第15話:勇者の娘は生きている

「――いいかげん、お主に隠し立てしておくわけにもいくまい」

 セフを見送り、ヒスイの隣に座るやいなや、イェンが話を切り出した。

「私の母親のことを言っているの?」

「さようじゃ。じゃが、どこから話したらよいのか分からん。そのくらい、あれとヒスイのお母さんとは長く付き合っておったからのう」

「いいわ。じゃあ、イェンさんが母とであったところから話してみて」

 ヒスイに促され、イェンは黙って頷いた。

「となると、あれが生まれたときくらいの頃から始めなければならんのう。見ての通り、あれには角が生えているじゃろ? じゃから、生まれたときから村の者に気味悪がられてな。初めは瘤のように小さかった角が、年を取るにつれてどんどん伸びてきおる。おまけに、あれは他の輩と違い細身のわりに怪力でな。やれ鬼の子じゃ何じゃと言われてな。村を追われたのじゃ」

「しばらくは山の中に身を隠し、道すがらやって来る旅人を脅したり、熊とたたかったりしては飯にありついておった。……もしそのまま何事も無ければ、妾はずっと野盗として一生を終えていたじゃろ」

「しかし、そうも言っておられんようになった。角が大きくなるにつれて頭が締め付けられるように痛くなりおってな。いずれ角に頭が圧されて死ぬ、と考えるようになった。本当にそのくらい痛かったのじゃ」

 そこまでを話すと、イェンは「ク、ク、ク、」と小さな忍び笑いをもらした。

「全く不思議なものじゃな。村を追われたときは『死にたい』と考えたのに、いざ死にそうになるとやっぱり自分の命がおしい。――そんな窮した妾が思いついたのは、水神様に助けを請うことじゃった」

「――水神様?」

「困ったときの何とやらという奴じゃ。あれが縄張りとしていた土地はな、迷信深い土地でな、『山の麓から湧き出ている泉は、水神様の住処に繫がっている』と噂されていたのじゃ。もう難儀なものでな、人は苦しゅうなると何にでもすがらずにはおられん。水神様は生命を司っておられるという神様じゃからな、とにかく水神様のおられるという泉まで向かったのじゃ」

「で、実際に行ってみるとな、泉の底には小銭やら何やらが仰山沈んでおる。何でも、水神様は水を作るために金属をお召しになるそうな。そこで御利益に預かろうと立ち寄る者はみな金品を沈めたのじゃな」

「で、妾も何か金属を探したのじゃが、長年にわたる野盗暮らしで銭など持っておらん。唯一持っているのは金棒じゃったが、まぁ、あれじゃな、これは人を脅すための商売道具じゃったからな、投げ捨てることはできんかった。んで、仕方ないから旅人を脅して、金品をせしめようとしたのじゃ」

「うん……それで?」

「橋の手前で待っておると、はたして旅人がやってきおった……それが勇者様御一行の一人、サン様じゃった」

「サン……?」

「この国の王様だったお方じゃ。サン様はそれはそれは巨大な剣を背負っておられての、サン様が歩くたびに地鳴りがするくらいじゃった。見た瞬間に『奪ってやろう』と思ったのう」

「それで……奪えたの?」

「まさか! どれだけ金棒を振り回しても、サン様は妾の攻撃をみな防ぎおる……それも素手でな」

(そんなことが――)

 にわかには信じられなかった。とくにイェンはおどけて話しているので、よけい実感が湧かない。堂に降り立ち、金棒をぶん回していたイェンの姿が、ヒスイの脳裏には強烈に焼きついている。

 そのイェンが、サンの前では赤子も同然だったという。ヒスイの耳には、とてもではないが誇張した話のようにしか聞こえなかった。

「しばらくは膠着状態じゃっかの。あれはサン様に突っ込んでいっては、そのたびに投げ飛ばされておった。じゃがの、懲りずにやっておれば、チャンスというのは巡ってくるもんじゃ。サン様が誤ってぬかるみに踏み込んでしまい、身動きが取れなくなっておったのじゃ。『ちゃ、チャンスじゃ』と思ったもんじゃ。そこをあれが踏み込んで――」

