第18話:手紙

 前を塞ぐ障害物をどけるため、ヒスイは細い鉄骨を肩に乗せる。てこの原理を利用しながら、それを上へと押しやる。

 抱え込んだ鉄骨の先を、鉄製の貨車の屋根に固定する。鉄骨の上に重ねられていたフェンスが軋み、上に積まれた土嚢から土砂が漏れ、煙った。

「大丈夫、ヒスイ?」

 後ろでエバの心配そうな声がする。ヒスイはうん、とだけ返事をした。

 人一人がやっと通れそうな隙間が開くと、ヒスイを先頭にしてエバ、そしてセフが即席の通路を掻い潜った。頭上で、貨車の薄い屋根が圧力でへこむ音がする。屈んだときに嗅いだ地面の臭いは、今までに嗅いだどの土の臭いよりも錆臭かった。

「よいしょ、っと……うわぁ――」

 背筋を伸ばして周囲を確認したエバは、感嘆とも、落胆とも取れる深い溜息をついた。遅れてやってきたセフは明らかにうんざりした表情をしている。

 やっとの思いで通り抜けた先は絶壁である。建物三階分ほどの高さはあるだろうか。むき出しの地表の左半分を大樹の根が覆っていた。その太い根には、はがれた道路の舗装や標識が絡まっている。

「地面が下へずれたんだ」

 セフがそう結論を下して、地表の一部を指差した。金属製の太いパイプが地表から突き出て、だらしなく雨水を滴らせている。

 セフは今度、反対側を指差した。確かに、同じ太さのパイプが地面に陥没している。

 ヒスイは左右に目をやった。左手は傾いた建物が邪魔して進めそうに無い。右側は――やはり鉄製の貨車が邪魔をしていた。貨車の扉を開けば先へ進めそうだが、座席には硝子の破片があちこちに飛散しているだろう。

 イェン達に見送られてからまだ二時間、無駄な怪我はしたくなかった。

「あー……ヒスイ?」

 背嚢を下ろし、道具を準備する仕草を見せたヒスイに、エバはためらいがちに声を掛ける。

「ヒスイがスーパーウーマンだってことは知ってるし、あたしがインドア派だってことをヒスイもよく知っていると思うんだけど、まさか……ここを登るの?」

「よし――」

 エバの心配をよそに、ヒスイは背嚢の横に巻きつけてあった細いロープを取り出す。

「エバ、先に箒で上へ飛んで、木の幹にロープを巻きつけて欲しいの。そしたら、私とセフで木を伝いながら上まで登れるから」

「――あ、そっか」

 エバは自分が箒を使えることをすっかり失念していたらしい。――それは無理もないことだ、とヒスイは思った。金属製の太い箒はリリスに取り上げられ、代わりに渡されたのは鳥の羽のように薄くて軽い折り畳み箒だったのだから。その上、下天の入り口に上陸してからは、出発の直前まで散々イェンから、

「箒は安易に使うでないぞ」

 と言われまくっているのだ。エバでなくとも、箒の存在など自然と忘れてしまったことだろう。

「大丈夫かな、これ……あっ、いい。イケるイケる!」

 おっかなびっくり薄っぺらな箒に跨ったエバは、何かしらの手ごたえを感じたらしい。

「ようし。じゃあ、行ってくる!」

 と鼻息を荒くすると、ヒスイの持ったロープの一端を片手に、矢のように垂直に上へと飛び立っていった。薄暗い下天の中空に、エバの赤い衣がはためく。

「何か……靴べらみたい」

 隣で聞こえたセフの呟きに、ヒスイは思わず吹き出した。確かに、一度“靴べら”と言われてしまうと、もうエバの跨る乗り物は白い靴べらにしか見えなくなる。

 これが気分転換になったのか、それとも箒から伝わってくる魔力がエバに流れていったのか、いずれにしてもエバは大はしゃぎで木にロープを締め付け、下にいるヒスイたちに手を振って合図した。

「セフから先に行ってみて」

 ロープを引っ張って強度を確認したヒスイは、手綱となる部分をセフに渡した。

「うん、……分かった」

 セフは素直に頷くと、自分の腰をロープで縛り、命綱の代わりにして木の根をよじ登り始めた。高揚感も下火になったのか、エバは崖の上に降り立って、周囲を俯瞰している。そんなエバの目線につられて、ヒスイも改めて周囲を見渡してみた。

 上天が木材と繊維の世界ならば、下天は鉄骨と無機の世界である。薄暗い下天の奥へと進むにつれて、初めは瀝青アスファルトと硝子、そして生い茂る樹木がモザイクのように組み合わさった廃墟に胸をときめかせていた三人も、蔦の絡まった重い障害物が立ちはだかるようになってからは、それをいかにして掻い潜ってゆくか、という作業に必死になり、次第に口数が少なくなっていった。

