第22話:下天人類

「動くな」

 そう言われて動かないでいられるほど、ヒスイは野暮ではなかった。

 声を聞いた瞬間に、ヒスイの身体はばねのごとく反応する。前に転がるようにして、右脚を大きく振りかぶる。

「あっ――」

 何者かがうろたえ、後ずさる音が聞こえる。

 ヒスイは勢いに身をゆだね、ランタンを床に転がし、左脚を軸に後ろを振り向いた。すかさずホルダーから銃を抜き放つ。すぐさま標的を見やって――武器を持っていないことを確認すると――その眉間に銃の照準を合わせた。

「待て、待て!」

 相手が切羽詰った口調でヒスイを制した。

「降参だ、止めろ――動くなと言ったろう?!」

 ヒスイは銃を構えたまま、相手の身なりや様子を出来るだけ細かく観察する。

 年はヒスイと同じか、少し上ぐらいだろう。布の切れ端を継ぎ合わせた、モザイクのような服を身に纏っている。

 服から露出している腕と脚には、薄汚い包帯がしっかりと巻かれていた。右手には見慣れない形状をしたランタンを握っている。

 顔もまた、包帯と一体化した覆面に包まれていた。覆面の後ろから露になっている長い緑色の髪とその声から、ヒスイは相手が女であるということを理解した。

 極度に狼狽し、肩で息をしている相手の様子を見て、ヒスイは銃を降ろした。相手の少女もまた背嚢を背負ってはいたが、武器のようなものは身に付けていない。

「ごめんなさい」

「何だって?!」

 覆面に開いた切れ込みから見える、女の黒い瞳が丸くなった。

「くそっ、礼儀を弁えない。……謝るのか、自分から人の言うことを無視しておきながら!」

 相手の少女は自分の怒りが収まらないのだろう、鼻息を荒くしながらその場で地団駄を踏んでいた。ヒスイは銃を仕舞うと、少女の様子を警戒しながらもランタンを拾い上げる。そのときにヒスイは、自分がずっと望遠鏡を握り締めていたことに気付いた。、望遠鏡のレンズの部分は完全に割れてしまっている。

「まぁいい。……まぁいい」

 怒りを発散しきったのか、浅い息をつきながらも少女は幾分か落ち着いた様子で話を続ける。

「既に知っている、外の人間は無礼だって。ところでお前……お前はここで何をしている?」

 口を開きかけたヒスイは、イェンの手紙を思い出して躊躇する。目の前にいる少女は異常ないでたちをしているが、少なくとも話は通じそうだった。

 ただイェンは手紙にはっきりと「下天人類は危険」と書き残している。まだ他の人間に出くわしていない中、余計なことを話すのは危険だ。

「そうね、旅行を楽しんでいた、――なんてどうかしら?」

「旅行!」

 少女が嘲笑の籠もった声を上げる。

「フフフ……キュウに狙われておきながら旅行か。フフフ……まぁいい」

 少女は不自然な笑い声を上げ、肩を振るわせる。ヒスイは溜息をつきながらも、そんな少女の様子に目を細めた。

「キュウって言うの? あの馬鹿でかい怪物は?」

「そうだ、見知らぬ人。虬に喰われた生き物は死後の世界で楽園に辿り着けるという。――お前達は喰われなくて不幸だったのかもな」

(“お前達”?)

 相手の言い草が妙に鼻についたが、ヒスイは平静を装って質問を続ける。

「そうよ。……いつから見られているのか知らないけれど、私は友達を探さないといけないの。……ここの洞窟って繫がっているの?」

「まるで私が盗人であるかのような言い方だな」

 気分を損ねたのか、少女の目つきが険しくなる。

「私がお前達を見つけたのはたまたまだ。虬が飛んでいるのを見て、私はこの通路に逃げたのだ。そのあとすごい地揺れが起きて、お前達がここまで転がり込んできた。――即座に分かったぞ。お前達が虬を呼びつけたのだろう? 虬は音に敏感だ。どうせお前達が何かしでかしたのだろう」

