第3話:魔術師の娘

「ヒスイ!」

 声の主もまた、少女だった。赤と黒との入り交じった、丈の長い胴衣を身にまとっている。真珠色をした長い髪の毛を、少女はツインテールにしていた。

 そんな少女は、駆け寄るなりヒスイを抱き締める。

「えっと、あの……」

「ハァ……。もう、ホントに心配したわ。これは……ここで何があったの? 他の人は無事なの?」

「その……ごめんなさい」

「ヒスイ……?」

 しどろもどろしているヒスイの様子を見て、少女も異変に気づいたらしい。

「なに、何かあったんでしょ? ちゃんと説明してくれないと、あたし、分かんない」

「あなたは……誰なの?」

「――ウソでしょ? ヒスイ、本気で言ってるの」

「――ごめん」

「ウソよ!」

 ヒスイから離れると、少女はそっぽを向いた。「ヒスイの記憶がない」という事実が、少女にとっては耐えられないことらしい。

「そんな……」

 黄金色の潤んだ瞳で、少女はヒスイを見つめてくる。そんな少女の瞳に映る自分の姿を見て、ヒスイは自分を恥じた。茶色のショート・ヘアに青い瞳を持っている自分が、とても頼りない存在にヒスイには思われたためだ。

「じゃあ、あのことも……」

(あのこと?)

 少女の言葉が気になったが、いずれにしても、ヒスイ以上に少女が取り乱しているようだった。

「あのことって、何のこと?」

「――え? ……ううん。何でもないよ。ヒスイ。その……どうしようかな、じゃ、まず自己紹介するね? 私の名前は、エバ。エバ・カリポリスよ」

「エバ……」

「そそ。ヒスイとは……その……親友だった」

 “だった”という言い方にばつの悪さを感じているのか、エバはしきりに自分の髪をいじっていた。

「分かったわ、ありがとう。よろしくね、エバ」

「うん……よろしく」

「とにかく、今はここから出ましょう」

「そう……ね。ていうか、あたしもそのために来たのよ」

「『そのため』って、私を助けるため?」

「そうよ――」

 エバが更に何かを言いかけた、そのときだった。部屋にたまった青い蝋の下から、新たな怪物が姿を現した。

「出たわね……!」

「エバ、とりあえず逃げましょう」

「分かってる、こっち!」

 エバがヒスイには手を差しのべた。それを受けたヒスイは、どことなく薄ら寒い気持ちになる。それがなぜなのか分からないまま、ヒスイはエバに連れられ駆け出していた。


◇◇◇

 予章宮の通路を、ヒスイとエバとはひた走る。その最中にも、あちこちから怪物の呻き声が響いてきた。

(エバ、あの化け者たちは何なの?)

(分かんないけど、”氓”とか何とか――)

(――ボウ?)

(そ。でも、ホントにあの化け物がそうなのかは分かんないよ。ただ、昔の本に載っていた化け物の記述にそっくりだとか何とか――。あとで街の人に聞けば分かるわ)

(街の人? 街って、どこにあるの?)

(うん。とにかく――あっちよ!)

 エバの指差す先には、扉があった。

「着いたわね」

「ええ、着いた! ――着いたけど」

 エバが逡巡する。目の前の扉には、青い蝋がこびりついていたからだ。

 試しに近づくと、ヒスイは扉を引っ張ってみる。案の定、前後に体重をかけても、扉は微動だにしなかった。

「どう、ヒスイ?」

「ダメよ。びくともしない――。エバはどうやってここを?」

「いや。初めはこんなのなかったよ……うえーっ」

 エバは背筋を震わせる。

「つまり、この青いのって成長してるっぽいのよね。うわー、想像しちゃったよ」

「それで、どうする?」

 ヒスイは周囲を見渡した。この通路の突き当りには、もう一枚の扉があった。仮に出られるとしたら、そこしかない。

「あっちを試してみない?」

「その前に――もっといい方法があるわ。ヒスイ、ちょっとだけ扉から離れてて」

 ヒスイが離れると、エバが扉の前に近づく。帯ベルトにつけたポーチからチョークを取り出すと、エバは扉の表面に何かを描き始めた。手早い動作だったが、描かれた軌跡は複雑だった。

「見てて、いくよ? いい。――はあっ!」

 エバが声をあげると、自らの両手を扉へ突き出した。エバの手のひらから、何かの波動のようなものがうねっているのを、ヒスイも見て取る。

 扉は一瞬がたつき、描かれた法陣が青白く発行する。その法陣を取り巻くようにして、扉から煙が上がった。しまいには、二人の見守る前で、扉が炎に包まれてゆく。

「どう、ヒスイ? あたしの魔法は?」

「すごいわ……魔法が使えるのね?」

「フフフ……そうよ。ちゃんと免許持ってるんだから。あとはこのままここを出れば――」

 そのとき、黒くなった扉の内側から、何かが叩きつけられた。

「何?! ――うえっ?!」

 エバが何かを言う前に、ヒスイが彼女の服を掴み、もう一つの扉に駆け出していた。

「ちょっと、ヒスイ?」

「――向こうにボウがいるわ!」

「そんな――!」

 だが、ヒスイの言葉は当たっていた。燃え尽きた扉が蹴破られ、無数のボウが通路へと侵入し始めた。何匹いるのか分からないほどの大量のボウが、一斉に二人を見据え、咆哮を上げる。

「ヒスイ、どうしよう! この扉開かないわ、鍵がかかってる」

 必死になって、エバが扉のノブを捻っている。

(鍵? そうだ――)

 ヒスイは懐から鍵を取り出した。

「ヒスイ、その鍵、いったいどこから……?」

「いいから、ほら……早く!」

 扉を開錠すると、その中にエバを押しやる。自らが入る直前、先頭を走るボウがヒスイに肉薄してきた。流れるような動作で、ヒスイは引き金をひく。記憶は失っていようとも、身体は昔のままのようだ。銃声! ボウの右足が消し飛び、床に倒れこむ。

――そのとき、ヒスイの頭の中に、イメージが沸いてきた。それは先ほどまでのイメージとは違った。ほの暗い、地下道? のようなものが、はるか前方まで蛇行している、そんんあ光景だった。

 その意味を詮索している暇はなかった。ヒスイは扉の向こうへ退避すると、即座に扉を閉め、鍵をかけた。勢い余ったボウの群れが扉に激突し、爪をたてる。しかし分厚い扉は、その程度ではびくともしなかった。

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