第33話:人の味

 周囲の様子を警戒しながら、エバとセフは先を急ぐ。

 音を立てぬように歩き、曲がり角では“ウテー”の住人がいないか窺ったが、不思議なことに人影は見当たらない。

 目的地は、先ほど三人が食事をしたサァキャの家である。三人の荷物がある場所といったら、もはやそこしか考えられない。

「おかしいわね」

 照明の灯った地下道をひた走りながらも、エバは疑問を呈さずにいられなかった。神隠しにでもあったかのように、住民が忽然と姿を消している。

「ねぇ、セフ。さっきより人が少なくない?」

「夜、だからじゃないかな?」

 自信なさげにセフが答える。地下に長くいただけでなく、睡眠薬などを飲まされているせいで、二人とも時間に対する感覚が麻痺しかけていた。イェンが手紙で行っていた忠告が、また別の意味で二人にのし掛かってくる。まごまごしていると、下天の時空に絡め取られ、抜け出せなくなってしまいそうだった。

 紆余曲折の後に、二人は地下の広間まで来た。広間から漏れる音と人の気配を感じ取り、セフは注意するようエバに促す。二人は姿勢を低くし、半開きになっている扉からそっと中へ入る。それから、間近にあった物陰に身を潜めた。

 広間では集会が行われているようだった。“ウテー”の住民達の声が、二人にも届いてくる。息を潜め、物陰からセフが様子を探る。続けてエバにも覗いてみるよう、身振りで示した。

 なるほど、“ウテー”住民の総結集、と言った有様である。二人の陣取った箇所は集会の中心から離れていた。それでも一人ひとりの表情や、仕草までもがはっきりと分かる。

 中心から一人の人物が立ち上がる。その人物は周囲を見渡すと、ざわめく住民達を手で制した。

「皆の衆、夜分遅くに済まない」

「サァキャの声だ」

「しっ!」

 思わず呟いたエバを、セフがたしなめる。

「集まってもらったのは他でもない、昨日からここに滞在している、三人のことについてだ」

 会場から、住民の下卑た笑い声がする。一人、固太りの男が人差し指を天井に向けながら、サァキャに向かって言葉を投げかけた。

「サァキャ、うまい仕事だ。さすがは我々の族長ではある」

「三人は客人だ」

 サァキャは“客人”の語を、特に強調した。

「今は地下の小屋で寝かせてある」

「晩のおかずは寝かせてあるとよ」

 さっきの男とは別の野太い野次が、住民の輪の周縁部分から響いた。

「もちろん、もっとうまくするためだ」

 その声に周囲が笑い、どよめく。男の言い草に、エバとセフは得体の知れない不安を感じた。

 再び手で合図して、サァキャは群衆を落ち着かせる。

「そのことについてだ、諸君」

 サァキャの声に、群衆は静まり返る。

「諸君、我々は我々自身のことを、他の誰にもましてよく知っているはずだ。そのことを承知の上で、私はあえて問おう。我らは礼節を欠かす者か否か、と」

 ブーイングが巻き起こった。ただ、サァキャの言いたいことに反対しているわけではないようだった。その証拠に、

「偽り無き我らがウテー!」

 と、女の金切り声がする。「我々が礼節を欠かさぬのは当然である」といった意味合いであるらしい。

 それでもこのスローガンは、エバとセフの二人にとっては気休めにさえならない。

「その通りだ」

 サァキャは満足げに群衆に呼応した。

「サァキャ、そなた、あの女共をみすみす逃すというのか?!」

 おぼつかない足取りで、一人が立ち上がる。“ウテー”の住民達でも長老格に当たる人物なのだろう。その年寄りを支えるように、側にいる青い服を着た男が手を貸した。

「あれほどの逸材を逃すとは、さぞかし旨かろうに」

 しわがれた声で、老人はサァキャに捲し立てる。

(何言ってるの?)

 信じられないとばかりに首を振り、エバはセフを見つめ返した。セフの顔色も白くなり、指先がわなないている。

 二人の認識は既に一致していた。“ウテー”の住民は、三人を食べようとしている!