 少女の言葉は図星だった。それでも、あれほどの遠くからでも音を精確に聞き分けられるなんて、ヒスイにはいまだに不思議だった。

「それとお前の質問だが――」

 ヒスイに構わず、少女は話を続ける。

「確かにこの地下通路は繫がっている。お前達のせいで一つは潰れてしまったが、まだまだ道はたくさんある。お前の仲間もきっと大丈夫だろう。……手伝ってやろうか?」

 ヒスイは眉をひそめた。

「――手伝う?」

「そうだ」

 ぎらついた瞳で、少女が答える。

「私はある目的でこの辺りを歩いていた。ついでにお前の仲間を探してやっても好い……と言っているのだ」

「あら、ありがとう」

 語気を強めながらヒスイが言い放つ。この少女が何を考えているのか、まだ正体が掴めていなかった。

「ところでお前……名前は何と言う?」

「ヒスイよ」

 相手の出方を注意深く観察しながら、ヒスイが答える。

「ヒスイ、ヒスイか」

 相手の少女はヒスイの名前を何度も繰り返してから、首を傾げた。

「どこかで耳にしたような名前だ――何故だろう? ……まぁ構わないか。私はサァキャと言う名前だ。この先にある“ウテー”の長をしている」

「“ウテー”?」

 耳慣れない言葉に、ヒスイは反応する。

「何、“ウテー”って?」

「いずれ分かる」

 なぜか苛立った調子でサァキャは呟くと、手にしているランタンを振り上げ、ヒスイについて来るように合図した。

「さぁ、ヒスイ。とりあえず向こう側へ回ってみようか――」


◇◇◇

(三、ニ、一、――それっ!)

 ヒスイとサァキャが出くわしていたその頃。

 揺れが収まった反対側の通路で、覚悟を決めてエバは目を開いた。当然、暗くて何も見えない。

 恐る恐る、エバは自分の身体を撫で回してみる。幸い、身体には何も突き刺さっておらず、何処かがもげてしまっているわけでもなかった。

 エバが安堵の溜息をついたのも束の間、あのおなじみの、けたたましい音が静寂を突き破った。思わず耳を塞ぎかけていたエバは、背後から聞こえてきた呻き声に背筋を震わせる。

「セフ、大丈夫?!」

 エバは魔法で左手の人差し指の先に火を点すと、セフの声のする方向へ振り向いた。起き上がったセフが転がっていたからくりを鷲掴みにして、上のデッパリを忌々しげに叩いているのが見えた。音が止まる。

 土ぼこりを被って咳をしていたが、セフも怪我はしていないみたいだった。

「セフ! あぁ、良かった――」

 エバは目の端に涙を滲ませながらも、慌ててセフの元まで駆け寄った。からくりを掴んだままセフはゆっくりと立ち上がり、頭を横に振る。細かな土ぼこりが、セフの黒髪の間から零れ落ちた。

「うぅ、エバも大丈夫?」

「うん、あたしは平気よ。でも……」

 エバは通路を塞いでいる瓦礫と鉄骨を見て途方に暮れる。

「これじゃあ向こう側まで辿り着けないわね……」

「というか、ヒスイは大丈夫かな?」

 セフは土ぼこりが目に入ってしまったらしく、しきりに瞬きをしては目をこすっていた。

「うん、たぶん大丈夫」

 エバははっきりと断言した。

「――何で?」

「だってあたし、ヒスイが死んだって感じしないんだもん」

 エバの語気が洞窟に反響する。しばし、妙な沈黙が二人の間を支配した。

「そう……」

 セフが溜息混じりに呟いた。その言い草に、エバはむっとなる。

「何よ、魔法使いの直感が信じられないっていうの?」

「いや、別にそんなことは言ってないよ」

「いーや。目が言っていたわ、『こいつ何言っているんだろう?』ってね」

 たじたじの様子のセフに、エバはまだ食って掛かる。

「言っておきますけれどね、これでもあたし結構直感は良く当たる方なのよ? 屋上であの噓みたいに大きなミミズに襲われた時だって――」

 セフは耳を疑った。

「ミミズだって――?!」

「ちょっと、いいからあたしの話を聞きなさいよっ。あのときだってね、あたしヤバイと思った瞬間、なぜか杖タクトを握り締めていたのよ。これも直感だったわ。お蔭で扉を開けるのにまごつくこともなく、一発で建物の中まで逃げられたんじゃない!」

