第31話:予言

「ヒスイ、何やってんだろう?」

 立ち上がると、フスと手を繋いでヒスイはどこかへ行こうとする。空いた左手で、ヒスイはセフに向かって合図をした。

「待っていて」

 といった感じの仕草だった。

 見えているのかどうかは分からないが、セフは黙って頷く。二人は楽しげで、それこそまるで本物の姉妹のように見えた。

 ヒスイとフスは手を繋いだまま、セフの視野から立ち退き、消えてゆく。

「あぁ、行っちゃった」

 足音に耳を澄ませることさえできない。高鳴るタービンの音が、セフには憎々しい。

(それにしても、私がここに隠れている意味ってあったんだろうか?)

 だんだんと、セフは薄ら寒い気持ちになってくる。エバの面倒を見なくてはならない、この理屈はよく分かる。しかし、フスの話を二人して聞いてあげてもよかったはずだ。

(ひょっとして、)

 と、セフの臆測は深みへと嵌まってゆく。

(わたし、やっぱり足手まといなのかな?)

 心にしわが出来たような気がして、セフは鼻を鳴らした。

――ちゃんと話し合わなくっちゃ、ダメ。

 地下道に入ってすぐ、エバはそう結論づけていた。きっと間違いではないだろう。ヒスイは何もかもを自分で決め、自分で行動していた。

 そんな行動力はセフに無い。自分で何でも行動できるヒスイが、セフには羨ましかった。

(いや、わたしたちだって)

 セフは思い直す。自分たちだって、ヒスイがいなくとも上手くやっていた。虬キュウを倒したときだって――。

 そこまで考えて、セフは愕然とした。

 虬を倒したとき、自分は何かしたのか?

(いや、何もしていなかった)

 冷酷な事実を自分自身に突きつけ、セフは一人で沈黙していた。

 思えばこの冒険に参加してから、セフは一度も剣を振るっていない。自分が行ったことといえば、せいぜいエバとフスに「今だ!」と叫んだことぐらいだ。

 作戦を考えたのはフスだし、虬を打ち倒したのはエバの雷魔法だ。

 「私たちが虬を倒した」のではなくて、「私以外が虬を倒した」ことになる。

(活躍したい)

 友人達の間での名誉欲を、セフは無性に感じた。それは一目置かれたい、という大層なものではない。もっと小さなもの、せめてヒスイが銃を撃ち、エバが魔法を放つのと同程度に、自分も自分の剣でみんなの役に立ちたい、そんな気持ちだった。せっかくイェンから授かった氷霜剣だってあるのだ。自分のせいで宝の持ち腐れにしてしまってはならない。

 帯に差してある氷霜剣を、セフは抜き放った。外から漏れてくる光はわずかだというのに、相変わらず氷霜剣は眩いばかりの光を放っている。まるで剣そのものが光を放っているかのような、そんな錯覚にセフは囚われる。

 セフの心に疑問がよぎる。

 どうしてサァキャは三人から武器を奪わなかったのか。

 サァキャは睡眠薬を――自分達三人が手出しできぬように――盛ったと言っていた。しかし本当に手出しできぬようにするなら、ヒスイの銃とセフの刀は奪っておくはずだ。

 では、サァキャは本当に三人を客人として扱っているのだろうか。そしてウテーの奇習として、訪れた客人には睡眠薬を盛るのだろうか。覆面の奥から目をぎらつかせているサァキャを想像し、セフは言いようのない怒りに襲われる。

「う、うあーっ?!」

 突然発せられたエバの大声に、セフの思考は遮られる。セフが目を向けると、エバが駄々っ子のように手足をばたつかせていた。

「ちょ、ちょっと……」

 セフは氷霜剣を仕舞うと、転がっているエバの下まであわてて駆け寄る。

「エバ、どうしたの? 大丈夫?」

 エバを抱きかかえて上半身を起こすと、セフは盛んに揺さぶった。エバはしばらく人形のように首をがくつかせていたが、突然目を見開くと、今度は自力で姿勢を保った。

「ふぅ……?」

 おっとりとした目つきで、エバはセフの方を見やる。

「あら、セフじゃない? ヒスイは? ていうか、ここどこ?」

「ウテーの入り口に近い橋の小屋だよ。ところでエバ、大丈夫なの?」

「大丈夫って――」

 エバは言葉の途中で、あくびをかみ殺した。

「あたしは別に大丈夫よ?」

「いや、でもうなされていたし」

「うん、そうなんだ? ――何でだろうね?」

 首をかしげながらも、エバは着崩れかけている赤い衣を正した。その際違和感を覚えたのか、エバは懐から何かをそっとつまみ出す。

「エバ、それは?」

「これって――」

 エバが手のひらに差し出したものは、小型のダーツだった。寺院の堂で、サイファの弩ボウガンが放ったものである。そしてこれが、セフの老師ラォシを殺したものの正体である。

「モリオ僧正……」

 エバは唇をかんだ。思い出したくないことを突きつけられ、セフもダーツを睨みつける。あのときサイファに受けた侮辱を、セフは忘れられない。サイファは絶対に赦せない、僧正の無念も晴らしたい……いや、自分のための復讐なのかもしれない。その段階でいつも、セフの思考はまごついていた。

 “自分が何をしたいのか考えろ”、それがイェンから課された宿題だった。

「セフ……これはあなたが持つべきよ」

 手のひらに乗せたダーツを、エバはセフに渡した。無言でそれを受け取ると、セフは改めて自分の眼前にかざしてみる。銀色のダーツは陰湿な光を放っていた。氷霜剣の放つ光沢とは、また別種のものだった。

