第26話:地球からの転生者

 虬を撃破したときの感慨や余韻は、すっかり醒めてしまった。それもこれも、サァキャとヒスイ達との間に走った険悪な雰囲気のせいだった。

 一行は無言のまま、暗い平坦な地下道を突き進んでゆく。

 電灯を手に、サァキャは一行の先頭を歩く。そんなサァキャを警戒しながら、ヒスイが後に続く。右手で地下道の壁をなぞり、左手にはフスから借りた懐中電灯を掲げ、セフはサァキャの背中を映す。一番後ろにいるエバとフスは、どちらともなく手を繋いだまま歩いている。

「フス」

 歩みを止め、四人の方を振り向かないままサァキャが話をする。

「私は先に向かうから、客人をご案内しろ」

 ヒスイはフスのほうを見た。曖昧に頷いていたが、フスの目は警戒心に満ち、注意深く姉を観察していた。返事の無いことをいぶかしむようにサァキャは首を傾げたが、結局一行を一瞥することさえしなかった。

 しかし半歩踏み出してから、突然思い出したように再び、

「フス」

 と呼びかけた。抑揚のない、機械的な声だった。呼びかけられたフスの体が、一瞬だけ大きく震える。エバの服の襞を掴むと、フスは後ろ側へと隠れた。

「何、サァキャ?」

「さっきは殴って済まなかった」

 怯えた調子で応じた妹に対して、サァキャはぶっきらぼうに言った。恥じている様子も、照れている様子も無い、官報を告示する役人のように平板な口調だった。

 フスの反応を窺うこともせず、サァキャは暗闇の奥へと足早に姿を消してゆく。

「何なんだよ、アイツ」

 サァキャの足音が完全に潰えてから、セフが悪態をついた。

「ごめんなさい」

「いや、フスが謝ることじゃないけど」

 ばつ悪げにセフは答える。サァキャの傲慢で身勝手なやり口が、セフにはどうしても耐えられなかった。

「フスの姉さんはいつもああなの?」

「サァキャは“ウテー”で、あたし達の村で族長をやっているの。サァキャがイライラしているのはストレスのせいだ、って皆言っているけど」

「“ウテー”には何人くらい人が居るの?」

 “皆”という単語に反応して、エバが訊いた。

「確か五十人……かな?」

 浮かない表情で、エバとセフは互いに見つめあう。イェンから「会うな」と忠告されている下天人類に、これからたくさん出会うわけである。

 エバの口が言葉を発さないまま二、三度開いた。口の動きは「客人、客人」と言っている。客人ならば余計なことにかかずらう必要は無い――エバはそう自分に言い聞かせているのだろう。

 エバとセフのそんな様子に促され、ヒスイはフスに尋ねた。

「結構な数が居るのね」

「昔はもっと多かったらしいよ」

「そうよね、こんな大きな街を作れるんだから」

 ヒスイの言葉に、フスはかぶりを振った。

「この街があったのは百年も昔よ。あたし達はここの住人の子孫だけど、あんまし関係ないんだ」

「百年前って……」

 エバが口を挟んだ。

「あたし達の世界よりも昔じゃない」

「お姉ちゃん達の世界?」

「うん。この世界の上、外にある世界よ」

「ふーん。お姉ちゃん達の世界かぁ」

 エバの答えに、フスの目に強い光が灯ってきた。

「でも、どうしてこっちへ来たの?」

「うん、ちょっと行きたい所があってね」

 極力自分達の目的を漏らさないよう、ヒスイは慎重にフスに答えた。

「そこへ行くにはこっちの方が近道なのよ」

「じゃあ……あんまり長くここには居られないよね」

 言葉を押し出すようにして、フスが呟いた。ものさびしげなフスの表情に、ヒスイは言葉を詰まらせた。幼い少女の持つ強烈な感応力が、ヒスイの鋭敏な心を揺さぶったのだ。

 押し黙ってしまったヒスイに代わり、エバが口を開く。

「フスって、その、いろんなからくりの仕組みをどうやって学んだの?」

「ううん、学んでないよ? ただ……何だかはじめから知ってた、ってだけ」

「知ってた? どういうこと?」

「なんだろうな……」

 フスは言いあぐね、空いている右手の人差し指を頭の近くで回しながら、何か考えをひねり出す仕草をしてみせる。

「よく分からないんだけど、あたし、生まれつき別の人の記憶を持っているんだよね。でもその別の人ってのは完全に別の人じゃなくて……何だろう? 遠い昔、あたしがその人だったような……分かるかな? あぅー、分かんないよね?」

 言葉の意味が呑みこめず、眉間にしわを寄せるヒスイとエバを見て、フスももどかしげな表情をする。

「――それ、生まれ変わり、ってこと?」

 セフが推測した言葉に、フスの表情が明るくなった。

「そうそう、そんな感じ! その人“チキュウ”って世界の“トーキョー”って街に住んでたんだよ。もうまさしく、色んな機械がそこらじゅうにあってね、この街とそっくりだった。でも、向こうの方がもっと清潔だった」

「でも、どうしてそんなことが……」

「分かんない。――あ、でも殺されたからかなァ?」

 フス以外の三人は、一瞬水を打ったように沈黙した。言葉の真偽がどうであれ、客観的に自分の死を告白するフスの様子に、知らぬ間に心を傷つけてしまったのではないかと三人は不安になる。死という概念の超自然性のせいで、三人は各々の魂が痩せ、捩れてゆくのを看過してしまったような気がした。