「うん、分かった。分かったよ」

 喋ることに夢中になるうち、エバが指の先に点した灯りは大きく燃え上がっていた。セフは熱気に圧されつつ、エバの剣幕を手で制した。

「それじゃあ、あれだよ。ヒスイの代わりに私達が死なないようにしなくちゃ」

「そうね……うん、そうだわ」

 セフの言葉に納得すると、エバは後ろを振り向いた。ヒスイに促されてこちら側へ滑り込んだ際、奥の方に通路が続いているのがエバには見えていた。

「とりあえず……ここに留まっているわけにもいかないから、奥の通路へ行ってみましょうよ?」

 もう一度セフの方へ向き直って、エバが話を続ける。

「もしかしたらヒスイのいる方面まで辿り着けるかも知れないし、それに――」

「――しっ!」

 エバの話を途中で遮ると、セフが突然、声を潜めるようにエバに合図した。しばしの間のあと、エバ達の頭上から、怪鳥の耳障りな絶叫が再び聞こえてきた。地下に居るにも関わらず、怪鳥の声ははっきりと聞こえてくる。

「何、さっきのミミズ――?」

「いや、それだけじゃない」

 セフは帯に提げている長刀の柄に手をかけた。セフの真剣なまなざしは、エバの背後で沈黙している暗闇を見据えていた。

「さっき……向こう側で何かが動いた」

「まさか、そんな!」

 エバは慌てて振り向くと灯りをかざし、通路の奥を見つめた。ぼんやりと照らされた通路の奥には、何の気配も感じられなかった。

「でも、そんな気配全然しなかったわよ?」

「話に夢中になっていたからだと思う」

 セフは構えを解くと、通路の入り口まで近づいてエバの方へ向き直った。

「影が大きく揺れたから、結構大きな動物だと思う。……もしかしたら人間かもしれない」

「人間?! 人間って――」

 目を丸くしたエバは、しかし事の重大さを理解して今度は小声になる。イェンが躊躇い、ヒスイが隠していた下天にいる人間の存在――。彼らがそれほどまでに脅威であるならば、エバもセフもやすやすと行動するべきではないのだ。

(それにしても)

 と、エバはヒスイの行動に不満を持った。出来ることならば、もっと早くヒスイにはこの秘密を打ち明けてもらいたかった。いかにヒスイの機転がよく効くからといっても、三人だったら持ち出せる知恵も、立てられる作戦ももっとあっただろう。ヒスイは自分達に余計な苦労をかけまいとしているのだろうか?

「はっきり言わないとダメかな」

「はっきりって……何を?」

「ヒスイ達に、あたし達のことをよ」

 いつになく落ち着いた口調で、エバはセフの近くまで顔を寄せた。

「ほら、何かヒスイってあたし達に遠慮しているような感じがしない? 記憶が無い分、何もかもを自分で考えなきゃならない、って考えているのよ」

「うん……言われてみれば、そうかも」

 エバの一言一言を噛み締めるようにして、セフも頷いた。

「今のヒスイは何だか真面目で……こう……余裕がないっていうか」

「やっぱりセフもそう思うんだ――」

 セフと悩み事が共有できたエバは、それだけで少し心が軽くなった気がした。

「じゃあ、またそのことについては話し合わなきゃいけないわね」

「うん。まずはとにかく、ヒスイと合流しようよ? ヒスイが生きていても、私達が死んだんじゃあ意味がないし」

 セフの言葉に、エバは微かに笑って同意した。

「そうね、その通り……行きましょう。ヒスイが居なくても大丈夫だ、ってあたし達が証明しないと」

 指先に炎を灯したまま、エバが奥へと進む。セフは短刀を抜き放つと、その氷のように静謐とした刀身に勇気付けられ、エバのあとに続いた。

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