまでの必死さに、ヒスイは慈悲を与えようとしなかった。容赦なく男の手のひらをかかとで握り潰すと、ヒスイは銃口を男の前にかざした。

「がっ?! やめろ、待て、撃つな! 撃たないでくれえっ!」

 慌てふためく男に対し、ヒスイは微動だにしない。フスは台車の物陰に隠れており、無事だった。男の首に右腕を回し、ヒスイは男を立たせる。大柄な男が少女にけしかけられて立たされる有様は、何とも滑稽だった。

 銃を男のこめかみに合わせ、ヒスイは周囲を窺う。

 上段から降り注いでいたダーツの雨は止んだ。サァキャが連れて来た第一波の住民達は、今はもう片手で数えられる程度にしか生き残っていない。

 そんな彼らでさえ、ヒスイに人質を取られてしまった今、ぎこちなく逡巡するだけで攻めあぐねていた。

「サァキャ、そこにいるんでしょう?」

 男を人質に取りつつ、ヒスイは上段に向かって声をあげる。ヒスイの位置から目視すれば上段は無人だ。しかしサァキャが足場の奥で息を殺していることに、ヒスイは気付いていた。

「とんだ族長ね。部下に死ぬよう命じて、あなたは高みの見物?」

 ボウガンを構えたままの男二人組みが、お互いに戸惑いの色をみせて目配せする。自分達も階下に転がっているむくろの仲間入りをしてしまうのではないか? ――そんな恐れの色が、覆面の奥からでもはっきりと伝わってくる。

「……そこまで言うのなら出てやる」

 至極冷静を装った状態で、サァキャが現れた。立ち振る舞いは堂々としていたが、ヒスイが銃口を向けたらすぐ屈めるようにと、緊張感を漲らせている。

 そのとき、ヒスイの左方にあった扉が勢いよく開け放たれた。ヒスイは視点だけを動かし、そちらを見つめる。

「ヒスイ!」

 そこには立っているのはエバだった。声には張りが無く、心なしか頬がやつれている。その後ろ、暗がりに立っているせいで判別しづらいが、確かにセフもいる。二人は、このドームの惨状をいまいち呑み込めていない様子だった。

 視界の端で動くものを察知して、ヒスイは目線を上段へ戻した。上段にいた男が、エバのいる方向にボウガンの照準を合わせている。

(まずい)

 駆け出そうと脚に力を込めたときには、ヒスイの中で全ての動作が理路整然と決定されていた。左手指が勝手に蠢き、人質のこめかみが銃で撃ち抜かれる。人質の亡骸を投げ捨てると、エバに向かってヒスイは猛然と駆け出した。

 ボウガンのトリガーが弾け、風を切るダーツの音が虚空に響く。そのときにはもう助走を追え、銃を手放し、ヒスイはエバ目がけて跳躍していた。

「きゃっ?!」

 エバに抱きつくようにして、ヒスイは倒れこんだ。その瞬間、ヒスイの右足に、電流のような鋭い痛みがはしる。

「ヒスイ……うそ?」

 ヒスイの右足に刺さるダーツを見て、エバは絶句した。急いでヒスイの上半身を起こして、その顔を覗き込む。

「ごめん、あたし……まずい、どうしよう」

 エバの怯える声が、ヒスイの耳元で響く。痛みに顔をしかめつつ、ヒスイは目を開けてエバの無事を確認する。銃は手を離れ、足下に落ちている。

 右のふくらはぎに、小さなダーツが刺さっていた。ダーツと肉の狭間からは血が溢れつつある。痺れるような痛みは初めだけで、今は傷の周囲が熱を帯びているような感じだった。

(毒を盛られたのかもしれない)

