第27話:ウテー

 サァキャに連れられてやって来た“ウテー”は、より歪で、より珍妙だった。

 下天の都市にへばりつくように、“ウテー”は存在していた。太古の都市の下に埋もれていると言った方が正しいのかもしれない。

 なにせ“ウテー”の本拠は地下にあり、ヒスイ達を真っ先に迎え入れたのは、電灯の無機質な光だったからだ。

 細長い電灯の光に照らされて、“ウテー”の隅々がヒスイ達の視界に浮かび上がってくる。辺りをうろつく人々を、ヒスイはまず見た。両腕に包帯を巻き、つぎはぎだらけの服を身に纏い、覆面をつけている。その点で彼らは、サァキャと同じだった。フスのように顔を露出させている人間などは一人もいない。

 覆面の細い切れ込みから、ヒスイ達は睨みつけられる。目を逸らすわけにもいかず、睨み返すわけにもいかないヒスイ達は、なるべく虚ろな眼差しを試み、目の前を頼りなげに歩く義足の男の背中を見ていた。赤い金属製の樽の中にゴミを詰め込んで火を起こしていた二人組みが、ヒスイ達を指差して何かを呟き、笑った。

「ヒスイ、ランタン」

 エバが小声で、ヒスイに耳打ちした。この段階に来て、背嚢にくくりつけているランタンにヒスイの意識がいった。周囲に用心しながら、ヒスイはランタンのネジを絞り、火を消す。

 それ以外、一行は終始無言だった。

「こっちだ」

 先導していた男が、後ろを振り向いて声を発する。低い声で、粗野な言い草だった。ヒスイの背後で、セフが鼻を鳴らしている。男は四人の反応を気にすることなく、目の前にある階段を器用に登ってゆく。

 階段は暗かった。手にしている懐中電灯を用い、セフが前方を照らす。踊り場には、細長い照明が砕けて散乱していた。男の白い義足がそれを踏みつけると、卵の殻が割れるような湿った音が響く。悪態をつきながらも、男は手摺を掴んで階段をよじ登る。次の踊り場には照明が灯っていた。次第に周囲が開けてくる。

 ヒスイ達は地上に降り立った。広場の役割を果たしているのだろう。そこは中心を囲むように長椅子が設けられていた。下天に入り込んで初めて出くわした、あのとりどりの貨車がバリケードのように周囲を取り囲んでいる。バリケードの向こう側は見渡せない。それほどまでに下天の漆黒は一行にのしかかっていた。

「電気を消せ」

 男がセフに命令する。

「危ない。虬が来るかもしれない」

 男の口調には苛立ちのほかに、怯えた調子も混じっていた。セフは憮然とした表情をしていたが、素直に電灯のスイッチを切った。あたり一面が闇に包まれる。

 不意に男の周囲を明かりが差した。その青い光にヒスイ達は身を硬くする。手に握っていた青い小さな電灯を、男が点したのだ。

「消したり点けたり忙しいんだな」

 セフがわざとらしくぼんやりした口調で男に言い返す。男の覆面から見える目が、更に細くなった。

「青い光は特別だ。虬や他の化け物に、青い光は見えない。それより命が惜しければ、その減らず口を閉じているんだな」

 青い光の中にぼんやりと浮かびあがる男の巨躯は、それだけで凄みがあった。

「さぁ、とにかく着いてくるのだ。長の住処は向こうだ」

 辿り着いたのは、何の変哲もないひとつの塔だった。他の建物に比べても見栄えはしないだろう。男の青い光が照らす範囲では、少なくともそうだった。

 手前に立っている守衛役と話をつけたらしく、義足の男は手招きしてヒスイ達を呼び寄せる。建物の内部も別段優れたところはなかったが、掃除は行き届いており、照明も灯っていた。明かりが漏れないようにするためか、窓には板が貼り付けてある。

