「ヒスイ!」
声の主もまた、少女だった。赤と黒との入り交じった、丈の長い胴衣を身にまとっている。真珠色をした長い髪の毛を、少女はツインテールにしていた。
そんな少女は、駆け寄るなりヒスイを抱き締める。
「えっと、あの……」
「ハァ……。もう、ホントに心配したわ。これは……ここで何があったの? 他の人は無事なの?」
「その……ごめんなさい」
「ヒスイ……?」
しどろもどろしているヒスイの様子を見て、少女も異変に気づいたらしい。
「なに、何かあったんでしょ? ちゃんと説明してくれないと、あたし、分かんない」
「あなたは……誰なの?」
「――ウソでしょ? ヒスイ、本気で言ってるの」
「――ごめん」
「ウソよ!」
ヒスイから離れると、少女はそっぽを向いた。「ヒスイの記憶がない」という事実が、少女にとっては耐えられないことらしい。
「そんな……」
黄金色の潤んだ瞳で、少女はヒスイを見つめてくる。そんな少女の瞳に映る自分の姿を見て、ヒスイは自分を恥じた。茶色のショート・ヘアに青い瞳を持っている自分が、とても頼りない存在にヒスイには思われたためだ。
「じゃあ、あのことも……」
(あのこと?)
少女の言葉が気になったが、いずれにしても、ヒスイ以上に少女が取り乱しているようだった。
「あのことって、何のこと?」
「――え? ……ううん。何でもないよ。ヒスイ。その……どうしようかな、じゃ、まず自己紹介するね? 私の名前は、エバ。エバ・カリポリスよ」
「エバ……」
「そそ。ヒスイとは……その……親友だった」
“だった”という言い方にばつの悪さを感じているのか、エバはしきりに自分の髪をいじっていた。
「分かったわ、ありがとう。よろしくね、エバ」
「うん……よろしく」
「とにかく、今はここから出ましょう」
「そう……ね。ていうか、あたしもそのために来たのよ」
「『そのため』って、私を助けるため?」
「そうよ――」
エバが更に何かを言いかけた、そのときだった。部屋にたまった青い蝋の下から、新たな怪物が姿を現した。
「出たわね……!」
「エバ、とりあえず逃げましょう」
「分かってる、こっち!」
エバがヒスイには手を差しのべた。それを受けたヒスイは、どことなく薄ら寒い気持ちになる。それがなぜなのか分からないまま、ヒスイはエバに連れられ駆け出していた。
◇◇◇
予章宮の通路を、ヒスイとエバとはひた走る。その最中にも、あちこちから怪物の呻き声が響いてきた。
(エバ、あの化け者たちは何なの?)
(分かんないけど、”氓”とか何とか――)
(――ボウ?)
(そ。でも、ホントにあの化け物がそうなのかは分かんないよ。ただ、昔の本に載っていた化け物の記述にそっくりだとか何とか――。あとで街の人に聞けば分かるわ)
(街の人? 街って、どこにあるの?)
(うん。とにかく――あっちよ!)
エバの指差す先には、扉があった。
「着いたわね」
「ええ、着いた! ――着いたけど」
エバが逡巡する。目の前の扉には、青い蝋がこびりついていたからだ。
試しに近づくと、ヒスイは扉を引っ張ってみる。案の定、前後に体重をかけても、扉は微動だにしなかった。
「どう、ヒスイ?」
「ダメよ。びくともしない――。エバはどうやってここを?」
「いや。初めはこんなのなかったよ……うえーっ」
エバは背筋を震わせる。
「つまり、この青いのって成長してるっぽいのよね。うわー、想像しちゃったよ」
「それで、どうする?」
ヒスイは周囲を見渡した。この通路の突き当りには、もう一枚の扉があった。仮に出られるとしたら、そこしかない。
「あっちを試してみない?」
「その前に――もっといい方法があるわ。ヒスイ、ちょっとだけ扉から離れてて」
ヒスイが離れると、エバが扉の前に近づく。帯ベルトにつけたポーチからチョークを取り出すと、エバは扉の表面に何かを描き始めた。手早い動作だったが、描かれた軌跡は複雑だった。
「見てて、いくよ? いい。――はあっ!」
エバが声をあげると、自らの両手を扉へ突き出した。エバの手のひらから、何かの波動のようなものがうねっているのを、ヒスイも見て取る。
扉は一瞬がたつき、描かれた法陣が青白く発行する。その法陣を取り巻くようにして、扉から煙が上がった。しまいには、二人の見守る前で、扉が炎に包まれてゆく。
「どう、ヒスイ? あたしの魔法は?」
「すごいわ……魔法が使えるのね?」
「フフフ……そうよ。ちゃんと免許持ってるんだから。あとはこのままここを出れば――」
そのとき、黒くなった扉の内側から、何かが叩きつけられた。
「何?! ――うえっ?!」
エバが何かを言う前に、ヒスイが彼女の服を掴み、もう一つの扉に駆け出していた。
「ちょっと、ヒスイ?」
「――向こうにボウがいるわ!」
「そんな――!」
だが、ヒスイの言葉は当たっていた。燃え尽きた扉が蹴破られ、無数のボウが通路へと侵入し始めた。何匹いるのか分からないほどの大量のボウが、一斉に二人を見据え、咆哮を上げる。
「ヒスイ、どうしよう! この扉開かないわ、鍵がかかってる」
必死になって、エバが扉のノブを捻っている。
(鍵? そうだ――)
ヒスイは懐から鍵を取り出した。
「ヒスイ、その鍵、いったいどこから……?」
「いいから、ほら……早く!」
扉を開錠すると、その中にエバを押しやる。自らが入る直前、先頭を走るボウがヒスイに肉薄してきた。流れるような動作で、ヒスイは引き金をひく。記憶は失っていようとも、身体は昔のままのようだ。銃声! ボウの右足が消し飛び、床に倒れこむ。
――そのとき、ヒスイの頭の中に、イメージが沸いてきた。それは先ほどまでのイメージとは違った。ほの暗い、地下道? のようなものが、はるか前方まで蛇行している、そんんあ光景だった。
その意味を詮索している暇はなかった。ヒスイは扉の向こうへ退避すると、即座に扉を閉め、鍵をかけた。勢い余ったボウの群れが扉に激突し、爪をたてる。しかし分厚い扉は、その程度ではびくともしなかった。