「踏み込んで?」

「一瞬、何が起きたのか判らんかった。気がついたらぬかるみにひっくり返っておるのは妾の方で、猛烈な頭痛で角を触ろうとしたら、何と右の角がへし折れておる。――見ればの、サン様の後ろに新しい人影がおった。……それが勇者様じゃった。左手に煙を吐く銃を構えておったわ。今でもはっきりと思い出せる」

「じゃあ……私の母は、イェンさんを殺そうとしたってわけ?」

「いんや、」

 ヒスイの問いかけに対して、イェンは首を横に振った。

「もっとも、|妾《あれ」も最初はそう思ったわ。『ああもうお仕舞いじゃ。妾はここで死ぬのじゃ』と観念したのじゃ。そしたらな……お母さんが妾に近づいて、おもむろにこう言ったのじゃ、『安心しなさい。安心して私に着いて行きなさい。お前は百二十歳まで生きるのだから』とな」

「あれは……何というか、不思議な感じじゃった。今もそうじゃが、あれは人に命令されるのが嫌いじゃった。ましてや寿命なんて、誰にも詮索されたいなんて思っとらん。じゃがの、あのときだけはそんな気がしたのじゃ。理由は分からんが、なぜかお主のお母さんの話を、素直に聞く気になったのじゃ」

 イェンは満足げに鼻を鳴らして続けた。

「思えば、一目惚れというやつじゃったかもしれん。結局、あれは勇者様の子分になって、剣聖様や賢者様にもつき従ったのじゃ。――角は何ともなくなってな。死ぬとばかり思い込んでおったのに、あれからもう七十年も経ってしもうた。もしかすると本当に百二十歳まで生きるのやもしれん」

「それで終わり?」

「そうじゃ。ここまでが妾と勇者様御一行との出会いじゃ」


◇◇◇

「ねぇ、イェンさん。母はイェンさんたちを連れて、何をしようとしていたの?」

「『この世界を平定する』というのが、勇者様たちの決まり文句じゃったな。島の中央には確かに都があって、昔の王様や、貴族達がいたのじゃが、ほとんど何もしようとせんかった。七十年前ほど世の中が乱れきっておったこともあるまい。島はどこもかしこも無法地帯での、人は集落によりかたまって、震えながら生きておったもんじゃ」

「はじめ聞いたときは、『なんとまぁ大げさなことを』と思ったもんじゃが、今になって思えばあの一行がベストメンバーじゃったかの。勇者様のほかにも、さっき話したサン様や、もう一人カケイ様と言うのがおられた」

「サン様と……カケイ様?」

「さようじゃ。サン様は武術の達人じゃったが、それ以上に剣術に優れておった。何でも斬る、斬れないものだって斬ってやる、そんな感じじゃったかの。カケイ様は魔術の達人じゃった。もっとも、騒動が終わってから、ふらりとやってくるような感じの方じゃったがの」

「それでの、三人と妾とは、まさしく破竹の勢いで王都まで駆け上ったわけじゃ。んで、王都にたどり着いた段階で、ものすごいことが分かったわけじゃ」

「ものすごいこと?」

「そのとおりじゃ。たどり着いてみるとの、王都はもぬけの殻になっておった。いや、より正確に言えば、人が一人もいなくなっておる。みな食われてしまったんじゃ――リウによってな」

リウ……」

「そうじゃ。もともと王が王たるゆえんは、獰猛なリウどもを手なずける素質を持っておられたからじゃ。じゃが次第に自分の能力に過信して、竜を操って好き放題しようと画策するようになったらしい。それが運の尽きじゃな」