「あんな光、あたし初めて見たわ」

 二階へ上がって廊下を進む最中、出し抜けにエバが囁いた。目線は一点、男が右手に握り締めている筆状の小さな電灯に注がれている。

「それに、あんな小さなからくりから光が出るなんて」

「不思議に思う?」

 フスがエバに訊き返す。

「でも、あたしにとっては魔法が使えるエバのお姉ちゃんの方がすごいと思うよ? 手から炎や稲妻を出せるんだし――」

 フスの楽しげな声は、男のいささか乱暴なノック音で掻き消された。

「今、行く」

 扉の向こうからサァキャの声が伝わってくる。少しの間を空けてから、サァキャが廊下へ飛び出してきた。

「来たか。さぁ客人、中へ」

 至って落ち着いた様子で一行を手招きすると、恭しく扉の脇で控えていた義足の男に、サァキャは何かを耳打ちした。一礼をすると義足を引きずりながら、男は扉の脇で大人しく控えている。

「妹を救ってくれてありがとう」

 自身の妹を含めた四人を部屋の中へ招きながら、サァキャが平板な口調でねぎらいの言葉をかける。

「ささやかながら夕食の準備をしておいた。ぜひ召し上がっていって欲しい」

 サァキャに言われて通された部屋には、見慣れない光景が広がっていた。

 一目見たところ、そこはちゃんとした食堂のようだった。もともと二つあった小さな部屋の壁を取り外し、一つの大きな部屋に改装したのだろう。部屋の中央には壁がもぎ取られた痕が残っている。中央には大きなテーブルが用意され、そこには四人分の椅子が据えられていた。中には、エバが乗り回していた滑車つきの椅子も見られる。ヒスイと、エバと、セフと……あと一人は?

 目を引くのは、テーブルに並べられている“食事”だった。ヒスイの目にはどう見ても、金属製の小さな樽にしか見えない。ウテーの下町を横切るときに見た、ゴミを燃やしている赤い金属製の樽を思いだして、ヒスイは胸焼けしそうになる。

「これ――?」

 セフも同じ疑問を抱いたらしい。テーブルの上に乗っている大小さまざまの金属容器を指差して、サァキャに真意を問い質そうとする。

「客人、すまないが私は同席できない」

 サァキャは突っ慳貪に言い放った。

「これから地下の集会場で会議をしなくてはならない。代わりに私の妹が客人をもてなしてくれるだろう」

「ちょっ、ちょっと待って」

 その答えに一番食いついたのは、他ならぬフスだった。

「サァキャ、下で何を話すつもりなの? 私も混ぜてよ」

「それはできない。お前は客人に食事の手配をするのだ」

 そのあとの無心な沈黙が、この姉妹の険悪さを無意識に暴露してしまったので、サァキャはこう言い足した。

「族長としての命令だ、フス。私に従え――それと客人、水が飲みたかったらそこにあるベルを鳴らせ。さっきの男が――ツェルツァが取ってきてくれる」

 サァキャは言い捨てると、そのまま部屋を後にしてしまった。

「ねぇ、フス。あとからこっそり着いてゆけばいいんじゃない?」

 悔しそうに唇を噛み締めていたフスに、エバがそっと呼びかけた。

「別に無理してあたし達の相手をする必要はないのよ? その、ここにある金属の食べ方を教えてくれれば好いだけだし――」

「『絵を見て腹を膨らませろ』ってこと?」

 エバが言い終わらないうちに、セフがテーブルに並べられた筒状の“食事”を掴んでその図柄を眺めている。色はだいぶ褪せていたが、確かに表面に描かれている食事は、いかにも旨そうな外見をしている。

「寺院で昔そういう教えを受けたなァ、『人は飯だけで生きているわけではない』んだってさ。私には難しくて分からなかったけど」

「いや、別にここからいなくなりたいってわけじゃないんだよ?」

 やや遅ればせながら、フスがエバの言葉を打ち消した。

「私に内緒で何を話しているのか、気になっただけ。とりあえずご飯にしようよ。これは“カンヅメ”っていうのよ? ちょっと待ってね――」

 フスは手近にあった“カンヅメ”に手を伸ばすと、その上部に張り付いている輪を器用につまみ上げて引っ張った。更に輪を引っ張り上げると、乾いた音と共に上部は完全にめくれ上がり、中からは赤い液体が垣間見えた。