「殺された、って?」

 意を決してヒスイが訊く。

「んーっとね、デンシャをホームで待っていたら、後ろから誰かに突き飛ばされたのよ。センロに落っこちたときにはもうデンシャが侵入していて、そのまま轢き殺されたわけ。あーあ、嫌だなァ。あたし、ミンチみたいになってたのかなァ」

 自分の死にざまを涼しげに語るフスに怖気を覚えたのか、苦い顔をしてエバは首を振っていた。フスの声や態度が少しも変わらないことが、この妙な話題に驚くべきすご味を与えた。引き裂かれて潰れてゆく生々しい描写をフスに重ね合わせそうになり、ヒスイもフスから視線を反らした。

「あ、そういえばあたし、デンシャが迫る直前に突き落とした人を見たんだ。……見たんだけど、何でだろう? 全然顔を覚えていないんだよなァ。嫌な記憶だから、勝手に忘れちゃったのかなァ。もしかしたら、その人って自分の親だったのかも。だから嫌な記憶で忘れちゃったり――」

「フス、そういう話は止めない? 嫌よあたし、フスの死んじゃった話を聞くの」

 突っかけ気味に、フスの話をエバが遮った。ランタンと懐中電灯の明かりの中、エバは青ざめて冷や汗を掻いていた。

(あの時と一緒だ)

 と、ヒスイは考える。エバは魔力をかなり消耗しているのだろう。落ち着ける場所に到達したら、エバを休ませなくてはならない。

「ねぇ、フス。さっきから気になってたんだけど、その“デンシャ”ってのは何?」

「あ、そっか。ヒスイのお姉ちゃんは分かんないよね? 今度連れてってあげるよ」

 話しが終わると、一行は前方から音が響いてくるのに気付いた。流れ落ちる水の音である。

 暗がりを照らしながら歩いてゆくと、前方には川が流れていた。かつて通路だった部分に、水が流れ込んでいるらしい。水はヒスイ達の右側上方からなだれ込んで、眼前にあるさび付いた鉄橋の下を通り、左側へと抜けてゆく。

 水が滝のようになだれ込んでくる地点に、二つ金属製の筒が据えられている。

 背嚢にぶら下げていたランタンを手に取ると、ヒスイはそちらへ向かって掲げてみる。筒には独特の切れ込みが均等に刻まれている。

「あれはタービンだよ」

 ヒスイの疑問に気付いたのか、フスが先回りをして答える。

「まぁ、水車みたいなものかな?」

「小麦粉でも挽いてるの?」

「まさか!」

 エバの質問に、フスは無邪気に笑ってみせた。

「電気を作っているのよ」

 セフの持っている電灯を、フスは指差した。フスに促され、セフは電灯を素早く点滅させる。

「そう、その電気。このタービンだけは壊れたら修理できない。何しろ百年前のご先祖が必死になってここに持ってきものだからね」

 続けて何かを言おうとしたフスは、橋の向こうから近づいてくる足音に気付き、身を硬くした。

 二人の人間が、ヒスイ達に近づいてくる。ヒスイもそちらを見た。

 懐中電灯の光の中、一人の少女と一人の男が姿を見せる。

 なぜ少女が先頭に立っているのか、と訝る必要は無い。少女はサァキャ――“ウテー”の長だからだ。いでたちは先ほどと変わらなかったが、顔を隠している覆面の柄が変わっていた。

 柄は人の顔の模様をしていた。覆面の人相は峻厳な顔つきだったが、お面に特有の引きつった間抜けさも醸し出していた。

 もう一人も、これはひときわ目を引く人物だった。包帯を全身に巻きつけ、顔を覆面で覆っている点はサァキャと変わらない。痩せて筋張ってはいるものの、男はかなり逞しい体つきをしていた。ただ背骨を丸くし、肩をすぼめているせいで、男はヒスイ達に卑屈そうな印象を与えた。

「ウテーへようこそ、客人」

 サァキャが水の音に負けじと、高らかに言い放った。

「我々は君たちを歓迎する」

「サァキャ……どういうこと?!」

 サァキャたちの方面を見ながら、フスが尋ねる。声が明らかに怯えていた。

「いや、別に」

 素っ気なく答えるサァキャの挙措は、フスを煙たがっていることをありありと伝えていた。

「客人への挨拶は丁重にせねばならぬ。さぁ客人、お見苦しい思いをさせたくない。我が家へご案内いたす」

 身振りを交えながらヒスイ達に説明すると、サァキャは冷徹な態度そのままに引き返していった。男はヒスイ達に手招きしてから、サァキャのあとへ続く。ヒスイはこのとき、男の歩きざまからあることに気付いて驚いた。男の右脚があるべきはずのところに、白く、鈍い光沢を放つ義足が、つぎはぎだらけのズボンの先から覗いていたのだ。

 立ち止まるにもぎこちなく、後ろに口をひらく空虚な暗闇から逃げるように、四人は橋を渡った。

「アイツ……変な奴」

 珍妙なサァキャ一同に気圧されるように、セフはひとりごちた。終始不貞腐れ、突如として激昂していたさっきまでのサァキャと似ても似つかないほど、今のサァキャは毅然としている。

「フス、大丈夫? あなた顔色が悪いわよ?」

 エバの心配そうな声を受けて、ヒスイも再び後ろを振り向いた。フスの顔は血の気が引いて紙のようになり、より深刻な表情が刻まれていた。

「分からない」

 フスは心細げに呟いた。

「でも……たぶん大丈夫。あとでサァキャに訊いてみる」

 フスの言葉がヒスイには引っ掛かる。フスはいったい何が分からなくて、サァキャにいったい何を訊くと言うのだろう。

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