「んでもって、勇者様三人とあれとは奮戦して、竜を皆やっつけた、めでたしめでたし、というわけじゃ」


◇◇◇

「ちょっと待って、イェンさん」

 ヒスイは思わず、イェンの手首を掴んだ。

「まだ終わりじゃないでしょう? この銃のことも、なんで母が敵対しているのかも、その話だけじゃ分からないわ」

「――そんなことは分かっておる」

 イェンの言い草に、ヒスイはどきりとした。それまでとうってかわって、イェンの顔には暗い影がさしていたためだ。

「言われなくても分かっておる。このままずっと平和なままじゃったら、『めでたし、めでたし』で良かったのじゃ。じゃが、そういうわけにはいかんかった」

「しばらく旅を続けている内に、あれはあることに気づいたのじゃ。確かに勇者様もサン様も王都を目指しておる。じゃが、それには別の目的があったのじゃ」

「別の目的?」

「そうじゃ。いかに王といっても、所詮は普通の人間に過ぎん。となると、竜を操るためには何か別のパワーが必要なわけじゃ」

 イェンは一旦、口ごもる。

「勇者様とサン様とは、そのパワーを狙っておった。それで、二人は仲違いしたのじゃ。もっとも、はじめから仲が良かったのかどうか、今となってはあれも分からん」

「最終的に勝ったのは勇者様――ヒスイのお母さんじゃ。力が手に入るなり、勇者様はこの世界を飛び立っていってしまった。この魔法銃を残してな。闘いに敗れたサン様は、命こそ奪われなかったものの、勇者様に置き去りにされ、この世界の後片付けをする羽目になった。勇者様が王にならず、サン様が王として君臨なさったのは、そういういきさつじゃ」

「銃を残して――」

「そうじゃ」

 イェンはどこかおかしげだった。

「あれは不思議な武器じゃろ? はじめ見たときはびびったもんじゃ。物凄い音と早さとで、岩をも打ち砕くんじゃからの。しかも、何度でも撃てる」

 イェンの言う通りだった。これまでにもヒスイは銃を乱れ撃っていたが、弾の心配をしたことは一度もなかった。いくらでも撃てる感覚がはじめからあったし、何より弾を肉眼で捉えることができないのだ。見えないものを心配する気には、ヒスイはなれなかった。

「……これは、母が私に託したの?」

「おそらく、そういうことじゃろう。――お主は知らんじゃろうが、その銃はお主を選んでおるようなのじゃ。サン様も、妾も、その銃を直接さわることができんからのう」

「そうなの?」

「そうじゃ。他の奴がさわろうとすると、その銃から稲妻がほとばしる。まったく不思議じゃが、きっと勇者様の細工じゃろ」

「――イェンさん、母からもっと詳しく銃について訊かなかった? 銃把を握るとどうなる――、とか」

「いや? 特にそれ以上は聞いておらんがの」

「そう……。実はね――、」

 と、ヒスイは銃把を握りしめた際に、自らの脳内にイメージが喚起されることをイェンに説明した。

「私が自分の名前を思い出せたのも、銃のおかげだったのよ。多分……この銃は未来を暗示しているんだと思う」

「うーむ、それは初耳じゃ」

 イェンは腕を組み、考え込むそぶりを作る。

「勇者様があえて言わなかったのか、あるいはヒスイだけにそうなるのか……。どっちかじゃろうが、分からん」

「そうよね……」

 ため息をつくと、ヒスイは自分の手のひらを見つめた。

「イェンさん、私、少しだけ怖いのよね」

「怖い?」

「母から託されたこの銃が未来を暗示しているのだとしたら、私は母の思わくの上を、ただなぞっているだけのような気がするのよ。私が偶然だと思っていることが、もしかしたら母にとっては宿命なんじゃないか、って。……動乱の首謀者が、もし本当に母だとするならば、そこまでして成し遂げたいことって何なのだろう、って」

「うーむ……」

 イェンは呻いたきり、黙りこくってしまった。

「難しいことじゃ。きわめて難しいことじゃ。サン様も言っておられた、『イスイを理解したつもりになることは、イスイを理解していないことと同じだ』とな」

「イスイ……?」

「ヨショウ・イスイ。……お主のお母さんの名前じゃ」


◇◇◇

 テントに戻ると、円卓においてある銃をヒスイは手に取る。目を閉じたヒスイの脳裏に、銃を介して鮮明なイメージが流れ込んでくる。

 ――薄暗い空間の中に、ヒスイは立っている。空間の中は淀んだ空気で充満しており、さながら洞窟の中にいるかのようにひんやりとしていた。ヒスイは高台の上にいて、そこから眼下を眺めている。

 眼下には遺跡が広がっていた。打ち棄てられた塔、打ち棄てられた水路、打ち棄てられた橋――、そのどれもが、高い文明がかつて栄えていたことを示唆していた。

(この光景は――)

 なんだろう? ヒスイには分からなかった。この世界のどことも違うようで、それでいてすごく懐かしい、そんな感覚を味わった。死にわたった遺跡のなかで、ヒスイはなぜかまだ見ぬ母親の面影を、イスイの面影を探していた。

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