「うわぁ……」

 セフがおぞましげな声を上げる。寺院の中で育ったセフにとって、今フスが皿に開けている赤い色をした液体はゲテモノにしか見えないのだろう。

「そんな顔されるとなぁ……」

 フスは困った顔でセフを見つめる。

「ただのミネストローネだし。あ、分かった。お姉ちゃん達の世界には“トマト”がないんでしょ?」

 早口でそう告げながら、セフは手際よく次々に“カンヅメ”を開き、中身を皿に取り分ける。悪気はないのだろうが、フスはミネストローネの皿をセフに渡した。エバには何かの肉が差し出され、ヒスイには別の、牛乳のように白いスープが分けられる。

「フーン、何だろうこれ? ま、いただきまーす」

 相当腹が減っていたのか、エバは手前に置かれているフォークを掴むと、臆することなく肉に突き刺して口に運んだ。続けて、「あ、おいしー!」と一言呟く。

「ホント? それなら良かった。白身魚は大丈夫なんだね」

「魚か……」

 隣でセフが、落胆した声を上げた。皿を手にとって魚を食べていたエバが、そんなセフの様子に何かを感付いたらしい。意地悪げな目でセフのためにスプーンを差し出す。

「セフ、ちゃんと食べなさいよ。私のを貰おうとしたけど、戒律で魚がダメなんでしょ? ダメよ、セフは自分に出されたものを食べなきゃ」

「いや、でもこれ赤いし……」

「いいじゃない赤くたって。せっかくフスちゃんが準備してくれたんだから食べないと。『自分を救うために人を救う』んでしょ?」

 セフが口をへの字に曲げた。戒律を出されるとセフはもうどうしようもないらしい。二人のやり取りを眺めながら、ヒスイは乳白色のスープを飲んでみた。冷たい口当たりは牛乳そのままだったが、舌が触れてみると塩辛く、しかし飲みやすかった。

「どう、ヒスイのお姉ちゃん、口に合う?」

「うん……美味しいけど、何だか醤ジャンを食べているみたい」

「ジャン?」

 フスが不思議そうに訊き返した。

「塩辛い調味料よ。魚と一緒に煮たり、溶かしてスープにしたり……」

「ヒスイ、醤って……」

 ヒスイが全てを言い終わらないうちに、エバが魚をほぐすフォークを一旦止めて訊き返してきた。

「食べ物の記憶はあるんだ……どう、ヒスイ。何か思い出せる?」

 エバに問われて初めて、ヒスイもないはずの記憶をもう一度意識し始めた。眉をひそめて考えたヒスイだったが、やがて首を横に振った。「ごめん、分からない。スプーンの持ち方や、文字の読み方を忘れてないのと、たぶん同じ感じだったのかもしれない」

 その答えを聞いて、エバも肩を落とした。二人の会話を交互に聞いていたフスも、心配そうにヒスイの顔を見つめる。

「ヒスイお姉ちゃん、記憶がないの?」

「そう。戻らないんだ」

 セフが横から口を動かしながら、会話に割って入る。

「記憶を失った原因も、記憶を戻すきっかけも解らないんだよね。まぁ、私達の旅はヒスイの記憶を戻すための巡礼の旅みたいなものかな?」

「上手いわね、セフ……って、あなたちゃんと食べられてるじゃない」

 スープの中にある豆だけを掬って器用に食べているセフに、エバが突っ込んだ。

「うん。色はあれだけど香ばしくて美味しいよ」

 セフはこともなげに言い返した。

「ヒスイお姉ちゃん、大変なんだね」

 フスが背筋を伸ばし、赤い瞳を震わせて心配そうにヒスイを見上げる。

「ううん、そんなこともないよ?」

 ヒスイはつとめて明るく、フスの不安を打ち消そうとする。

「記憶が無いなら無いで、私なりにできることをやるしかないし」

「そっか……、そうだよね」

 フスは力なく答え、諦めたように曖昧な笑みを浮かべた。啜っているスープの塩辛さが更にきつくなったように、ヒスイには感じた。それほどセフのやるせない笑みがこそばゆかった。

「ねぇフス、一つだけ質問していい?」

 それでも、訊くならば今しかなかった。

「さっきサァキャに何かを訊く、って言ってたけど、どうするつもりだったの?」

「それは……」

 フスはあからさまに逡巡して、答えあぐねている。ヒスイに視線を合わせようとせず、両手を擦り合わせて動揺していた。ヒスイが重ねて問い質そうとしたとき、先ほどの義足の男――ツェルツァが足を引きずりながら食堂の中へ入ってきた。