「逃す」

 戦慄に身を強張らせる二人に対し、サァキャの返事は意外なものだった。年長者に物怖じすることなくきっぱりと言い放つと、老人が抗議しようとする前に間髪いれず口を開いた。

「なぜならあの三人の客人は、我らの同胞であるフスを助けたからである」

 厳格さをもって、サァキャは群衆に訴えた。 群衆は押し黙ったままだったが、雰囲気からして不服なことは窺えた。

 この“ウテー”の住民達が織り成す怒りを孕んだ沈黙は、フスがこの奇異の共同体で爪弾きにされていることを何にもましてエバとセフにはっきりとさせた。

 サァキャは腕を組んで、そんな住民の様子を見回した。心なしか、サァキャは愉しげだった。

「……本来ならな」

 不敵な台詞を、サァキャが付け加える。群衆の一部がその言葉に反応して、サァキャをうかがった。

「諸君も知っている通り、あの娘はウテーの屑だ。昔の徳を守り、正義の内に暮らす我らを衆愚として嘲り、己の空想に惑溺わくできして役に立とうともしない……」

「サァキャ、それでもフスはお前の家族ではないのか?」

 老人を介助していた先ほどの男が、サァキャに問いただした。エバとセフは固唾を飲んで、サァキャの次の言葉を待ち受けた。

「家族?」

 芝居じみた声で、サァキャ男に尋ね返す。

「あの愚図が私の家族か? ……違う! 私の家族とはウテーの神聖な規範を守る者たち、ここにいる皆だ。私は血の繋がり程度では断じて動じない!」

 サァキャの語気は激しく、ほとんど熱狂といってもいいくらいだった。サァキャの返事が意外だったのか、群衆は互いに顔を見合わせて何かを話し合っている。

「――私はフスを殺すことに決めた」

 群衆のどよめきが大きくなる。エバは叫びだしたいほど衝動に駆られ、みずからの口を押さえつけた。

「フスは我らの敵だ。このまま放っておけば客人たちを攪乱し、我らに手痛い仕打ちをしてくるに違いない。そうなる前に我々は、フスを“ミキサー”にかけて、処分せねばならぬ」

 またしても耳慣れない“ミキサー”という単語。しかし、フスを殺すための道具に間違いないようだった。淡々と妹を断罪し、無機的に“処分”とのたまうサァキャに対し、エバは形容しがたい絶望感を味わった。自分達姉妹とあまりにもかけ離れたサァキャのエゴに、エバは吐き気を覚えずにはいられなかった。

「それにだな、あの三人組はフスを助けたから客人なのだ。フスが居なくなってしまったら……客人として扱う必要はないな?」

 サァキャの発言が終わらぬうちに歓声が上がった。受けた衝撃が大きすぎて呆然としているエバを、セフが半ば引っ張ってその場を離れる。

「ありえない……」

 エバはセフの後ろに追いすがった。

「ありえない……」

 エバはもうそれしか呟けなかった。何度も何度もこの“まじない”を唱えてさえいれば、今見聞きしたことは全て覆ってしまう、そう信じ込んでいるかのような呟きだった。“ウテー”の住民は食人をする、そして食人のためには、自分達の仲間でさえ、家族でさえ、平気で殺せる――

「急がないと」

 恐怖のあまりめまいを感じているエバに、セフが怒気を孕んだ口調で発破をかける。

「サァキャはまだ私達が小屋で寝ていると思ってるんだ。早く荷物を取ってヒスイに合流しないと、手遅れになる」

 手遅れ――その言葉はエバの心にぜた。肝心の二人と、肝心の荷物が対極的な位置にある。二人を助け出すのはもちろん、荷物だって奪回しなければならない。丸腰のまま下天を抜けるなど不可能だ。

 自分自身のためにも、エバは声を出そうとした。だがそれもできなかった。今はただ、背後から鳴り止まない食人鬼たちの歓声から逃げ出すことしか考えられなかった。

――……

 サァキャの館の手前まで、二人はやって来た。以前立っていた門番は、そこにはいない。タイミングとしては絶好だった。

 既に下天には薄明かりが灯っている。いつの間にか、夜が明けてしまっていたようだ。

 走る速度を緩めることなく、二人は一気に二階へ駆け上がり、食堂へ転がり込んだ。中身のないカンヅメがテーブルの上に散乱している――が、そこに荷物はなかった。

「ない!」

 セフが怒声を上げた。肩で息をしながら、エバはもう一度ここでのやり取りを思い返す。あそこに辿り着いたとき、人数は六人。ヒスイ達三人と、サァキャ姉妹二人、それと――義足の下男ツェルツァ。あいつはどこにいた? 一旦食堂を離れて、どこかで待機していたはずだ。