「ヒスイ!」

 絶壁をよじ登ったセフが、ヒスイに向かって手を振っている。ヒスイはそれに応じると、ロープで身体を支えながら木の根を登ってゆく。大樹の根はその一本一本が、並みの木の幹と同じ太さを持っている。ヒスイたちの生まれる何十年も前から、この大樹はここに佇んでいるに違いなかった。

 崖を登り終えたヒスイは、大樹の幹に巻きつけられたロープをほどく。箒を折りたたみながら、エバは遠くを見るために目を細めていた。

「何だか、不思議ね……」

 エバが下天の奥地を指差して言った。上天が蓋のように覆い被さっているというのに、下天の奥に待っているのは暗闇ではなく、ほのかな明るさだった。

「入り口は洞窟みたいなのに、奥は真っ暗じゃないんだよね。――トンネルの中に街がある、みたいな?」

「そうよね――」

 ロープを巻き戻したヒスイは、右手首に巻きつけておいた方位磁針を目の前にかざした。ヒスイがこれから進もうと思っている道は、まっすぐ北を指している。

 手前には、つぶれた貨車を積み上げて作られた、強固なバリケードが形成されているのだが。

「あとはあの邪魔な貨車が減ってくれると良かったんだけど」

「そうよ、ほんとにそれ!」

 エバが語気を強めながら頷いた。

「あー、もうっ。本当に嫌になっちゃうわ。こんなにたくさん貨車があるんだったら、馬が三頭ぐらい居たっていいでしょう? 草だって道路の皹から生えてきてるんだし……」

「いや、生えてるものは何でも食べるわけじゃないよ、馬は」

 セフが苦笑する。

「それに……あんなに重たい鉄の貨車、馬を何頭飼っていたって簡単に操れるものじゃないと思うし」

「じゃあ……どうやってあの貨車を運んだって言うのよ?」

「たとえば……ほら、魔法とかでさ」

「魔法って、まさか!」

 セフの提案を、エバは真っ向から否定した。

「一応魔法使いの端くれとして言わせて頂きますけれどね、こんな重たい馬車を作っている暇があるならば、さっさと箒をこしらえて空を飛んでいるわよ」

 二人のやり取りを話半分で聞きつつ、ヒスイは懐から手紙を取り出した。ヒスイ達が下天を無事に通り抜けられるように、とイェンが書いて渡した手紙である。なくさないよう、服に縫い付けておくように……とイェンには言われたものの、結局ヒスイは上着の内ポケットに手紙を入れて管理することにした。二枚ある手紙のうち、一枚は下天を通行する際に注意すべき事柄が列挙されており、もう一枚には、安全な進路はどこにあるのか、ということが簡単なスケッチになって示されていた。

「【国従猖ヨリ勇者ノ娘予章緋睡ヘ。下天通行ニ際シテノ注意書】……」

 手紙の文言は、堅苦しい題から始まっている。「下天通行ニハ注意サレタシ。注意スベキ事柄ハ三、一ニ時刻、一ニ行程、一ニ生態ナリ。

 一、時刻。陽光ノ下天ヲ照ラス時間極僅ごくわずかナリ。故ニその間手早ク支度シ行動サレタシ。

 一、行程。道半バニ朽チ果テタル陸橋アリ。それしたがへバ通行易カルラン。利用ス可シ。

 一、生態――」

 手紙の前半は終始、やや抽象的な内容が書き連ねてあるだけだった。下天の細かな様子などについては、全く書かれていない。

 イェンはどうしてそういった内容を書かなかったのだろう。下天へ行くことがあまりにも急に決まってしまったから、上天と下天が全くの別世界である、ということを書き漏らしてしまったのだろうか。

(いや、違う)

 ヒスイは自分の考えを打ち消した。違う。そうではないのだ。一枚の手紙は前半と後半に分かれている。イェンが本当にヒスイに言いたかったのは、手紙の後半。……手紙を渡されてすぐ、ヒスイはイェンが最大限恐れていることに感づいた。それと比べてしまえば、路上に山と積まれたさび付いた貨車も、街のあちこちに飛散している鋭いガラスの破片も、傾きかけた摩天楼をギブスのように支える植物の蔓や大樹なども、何ということは無いのだ。

「ヒスイはどうなのよ?」

「……えっ?」

 一人思索に耽っていたヒスイは、エバの問いかけに現実へと引き戻された。

「もうっ、聞いてなかったの――」

 エバが肩を落として不貞腐れる。そんなエバの様子を見て、セフがエバの代わりに質問をまとめた。

「ほら、ここにある下天の町、この町の住人はどこへ行っちゃったんだろう、って……」

 ヒスイは息を呑んで反射的に両手を握り締めた。左手にある手紙にしわが寄る。エバが音に気がついて、ヒスイの手に握られている手紙に興味を示した。

「ヒスイ、それは何?」

「えっ? えっと――」

 動揺したそぶりをヒスイは努めて押し隠しながら返事をする。

「これは、その……イェンさんからもらった手紙よ」

 言葉を紡ぎながらも、ヒスイの頭は高速で回転していた。――二人に手紙を見せたならば、いったいどんな反応をするだろうか。

「エバも……読んでみる?」

「どれどれ、見せて見せて――」

 エバはヒスイの手から手紙を受け取ると、その一枚目を拡げてみせた。セフもエバの近くへ寄って、脇から手紙の中身を確認する。ヒスイはそんな二人の様子を確認すると、半歩下がって成り行きを見守った。