「フス、もっと工夫しろ」

 まごついているフスに代わって、ツェルツァはまだ空けられていない“カンヅメ”を掴むと、その蓋を開けた。皿に盛られたのはスープではなく、茶色い焼き菓子だった。

「客人、スープや魚だけでは塩辛いだろう。豆の缶もあるから、開けて食えばよい。俺は下に行って水を取ってくる」

 不躾だったが、少なくとも誠意のようなものは感じ取れる言い方だった。自分自身でもその振る舞いに満足したのか、ツェルツァは得意げに鼻を鳴らして踵を返し、また姿を消してしまった。

 ヒスイは皿に盛られた焼き菓子を摘んで口に入れた。噛み応えのある食感に加えて、香ばしい臭いが鼻に抜けた。ヒスイが口にしたのを見て、エバもそれを頬張る。

「うん、美味しい。ビスケットよね? でも良く焼けてる」

「そう、だよ。“カンパン”、だけどね」

「……これは、何?」

 セフが“カンパン”の合間合間に散らばっている、小粒の塊を摘み上げて口に入れた。一呼吸間をおいて、セフの顔色がやにわに明るくなった。

「エバ、これ甘い!」

「ほんと? どれどれ……うわっ!」

 それを口に入れた途端、エバも目を輝かせる。

「すごい、砂糖よね、これ? なんていうお菓子なの?」

「“コンペイトー”、って言うんだよ。いいよね、甘くて」

 訥々と説明していたが、ヒスイの見るかぎり、フスは耳を澄ませていた。ツェルツァが本当に下へ降りたのかどうか確かめようとしているらしい。

(やっぱり、何かある)

 ヒスイがそう思った矢先、フスもヒスイの視線に気付いたようだ。フスの口が魚のように開閉する。小声で何かを言っていたが、ヒスイには聞き取れなかった。

「フス、もう一度言ってよ」

「ヒスイお姉ちゃんに話があるんだ」

 今までのやり取りの中で一番真剣なフスの様子に、ヒスイは気圧される。自分より一回りは年下なのに、その瞬間だけはフスのほうが年長のようだった。

「それ、あのツェルツァって男に関わること?」

 フスは息を呑んで激しく頷いた。こめかみを一筋、汗が伝っている。

「寝る前になったら話すよ。それまではなるべく、周りに注意していて」

 頷きかけたヒスイは一瞬、イェンの言葉とフスを天秤にかけた。下天人類の中では、フスは一番無邪気で、素直だろう。だけど信頼できるだろうか。

「躊躇ハズ銃撃スベシ」

 というイェンの言葉に、ヒスイは改めて身震いした。フスに銃口を向ける勇気は、今のヒスイには無い。

(陸橋からだって遠ざかっている)

 ヒスイは第二の不安が去来してくるのを覚えた。これは地上へ出て、地下道の道のりを逆算すればいい。だとしたらやはり、サァキャ達とどう渡り合えばよいのか。

 ヒスイは陸橋のことについて訊こうと、懐に仕舞っておいたイェンの地図をフスに見せようとする。そのとき、手に質の違う別の紙が接触した。取り出してみれと、それは倒壊したビルの屋上付近で、朽ち果てていた木乃伊が書き残していたものだった。

「ヒスイお姉ちゃん、それは?」

 フスに促されて、ヒスイはその血まみれのカードを手渡した。血で書かれたメッセージを読んだフスは、その顔色を見る見る青ざめさせる。

「姉ちゃん、これ――これ、どうしたの?」

「とあるビルで見つけたのよ。屋上で死んでた木乃伊が持ってたの。フス、大丈夫?」

「大丈夫、大丈夫」

 言いながらも、フスの小さな拳の中で、その書き残されたメッセージは握り潰されてゆく。

「あとで全部話すよ、全部、絶対に」

 フスは丸めたメッセージを服の袖に隠した。

 エバとセフは“コンペイトー”を巡って、二人だけのやり取りに夢中だ。

 もどかしい気持ちを噛み締めつつ、ヒスイは食堂の外に耳を済ませた。

 軽妙な音とぎこちない足取りを共にして、ツェルツァが戻ってくる。

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