「他の部屋を探しましょう」

 フスに呼びかけると、エバはすぐさま隣の部屋へ向かった。ドアと壁の一部に穴が開いており、そこに鎖が通されて南京錠で縛られてある。

 あからさまに怪しい。セフが強引に扉を揺さぶってみるが、扉が開く気配はない。

「任せて」

 セフに扉から距離を取るよう合図すると、エバは鎖を両手で鷲掴みにして目を閉じる。

 セフの目の前で、鎖が小刻みに振動を始める。静止の最中にも、エバが強烈な魔力を注ぎ込んでいるのは明白だった。

 やがて鎖は共振の限界を突破したのか、ひとりでに弾けて四散した。

 エバは掴んでいた鎖の名残を捨てると、部屋の中へ入り込む。

 そこはサァキャの書斎なのだろう。壁には多数のボウガンが立てかけられている。長机の奥には、見慣れた三つの荷物が無造作に積まれていた。

「あった!」

 エバが一声叫ぶと、荷物の側まで駆け寄って中身を確認する。セフはその間、書斎の中を確認していた。特に所在無く開け放った引き出しを見て、セフは険しい表情をする。

 引き出しの中には、無数のダーツが並べられていた。セフはそのうちの一つを手に取って、目の前にかざしてみる。――間違いなく、ビルの木乃伊から出てきたダーツと同じものだった。

 セフは舌打ちする。

「やっぱりあいつ……」

 そのとき、ふとセフの耳が何者かの足音を聞き取った。背後に誰かが忍び寄っている。気付かれないようにしているつもりなのだろうが、義足の立てる硬い音は、セフの耳には誤魔化せない。

 セフはさも気付いていないかのような仕草でダーツを仕舞うと、脇に差してある氷霜剣の柄を握りしめる。

「セフ、危ない!」

 三つの荷物のうち、ヒスイの荷物を背負ったエバが、セフの方角を見やって悲鳴を発する。

 男の猛烈なうなり声が、サァキャの書斎にこだました。

 セフは振り向くと、即座に氷霜剣を真横に一閃する。氷霜剣が男の腕に食い込む。何かが氷霜剣の軌跡に連動して弾け飛び、書斎の壁にぶつかって魚のように跳ね始める。

 それは、セフを狙った男の右腕だった。

「あっ?!」

 ツェルツァは間抜けな声を発したあと、目を丸くして自分の右腕の切り口を見つめた。それから消し飛んだ右腕を確認して、自分の腕が千切れたという純然たる認識を得たらしい。ツェルツァは甲高い悲鳴を発して倒れこむと、そのまま動かなくなった。血飛沫は上がらなかった。

 氷霜剣を構えたまま、セフは立ち尽くしている。

「すごい……これが……」

 エバも一部始終は見ていた。本の埃を払いのけるかのように、セフの剣戟は軽い。しかし、そこから導出された結果は重かった。

 恍惚としているセフを見て、エバは不安にかられる。

「さぁ、ぐずぐずしてないで、行きましょう」

 今度はエバがセフを励ます番だった。自分の荷物を小脇に抱えると、短剣を両手に握り締めて呆然としているセフの右手を掴んだ。

「――ほら!」

 セフは人形のようにぎこちなく頷きながら、自分の荷物を受け取ると、駆け出すエバの背中を追った。

――……

「フス……それは、本当……?」

 ツェルツァがセフに切り伏せられているその頃。フスの話を聞き終えたヒスイは、祈るような口調でフスに問い質した。

 信じられない、そんなはずはない――ヒスイの気持ちと裏腹に、フスの反応は残酷だった。

 涙目になりながらも、フスは一度、はっきりと頷いてみせる。

 掛けるべき言葉が見つからなかった。

 ウテーの住民が食人主義者カニヴァリスト達だなんて。

「フス……ってことは、あなたも?」

「あたしはそんなことしない!!!」

 フスは稲妻に弾かれたかのように、激しく首を振った。今までに見せたことのない、かつてない剣幕だった。

「お姉ちゃん、あたしの目を見てよ……サァキャ達とは違うでしょ?」

 必死になってヒスイを見つめてくるフスの瞳は、確かに澄みわたったものだった。ヒスイの心の中でも、すべての違和感が一つに繋がった。あのサァキャのぎらついた目は、食人を経験した者達の目なのだ。

「二人が危ない……」

 ヒスイは立ち上がると、絞り出すようにして言った。銃を手に取っていないのに、激しい緊張感がヒスイを包んでいた。

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