「“生態”って……」

 エバが眉をひそめた。「何これ? ――『手出し無用。太刀打ち困難なり。己が能力を過信すべからず。……原生生物は巨大にして獰猛なり。わずかな挙措にも細心の注意を払え』って、まさか、ウソでしょ?」

 思わず声を上げたエバの脇で、セフが人差し指を自分の口の前にかざして示した。

「しっ! 静かにしておかないと」

「うん……ゴメン、分かった――」

 エバも事態を飲み込めたらしく、しぶしぶと頷いた。「でもさ、ヒスイ。もうちょっと早くこの手紙を見せてくれたっていいんじゃない?」

「それは……ゴメン。でも――」

 釈明をしながらも、エバとセフの反応はヒスイの予想通りであった。――“手紙に書いてある通り”だった。

 手紙の後半部分――それは二人には見えていないのだ。

「でも、一応イェンさんにも確認したんだけど、原生生物は『手出しをしたら』獰猛になるらしいのよ。だからこっちから何かけしかけない限りは大丈夫なんだって。あと、夜行性の生物が多いから『なるべく陽のあるうちに移動しろ』ってことらしいわ」

「なるほどね……」

 エバは納得すると、今まで通ってきた進路を振り返って確認した。下天に上陸したときの入り口は、もう遥か遠くにかすんでしまっている。太陽こそ見えなかったが、陽光はまだ下天内を薄く照らしていた。

「じゃあ、まだ大丈夫、ってわけか」

 エバは右手で自分のツインテールの一房をいじりながら、もう一度手紙の中身をくまなく確認してみる。

「で……この“陸橋”っていうのはどこにあるのかしら」

「エバ、それを今探しているところよ」

 ヒスイは肩をすくめてそう答えた。

「出発した地点からまっすぐ北へ進めば、傾いた陸橋がでて来るんだ、って。だから今まで回り道しながらも北に沿って歩いていたんだけど、アレじゃあね……」

 ヒスイは貨車のバリケードをもう一度顎で示した。

「ねぇヒスイ」

 二人のやり取りに、セフが口を挟んだ。「あそこに一度登ってみない?」

 セフの視線の先には、摩天楼が一つ、そびえていた。

「ほら……屋上に登ってみれば、手紙に書いてある陸橋が分かるし、それに……」

「さては……“登ってみたい”んでしょ、セフ?」

 エバの意地悪なちょっかいに、セフははにかみながら頷いた。

「フフ、いいんじゃない? ヒスイ、せっかくなんだからちょっと登ってみましょうよ? 目当ての陸橋も見つけやすいだろうし、寝床の確保にもなるし――」

「寝床って――」

 ヒスイは目を細める。

「まさか……建物の中で寝るつもり?」

「いや、その方がいいと思う」

 セフがエバの意見に同意した。

「部屋の中にいたほうが安全だよ。路上で夜行性の“原生生物”にとって食われるよりかは」

「そそ、そういうこと――」

 エバが調子付いて、しきりに首を縦に振った。

「それにしてもねぇ……この手紙、イェンさんの字だよね? 何だか『らしくない』っていうか」

「あ……やっぱりエバもそう思う?」

 エバの感想に、セフの目が嬉しそうに光った。

「思う、思うよ。……何だか、イェンさんって、もっとぶっとくてごっつい字を書いてる感じがするし」

 言いながら、エバとセフは静かに笑い声を漏らした。そんな二人の様子を見てヒスイも溜息をつくと、エバから差し出された手紙を受け取った。ヒスイはもう一度折りたたまれた手紙を拡げると、ヒスイにしか見ることのできない、手紙の後半部分を確認してみた。

――以下ノ文言ハ、リリスノ手ニヨリ魔術ほどこサレタリ。故ニ予章緋睡ト国従猖ヲ於イテ他ノ者、見ルコトあたハザルナリ――

 手紙の後半には呪文がかけられていた。魔法使いの呪文ならば、同じく魔法使いのエバには分かってしまうのではないか――そうした心配は無用のようだった。

 注意書きから始まる手紙の後半部分は、赤いインクで書かれている。

――道中、ややモスレバ人間ト邂逅かいこうスルコトアリ。下天人類ナリ。かたちハ上天人ト差無キモ、性狷介けんかいニシテよこしまナリ。向コウニ襲撃ノ意図有ラバ、躊躇ためらハズ銃撃シ、打チ倒ス可ベシ。情ケ無用ナリ――

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