第2話:魔法銃と失われた記憶

 心臓を鷲掴みにされたような気がして、少女は飛び起きた。

「痛いッ!」

 別に痛くなどはなかったのだが、そう口に出さずにはいられなかった。身じろぎした反動で、少女は床に転げ落ちた。心臓は早鐘のように高鳴っていたが、恐怖の原因が何であったのかについては、記憶の中から完全に飛んでしまっていた。

「ここは……?」

 頭を押さえながら、少女は立ち上がろうとする。床に手をついた瞬間、左手に何かが触れた。

――ヒスイ!

「あっ……?!」

 何かに呼び止められた気がして、少女――ヒスイはあちこちを振り向いてみた。だが、声は結局途切れてしまう。

 改めてヒスイは、左手の端に触れたものを凝視した。暗闇のためにはっきりとは見えづらかったが、それでもヒスイはそれが何なのか理解できた。

(銃だ……)

 そう、ヒスイは銃に触れたのだ。

(でも……何でだ?)

 銃を拾う前に、ヒスイの指が止まる。自分の名前と、落ちている銃。――それ以外のことが、どうしても思い出せない。それこそ、ここがどこなのか、今がいつなのか、これから何をするべきなのか、ヒスイは何一つ分かっていなかった。

 とにかく、ヒスイはまず銃を拾ってみた。そのとき、

――ヒスイ!

 と、ヒスイの脳内にふたたび声が響いてきた。

(そうか、この銃……)

 ヒスイもようやく何が起きたのか把握できた。どうやらこの銃がヒスイに呼び掛けているようなのだ。

 銃把を強く握ると、その分だけヒスイに流れ込むメッセージも強烈になってくる。

――予章宮――火――戦え?

(……ダメだ)

 ヒスイは銃把から手を引っ込める。そうしないと、流れ込んでくるメッセージの波に溺れてしまいそうだったからだ。

 それでも、幾つか分かったことがある。今ヒスイが倒れているのは、「予章宮」という建物の一角――それも自分の部屋の中だ。

(とにかく、ここを出よう)

 銃をしまうと、ヒスイは扉を見つけて廊下へと飛び出した。部屋よりも廊下のほうが蒸し暑い。下の階から火の手が上がっているのだろう。「火」とはそういう意味だ。

「誰か――!」

 外へ出るなり、ヒスイは声を上げた。薄暗い廊下に、ヒスイの声だけがむなしく響きわたる。この館にいるのは、どうやらヒスイだけのようだった。

 曲がり角に差し掛かったヒスイは、目の前の光景を見てあぜんとする。廊下の壁に寄りかかるようにして、人が倒れていたのだ。

「あ……」

 手をかけてみると、やはり死んでいた。身なりからして、この館に仕えている下男だろう。表情は眠るように穏やかだったが、背中は斜め一直線に切り裂かれていた。

(この傷……刀か何かで……)

 それにしても、この男を殺めたのはそうとうな手練れだろう、とヒスイは思った。何せ、血しぶきすら上がっていないのだから。

(早くここを出ないと……あれ?)

 ふとヒスイは、男の手が目に止まる。男の手の内には何かが握られていた。

(鍵だ――)

 銀製の鍵が数本、ストックにぶら下がっている。

 何かの役に立つかもしれない――、そんな気持ちで、ヒスイは鍵を懐にしまった。

 側にある階段を伝って、ヒスイは下へと降りる。



◇◇◇

 下へ降りてすぐ、ヒスイは扉を見つけた。先程よりも慎重に、ヒスイは扉へと近づく。男の殺された様子を見るかぎりでは、それほど時間が経っていない。となると、殺し手もまだ近くにいる可能性があった。

(ん? 開かない……)

 扉をひねったものの、前へ押せなかった。部屋の向こうに何かが引っ掛かっているらしい。体重をかけ、ヒスイは無理矢理扉をこじ開ける。隙間ができたのを見計らって、ヒスイは自分の体をそこへ滑り込ませた。

(……これは?!)

 ヒスイの目の前には、無惨な死体の山が折り重なっている。みな、紺色の制服に身をまとっていた。きっとここの兵士だろう。

「う……っ!」

 なまぐさい血の香りは、強烈吐き気をヒスイにもたらした。ヒスイは生唾を呑み込み、えずきたい衝動をぐっとこらえる。壁に手をついた際、ヒスイの視界に気になるものが映った。

(これは……?)

 それは青い色をした、蝋のようなものだった。よく見れば、兵士たちの亡骸にも付着している。死体の中には、完全に青い蝋に呑み込まれてしまっているものもあった。

――ぴしっ!

 何かのはぜる音が、ヒスイの耳に届く。死体を覆っていた蝋のひとつから、亀裂が走ったのだ。その亀裂に沿って、下から獰猛なうめき声が響いてくる。

 ヒスイの目の前で、一匹の怪物が姿を現した。青くひょろ長い怪物の手には、長い爪が映えている。目は黄色くぎらついており、顔はベッタリしていて口や鼻の穴が潰れていた。背中にはヒレのようなものがうごめいている。

(これは……まさか……死体を喰らって……!)

 事態を見届ける前に、怪物が咆哮を上げた。耳をつんざくほどの声の大きさだったが、どことなくもの悲しい叫びでもあった。

 考えるより先に、ヒスイの体が勝手に動いた。左手で銃を構えると、一発の弾丸が怪物めがけて放たれた。銃声。怪物の頭が半分に裂ける。

(うっ……?!)

 その最中にも、銃からもたらされるイメージがヒスイの脳内に炸裂した。――大勢の兵士が、なすすべもなく青い蝋に蹂躙されるイメージだった。

 それでも、ヒスイは引き金を引いた。まるで銃を撃つために存在しているかのような錯覚に、ヒスイは捕らわれる。弾丸が怪物に命中するたび、ヒスイの脳内を駆け巡る惨劇のイメージがより鮮明になってくる。

 とうとう怪物が倒れた。だがそれと同時に、ヒスイも限界だった。銃を取り落とすと、ヒスイは壁に手をつき、そのまま嘔吐した。何も食べていなかったのだろう、胃液が壁に滴った。

「ハァ……ハァ……」

 よろめきながらも、ヒスイは銃をホルスターに収める。怪物は原型をとどめていないほど崩れていた。

――ぴしっ!

 また嫌な音が響いてくる。このままここにいたら、怪物に取り囲まれてしまうだろう。

 と、そのときだった。

「ヒスイ!」

 脇に添えてある通路から、誰かが飛び出してくる。

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