 そう考えながらもなお、ヒスイは周囲を索敵していた。

「仕留めたぞ!」

 上段から声がする。その声には安堵の響きがあった。

「他の奴らも一緒だ、かかれ!」

 幾人かの男たちが武器を手に中段へ降り立つ。その中で一人が、台車の前で立ちすくんでいたフスを捕まえる。

「フス、てめぇはこっちだ」

「やめて、離して……お姉ちゃん!」

 フスの口が、男の手によって強引にふさがれる。

「エバ、無理しないで」

 タクトを振り上げようと立ち上がったエバを、セフが引き止める。そんなセフの手に、なす術もなくエバは寄すがる。魔法の連発と度重なる緊張で、エバはもう気持ちを張りつめさせるので精いっぱいなのだろう。

 担いでいた長刀を抜き放って前方へ駆け出すと、セフは男たちと対峙する。にじり寄る二人の男に対し、セフは二人の友人を庇わなくてはならない。不利な状況なのは明らかだった。

「サァキャ!」

 男に羽交い絞めにされたフスが、上段に向かって叫んだ。フスと対角線の方向にいるサァキャは、腕を組んだ姿勢で中段を見下ろしていた。

「どうして?! 手出ししないって言ったのはサァキャじゃない?! この裏切り者!」

「それは私の言葉だ」

 語気を強めてサァキャが怒鳴った。拳を握りしめ、手すりを叩きつけている。

「ハァ、ハァ……だが、もういい。好都合だ。暴れる餌も妹も捕まった。――しかもこのミキサー室に。まずはヒスイ、貴様からだ。胸糞悪い娘、だがもうじきミンチになる、もうじき、ミンチになる――」

 最後の科白せりふを二度繰り返すと、サァキャは中段で武器を構える男たちに、顎で合図をした。それに呼応して、男が鉈を振り上げてセフに肉薄する。

 渾身の力で振り下されたそれを、セフは長刀で確かに受け止めた。

 少女の腕力などたかが知れたもの――こうした男の認識は致命的な誤解だった。膂力では男が勝っていても、稽古で培った判断力はセフが遥かに上だった。

 鉈と刀が衝突し、けたたましい金属音と火花が弾け飛ぶ。――そのときにはもう、セフの左手は自らの脇を探り、氷霜剣を抜き放っていた。逆手に握られた氷霜剣が、鍔迫つばせり合いせんとする男の喉元を掻き切る。

 覆面越しに突き立てられた氷霜剣の刃が、竜の牙のごとく男の首に唸る。男の首には大きな切れ込みが入る。断末魔の絶叫を上げることもままならず、男は死骸と化してセフの上に覆い被さる。

 その様子にたじろいだのか、初めからそのつもりだったのか、もう一人の男がセフの側を掻い潜って先に進む。

「ヒスイ、そっち――!」

 セフが男を捕らえようとする。しかし自らが切りつけた死体が邪魔になり、身動きが取れない。

 男は雄叫びを上げて斧を振り上げる。斧の焦点は、丸腰で動けないヒスイを狙っていた。

 男がつくった間隙を、しかしヒスイは精確に捉えていた。体をよじり、足下に落ちた拳銃を男に向かって蹴り上げる。男の顔面に向かって銃が飛び出してくる。斧を振り下ろすことを忘れ、男は思わず仰け反る。

 男の胸元に銃が接触する。その瞬間だけがスローモーションのように、ヒスイの目には捉えられた。銃は一瞬明滅し、刹那としてドーム全体の大気を震わせる。

 沸き上がった稲妻がそこにある。空気の割れるような痛ましい音がして、男の体が風圧で吹っ飛ぶ。さながら、悪戯好きな子供に爪弾かれた蟻のさまに似ていた。

 ドームの壁面に頭を強打すると、男はそのまま動かなくなる。

 銃は中段の中央、突出した足場に着地する。

「あっ、この――」

 フスを捕まえていた男が、激痛に悶える。男の回した右腕に、フスが渾身の力で噛みついたのだ。痛みに耐えかねた男が、フスを手放した。フスは自由になると、銃の落ちた足場へ向かって駆け出す。

▶ 次のページに進む

▶ 前のページに戻る

▶ 『竜の娘は生きている』に戻る

▶ 連載小説一覧に戻る

▶ ホームに戻る

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする