第24話:夢幻の仔

(それにしても)

 と、エバは心の中で一人呟いた。

(こんなに大きな貨車を、どうやって運ぶつもりなのかしら?)

 エバとセフの前方に鎮座している箱状の貨車は、複数台が縦に並んだ状態で、部屋の溝に納まっていた。一つの貨車には、両開きの扉が据えられている。

 大きくて広い窓の向こう側には、良質のソファが壁に沿って配置されている。

 地上(といっても下天だが)で見た貨車に比べても、規模は更に大きい。その上、御者が乗るであろう席も設けられていた。

「でもこの御者台、トンネルとは反対方向だよね?」

 セフが疑問を口にする。

 セフの言うとおり、御者のための席はトンネルとは逆方向に据えられていた。何にせよ、エバたちが住む世界にはこんな貨車などない。

 エバが貨車のドアに近づこうとしたそのとき、エバたちのいる左奥、トンネルの入り口へ通じる物陰から音がした。

「誰だ?!」

 音のした方向に、セフが叫んだ。木箱や、金属製の籠に囲まれたその一角は沈黙し、セフの声には反応しない。

 右手を頭上高くに構えると、エバは気合を手のひらに集中させる。丹田から肩を通して力が伝わるのを、エバは感じ取っていた。手のひらに熱が溜まり、弾けて、巨大な火の玉が合成される。

「そこにいるんでしょう、分かってるのよ?」

 資材の中央に向かい、エバも呼びかける。地下道の天井をかすめるほどにまで、今や火の玉が大きくなる。周囲の光景は巨大な光源の前に、陰影を更に濃くした。

「姿を見せなさいよ。今出てくれば勘弁してあげるから」

「わかった、分かった!」

 紛れも無い第三者の声が、エバとセフの耳にも届いた。予想外の返事に叫びだしそうになるのを、エバはやっとの思いで堪える。

「ほら、出るよ。だから……殺さないで」

 響いてきた声は、幼い少女のものだった。少なくとも、エバたちよりかはずっと年下の少女の声である。エバは相手の怯えた声の調子を聞きつけ、燃え上がらせていた火球の勢いを弱くした。エバとは対照的に、セフは半信半疑なのか、氷霜剣を逆手に握り直し半歩だけにじり寄る。

 声の主の両手が、木箱の上から静かに突き出された。続いて手首、二の腕が露になる。声の主はおでこと目だけを覗かせている。

 完全に火球を消し去ると、エバはセフと一緒に少女の側まで近寄った。怯えているのか、赤い瞳を潤ませて、小柄な少女は迫ってくるエバとセフを見つめていた。

「あのう、その……」

 少女はどぎまぎした様子で手を合わせ、迫ってきた二人を交互に見つめた。

「お姉ちゃん達は、どこから来たの?」

「どこからって――」

(エバ、まずいって)

 言いかけたエバを、セフが手で制した。セフはまだ氷霜剣を仕舞っていない。そんなセフを見て、まだ気を緩めるときではないとエバも悟った。

 エバはもう一歩、少女の前まで近寄った。

「訊きたいことがあるんだったら、まずは自分から自己紹介するべきじゃない?」

「あぅ、うん、そうだよね」

 少女があたふたと手を振っている。両腕には、手首から二の腕にかけて包帯が隙間無く巻かれていた。

(あのときの木乃伊と同じだ)

 塔の中で出くわした木乃伊を思い出し、エバは少女の姿を木乃伊と重ね合わせる。あの木乃伊は頭にまで包帯を巻きつけていたが、この少女は違う。お蔭で澄みきった赤い瞳や、ぼさぼさに伸びきった収まりの悪そうな黒髪や、まだあどけなさの残る丸みを帯びた顔の輪郭なども確認できる。

 身なりはこぎれいだったが、着ている服は木乃伊と同じだった。幾つものつぎはぎを充てたパッチワークのようになっている。

「ここで何をしていたんだ?」

 まごついて答えられずにいる少女に代わって、セフが質問をした。

「えっと、その、あたしはフスって言うんだけど。……お姉ちゃん達はサァキャに頼まれて来たの?」

「質問してるのはこっちだ」

「いいじゃない、セフ」

 苛立っているセフを宥めて、今度はエバが話を続ける。

「ええっと、あなたはフスっていうんだ? サァキャって誰?」

 その質問を聞いたフスの表情が、やにわに明るくなった。

「お姉ちゃん達、サァキャのこと知らないんだ……良かった」

「だから、サァキャって?」

 ややはしゃぎ気味だったフスは、エバの質問に言いよどんだ。

「サァキャってのは……あたしのお姉ちゃん」

「へぇ、フスってお姉ちゃんいるんだ?」

 フスの言葉に、エバは興味を覚えた。俯き加減のフスの顔を覗き込むようにして、エバが言った。

「うん、でも何かそんな感じがするかも」

「え、そんなこと分かるの?」

「うん、分かるよ? フスってすごい妹っぽい感じがするし。てかあたしにも姉ちゃんがいるし……」

「ちょっとエバ――」

 切羽詰った口調でセフが駆け寄ると、エバをフスから引き離した。セフはエバを引っ張り、フスから距離を取る。

「エバ、ダメだって。そんなに喋ったら……」

「大丈夫よ、セフ。何をそんなびくびくしてるのよ? それに――」

 エバはセフの手を振りほどいた。エバが一瞥してみると、フスは不安げな面持ちで二人のやり取りを見つめている。

「まぁいいわ、セフ。とりあえずちょっと待ってなさいよ。外に出られるチャンスかもしれないんだから、ね?」

 穏やかに説得するエバに、セフはしぶしぶ頷いた。至極平然を装いながら、エバはもう一度フスの下に駆け寄る。

「うん、ごめんね? その、サァキャって人はどうしてるの?」

「それは、その、実はしばらく会ってないんだ。ええっと……三日ぐらい?」

「三日も?!」

 エバは驚きの声を上げた。

「三日って……家出していたワケ? あなた、こんな訳の分かんないところに三日も居て大丈夫だったの?」

「うん、それは、何と言うか、大丈夫だったよ」

 エバから視線を逸らし、後ろめたげな表情でフスは弁明した。

「一人の方が気楽だし」

「――そんなに居なかったら」

 エバが口を開きかけたそのとき、黙って成り行きを見守っていたセフが口を挟んできた。

「そんなに居なかったら、フスのお姉さんもフスのこと心配するだろ?」

「ウウン、絶対ありえない!」

 フスが強い口調で断言した。

「だってサァキャはあたしなんかより面子の方が大事だもん。仕方なくあたしを探しに来るけど、人の目が無ければあたしのことなんか絶対放っておくんだから」

 赤い瞳を怒りに燃え上がらせ、フスは強い剣幕で二人に主張した。上手い答えが見つからず、エバもセフもお互いに顔を見合わせた。

 フスは先ほどから、自分の姉のことを「サァキャ」と呼び捨てにしていることにエバは気付いていた。フスの姉妹を自分達姉妹に重ね合わせていたエバは、フスの姉妹仲の険悪さにいたたまれない気持ちになった。

「でもあなた、」

 エバは話題を逸らすことにした。

「三日間も何をしていたの?」

「――これだよ!」

 と、フスは箱状の貨車を指差している。

「あうあうあー……」

 フスの言いたいことが分からず、エバは目を白黒とさせる。「この馬車がどうしたの?」

「これは馬車じゃないよ」

 むっとした表情で、フスがエバに言い返す。

「これは電車って言うの!」

「デン……デンシャ?」

 耳慣れない単語に、エバは眉をひそめた。

「そのデン、シャってのは何なの?」

「電車ってのは、電気の力を使って動かす乗り物のことだよ。お姉ちゃんは“馬車”って言っていたけど……お姉ちゃん達は外の世界からやって来たんだよね?」

 エバとセフは、再び顔を見合わせた。

 相手にここまで推測されているのならば、今更隠し通そうとしたって無駄だ。かえって相手に訝しまれてしまうだけだろう――エバもセフも、お互いに目で合図してこの結論に合意した。

「そう、私達は外から来た」

 氷霜剣を鞘に収めると、セフが二人の側まで近寄った。「外の世界には馬車があるんだ」

「だったら話は簡単だよ。この電車は馬の代わりに、電気の力で車を動かしているんだよ」

 あぁ、と、納得のいったエバが感嘆を漏らした。その様子に気を良くしたのか、フスは誇らしげに話を進める。

 「といっても、センロから電気を供給することが出来なかったから、非常用のヨビデンゲンをメインに移し変えて、チクデンキを通じてモーターヲマワスシクミニカイゾウシテミタンダ」

「へぇーそーなんだー」

 幼い頃にリリスから魔法を教授されたときも、エバは魔術の専門用語の波に晒されたことがある。以来、飛び交う専門用語を掻い潜り、無難に愛想笑いをするスキルをエバは身につけていた。そのスキルが久々に役に立ったわけである。

 ではセフはどうだったのか? ――エバは横にいるセフを盗み見た。言っていることの半分も分からなかったのだろう。セフは猛禽に追い詰められて今期の生命に絶望しているカエルのような、遠い目をしていた。

「あー、ゴメン。訳の分かんない話だよね?」

 たじたじになっているセフの様子を察知したのか、フスが申し訳無さそうに苦笑いする。「まぁ突き詰めて話すなら、このデンシャはちゃんと動く、ってことだよ」

「てことは、フス、あなたこれを三日かけて作ったってこと?」

「ええっと、より正確には“直した”って感じかな?」

 照れるフスを尻目に、エバは内心で舌を巻いていた。

 貨車の構造は、セフが持っているからくりなどとは比べ物にならない程複雑だろう。その複雑なからくりを、程度はどうであれフスは「直した」と豪語している。下天に住む人間は上天の人間よりも遥かに優れているのかもしれない。

「でもフス、あなたどうやって修理の知識を身につけたのよ?」

「それはね――」

 フスが話し出そうとした瞬間、部屋の天井が大きく揺れた。エバは天井を見上げる。石壁の継ぎ目から、細かな砂煙が降ってきた。続いてくぐもった叫び声が、階段を震わせて三人に押し寄せる。

「あぁもう、さっきの馬鹿鳥――」

 エバが表情を強張らせた。

「全く、まだうろついてるのね!」

「馬鹿鳥って、もしかしてキュウのこと?」

「キュウ? キュウって言うんだ、あの鳥」

「うん、そう。そうだよ」

 フスはこういった騒動に馴れているようだ。身を屈めながら隠れていた地点に戻ると、小さな背嚢を取り出してくる。

「あと余計なことかもしれないけど、キュウは鳥じゃなくてミミズだよ」

「ミミズだって――?!」

「ほらーっ!」

 仰天して打ちのめされているセフの一方で、エバは勝ち誇ってガッツポーズした。この点でもエバの直感は当たっていたのである。

「とにかくお姉ちゃん達、一旦ここから離れよう」

 フスは自身の背負う背嚢をまさぐって、小さな器具を取り出した。ずんぐりとした筒に、ラッパのような頭部を備えたからくりだ。フスがそのからくりに付いているでっぱりをスライドさせた。するとラッパ状になった頭部の中心に光が灯り、前方を明るく照らしだした。

「うわぁ、すごい」

 エバはそのからくりに感心し、自然と感嘆の声を漏らした。セフは、慌しい様子に冷静で居られないのだろう。落ち着きなく辺りを右往左往している。

「その、でも、出るって言ったって」

 と、セフは言葉を繋ぐ。

「フス、私達は人を探しているんだ」

「人探し? それ本当?」

「うん、ホントよ」

 フスの言葉にエバは頷いた。フスは悩ましげな表情をして考えていた、しかしめどがついたのか、微笑んで二人に頷き返す。

「分かった、じゃあこのチカテツからあんまり離れない方がいいよね?」

「そう。そういうこと」

 “チカテツ”が分からなかったが、この地下道のことを言っているのだろう。余計なことを考えずに、エバは頷いた。

「オッケー。で、あとお姉ちゃん達、あたしに名前を教えてくれない?」

「ええっと、あたしがエバよ。それと――」

「私はセフ。フス……だよね? 名前は覚えたよ」

「あたしも覚えたよ! ありがと、セフお姉ちゃん」

 「お姉ちゃん」と呼ばれたのが照れくさかったのだろう。セフはしどろもどろな返事をすると、赤くなった顔をひた隠して、反対側に振り向いてしまった。

「さぁ、じゃあお姉ちゃん達、あたしに着いて来て!」

 小柄なフスはその場で小さく飛び跳ねると、手にした光源で薄暗がりを指差した。その先には、エバたちが降りてきたのとは別の、上りの階段が続いている。

「すごい音だ、近いな」

 エバ達とフスが、虬の存在に感付いたその頃。ヒスイとサァキャも同じようにして、虬の悲鳴のような叫び声を耳にしていた。

「少し不味いな――でもここならばやれるか?」

「サァキャ、私にも分かるように話してくれない?」

 口の中で独り言を呟いているサァキャに、ヒスイは口を挟んだ。サァキャは懐中電灯を点けたまま、ヒスイの方へ向き直る。電灯の光がまぶしい。

「お前達が引っ張ってきたミミズ野郎が、この地下道にお出ましになった、ってことだ」

「お出ましになった、って――」

 ヒスイもまた、事の重大さに焦る。「どういうこと? というかあれ、鳥じゃないの?」

「虬は空を飛べるミミズだ」

 目を丸くしているヒスイに対して、サァキャはにべもなく言い放った。「太古の昔にこの世界に住んでいた、我らの愚かしい先祖が作り上げた怪物の末裔さ」

「でも、……ちょっと信じられない」

 言いながらヒスイは、虬と屋上で行った攻防を思い出していた。虬には目もあり、嘴もあり、鉤爪もあった。そして今も響き渡る絶叫。ミミズが叫び声など上げるだろうか?

「父上に教わるまでは、私も鳥だと思っていた」

 電灯を構えた手を下に降ろすと、サァキャが独白とも呼びかけともつかぬ口調で話を始める。「父上」という言葉にヒスイは反応した。当たり前のことではあったが、サァキャにも親が居るのだと考えるのは難しかった。

 サァキャの話は続く。

「だが昔、別の地下道に入った我らの仲間が、虬に襲われて全滅したことがあった。そのとき私は、アイツがミミズなのだと思い知ったよ。いったい誰が信じられる? 目のようなものは体表の模様で、嘴や鉤爪のようなものはアイツの太く発達した触角だと? 先入観とは恐ろしいものだ。フフフ、信じられるかヒスイ? アイツは鳥に擬態しているのだよ」

 ヒスイは押し黙ったままサァキャの話を聞いていた。ヒスイの繰り出した銃撃は、虬の鼻腔と目を捉えた。あのときの虬の目は確かに「目」のようだった。しかしサァキャの言う通りなのかもしれない。あのときのヒスイは恐怖に全身を貫かれていた。

「で、これからどうするつもりなのよ?」

 自嘲気味に笑うサァキャをよそに、ヒスイは拳銃を手にしていた。「その様子だと、このままここに居ると虬の餌になりかねないようだけど?」

「心配するな、所詮ミミズだ。振動と音には敏感だが、視力は無い。出くわしたら息を潜めてやり過ごすのだ」

「やり過ごして、逃げるつもり?」

 ヒスイはランタンを、背嚢についているフックにかけ直す。片手を空にして、拳銃だけに集中できるようにした。頭上からの叫び声や振動は収まったが、地下道全体が軋み、砂埃を落としている。

「そのつもりは無い」

 ヒスイの言葉にサァキャはかぶりを振った。背嚢から何かを取りだし、右腕に取り付けている。それはボウガンだった。

「虬を掻い潜りながら妹を探す……お前の仲間もな」

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