「エバ、一つ訊いていい?」

 やや間を空けてから、セフがエバに質問する。

「うん、何?」

「その……『私がサイファに復讐する』って言ったとしたら、エバはどう思う?」

「どう思う、って……」

 ツインテールを結わえていたゴムをほどき、エバが真珠色の長い髪をほどく。髪がこんがらがっていないことを確認しつつ、エバは言葉を繋ぐ。

「好いんじゃないかな? 少なくとも、セフにはそうする権利があると思うよ?」

「そう?」

 にわかにセフは勇気づけられる。

「じゃあ、ヒスイだったらどう言うかな?」

「多分、ヒスイも同じよ」

「それじゃあ、他の人は?」

「他の人?」

「そう、例えばエバのお姉さんとか――」

「ねぇ、セフちょっと待って」

 先を続けようとするセフの話を、エバは強引に遮った。

「その確認作業はいつまで続くのよ? 空腹で死にそうになっているとき、いちいち目の前にある食事を食べていいか人に確認するわけ?」

「いや、そんなことはしないけど……」

「でしょ?」

 髪を肩の後ろに靡かせながら、エバは念を押す。

「それと同じことよ。他人がどうかなんて関係ないでしょ。目の前の食事を食い逃げされても、あなたは黙って見ているつもりなの?」

 そこまで言い終え、エバは自分の言葉が説教じみていることに気付いた。

「と、まぁこんな感じよ」

 半分照れ隠しのために、エバは更に付け足す。

「マァ、いろいろ割り切れないことはあると思うけどね。転日宮へ行く前に結論を出さなきゃダメよ?」

「うん。……そうする」

 返事を聞いたエバは一旦真顔になると、深く溜息をついた。

「ねぇ、セフ。今度はあたしの話を聞いてくれない?」

「エバの話?」

 うん、と小声で頷いてから、エバが目をつぶる。すると突然、エバの周囲に漂う空気が冷気を帯びはじめた。普段はしゃいでいるエバからは想像もつかないほど、神秘的な雰囲気が醸し出されてくる。

 魔法使いというのは、みんなこんな生き物なのだろうか。セフは一瞬その雰囲気を、水源から来る水の寂れた気配だと錯覚したが、そうではなかった。エバから発せられる気アウラは澄み渡り、セフを呑み込んでいた。

「セフは、フスのことをどう思ってる? ……特にあの『自分は別世界からやって来た』って話。初めに“生まれ変わり”って言ったのあなたじゃない? セフはあの子の話を信じる?」

「ええっと、信じられるかどうかって言われると……ゴメン、分かんない」

 冴えない返事をセフは詫びる。だがエバは気にしていない様子だった。

「そうよね。でも、あたし何かあの子が嘘をついているとも思えないのよ。そりゃあ確かに、サァキャその他の“愉快な仲間達(エバはこの言葉をやけに強調した)”と過ごしていれば、少しぐらいひねくれちゃうのは当然なんだけどさ……」

「そうだよね」

 言い方は雑だったが、エバの言葉にセフは隅々まで納得できた。

「ウテーは何だか、サァキャのような奴らばっかりだったし。フスはなんだか、すごい素直な子だった」

 それを聞いたエバは深く溜息をつくと、膝を曲げて小さく座りなおす。

「あの子、あまり好い人生を送れないわ」

 エバの何気ない一言は、セフをぎくりとさせた。

「何、何で?」

「分からないけど、何だかそんな予感がするの」

 エバ自身も沈鬱な表情を浮かべる。

「少なくともここの“ウテー”ではね。だからあたし、あの子を外に連れて行ってあげたいのよ。そりゃあ……たぶんあの子にとって“上天”は退屈かもしれないけど、ここにいるよりかはずっとましだわ」

「うん――でも、それはいい考え方だと思うよ」

 セフは積極的に頷いた。エバの提案を励ます目的もあったが、セフ自身が動揺を払いのける目的もあった。

「フスは好い人生を送れない」

 というエバの言葉は、予言というよりもむしろ予定のように、セフには思えてならなかった。

「フスが行きたい、って言えばいいんだけど」

「ヒスイもよ」

 問い詰めるようにエバは言い添えた。

「ヒスイも説得しないと」

「ヒスイ……嫌だ、なんて言うのかな?」

 エバの言葉に半信半疑のまま、セフが尋ねる。問われたエバ本人もかなり難しい表情をしていた。

「わからない。でも、どうだろう? 説得するのならば、早いに越したことは無いし――」

「うん、そう、そうだよね。実はさ――」

 と、エバが目を覚ます数分前のことを、エバは掻い摘んで話した。話を聞くうち、エバの表情もどんどん苦々しいものへと変わってゆく。

「説得相手が二人ともいないのね」

 話を聞き終えたエバは、真っ先にそう口走った。

「でも、逆に都合がいいかも。“ウテー”からは遠ざかるし。セフ、二人がどっちへ行ったかは分かる?」

「うん、それは大丈夫」

 セフが言い終わらないうちに、エバは立ち上がった。

「よし、ならば行きましょう――」

 エバはそこまで掛け声を発してから、辺りを見回した。次第に不思議そうな表情を深めてゆく。エバの揺れ動く視線につられて、セフも辺りを見渡した。

 そこで二人は同時に、あることに気がついた。

 自分達の荷物が無い。

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