第14話:僧兵の娘

 おでこに何かがぶつかった衝撃で、ヒスイは目を覚ました。

(痛い……)

 何かもやもやした気持ちになっていたはずだったのだが、その原因も完全に忘れ去ってしまった。

 心のなかで不平をこぼしつつ、ヒスイはぶつかってきたものを脇へどける。白くてほっそりとしたそれは、エバの腕だった。隣に寝ていたエバが寝返りを打つ際に、投げ出した腕がヒスイに当たったのだろう。

(服が……)

 エバを寝床に押し返しているとき、ヒスイは自分たちの服が寝巻きに替えられていることに気づいた。着ていたはずの服は、きれいにたたまれて円卓の上に並べられている。

(いつの間に……あれ?)

 反対側に目を向けたヒスイは、そこにもう一つ寝床が用意されているのを見て取った。ただし毛布は脇にどけられている。誰かが途中で目を覚まし、そのまま外へ抜け出たのだろう。

 セフに違いない――、ヒスイはそう考える。思えば堂での一件以来、セフとはまともに話をしていない。誰にも邪魔されず話をしたいのならば、チャンスは今しかなかった。

 いずれにしても、変なタイミングで起こされてしまったせいで、ヒスイは目が覚めてしまった。そっと布団を抜け出すと、ヒスイもテントから外へと飛び出してみる。


◇◇◇

 程なくして、ヒスイは木立の中にセフを見つけた。ひときわ大きな木の根元に腰を下ろし、セフは瞑想サマタをしているようだった。

 声をかけるのを憚ったヒスイは、傍らに佇んで夜風を感じていた。セフの脇にある小さな香炉からは、澄みきった香りが漂ってくる。香の煙は夜風を漂い、瑠璃の天蓋の頂点まで立ち上ってゆく。

「あ、ヒスイ……」

 静けさを楽しんでいたヒスイの耳に、おずおずとした声が届いてくる。瞑想を終えたセフが、不安げな様子でヒスイを見つめていた。

「――隣にいても良いかしら?」

「う、うん。もちろん」

 香をよけ、セフはヒスイが座れる場所を作った。座って足を組むと、ヒスイは自分の背中を樹に預ける。

 そしてセフに何かを言おうとした。――が、ふさわしい言葉が出てこない。傍らにいるセフは、ヒスイが話し始めるのを待ってくれているようだった。

 自分のふがいなさに、ヒスイの口からは押し殺した笑い声しか出なくなる。

「ハァ……。セフ、ゴメン。不自然よね? 自分でも分かってるんだけど」

「いや……そんなことないよ。その……居てくれてうれしい」

「本当?」

「うん、本当だよ? あとは……いや、やっぱなんでもない」

 何かを言いかけてから、セフは言葉を呑み込んだ。

「どうしたの? 言いたいことがあったら言ってよ。何でもしてあげるから」

「じゃあ、その……手をつないでほしいんだ」

「手を? 良いわよ――」

「ホント?! ありがと、ていうか……ゴメン」

 差し伸べられたセフの手を、ヒスイは握りしめてあげた。それでもセフはどことなくばつの悪い様子で、しかも落ち込んでいた。

 謝られる理由が分からず、ヒスイも逡巡する。

「『ゴメン』って……」

「いや、その、エバから聞いたんだ。『ヒスイは手をつながれるのが嫌いだ』って」

「エバが?」

 ヒスイも何となく、セフの性格が分かってくる。エバが陽気で、言いたいことは何でもすぐに言うのに対し、セフはおとなしく、言いたいことをぐっと辛抱するタイプなのだ。人懐っこくて、それでいて誰かを傷つけるのを極端に嫌う性質なのだろう。

「うん……。その……やっぱり記憶がなくなっても、ヒスイはそういうの嫌かなァ、なんて思ったんだ。あっ、えっと、記憶がないって話は、イェン老師ラォシから聞いたんだ。今はどこかに行っているみたいだけど」

「そう。――ねぇ、セフ。記憶を失う前の私って、もしかして嫌な奴だった?」

「まさか、とんでもない! わたしなんか、いっつも助けてもらってたと思う」

 ヒスイの手を握るセフの力が、少しだけ強くなった。

「その……イェン老師から聞いたんだ。ヒスイがサイファにすごいことを言ったって」

「あぁ……そうなるのかなぁ?」

「――ねぇ、どんなことを言ったの?」

 セフが気を失ってからの一部始終を、ヒスイはつとめて簡潔に話した。

「うわぁ……すごい……ヒスイ、ありがとう」

「――そんなに感謝されることしたかしら?」

「わたし……たぶんヒスイみたいには……言えなかったと思うんだ」

 言いながら、セフは膝を曲げ、脚を折りたたんだ。

「僧正様が怪物になっていくときも……他の人たちが襲われているときも……わたし、何もできなかった」

 うつむいたセフの瞳から、涙がこぼれてゆく。

「セフ……できなかったことを考えちゃダメ。僧正様もきっと、セフが生きていることを喜んでくれるわよ」

「でも……」

「それに――ほら、セフ、思い出して! 僧正様に言われたでしょう、『国従を探せ』って? それが今やれることでしょう?」

「うん……そうかもしれない。いや、きっとそう」

 服の袖で、セフは涙を拭った。

「ありがとう、ヒスイ。今度は……期待にこたえてみせる。ゼッタイに!」

「そうよ、その意気!」

「――でもさ、ヒスイ。どうしても気になることがあるんだよね?」

「気になること?」

「そう。老師は『国従を探せ』と言うけれど、国従は何人もいるんだよね」

 言われてみればその通りである。サイファも国従を名乗っていたが、イェンも自らを「国従だ」と言っていた。いったい僧正は、どの国従を探せと言ったのだろうか?

「実は……わたしの知っている国従って、もう一人いるんだ」

「もう一人?」

金瓶梅ジムペイバイ老師ラォシ。わたしの剣の師匠をやってくれている人なんだ」

金瓶梅ジムペイバイ……」

「そう。おっかない人だけど、すごく強いんだ。一緒にいてくれたら、頼りになると思うんだけど……」

 そこまで言うと、セフはため息をついた。

「あの人、すぐふらふらとどこかに行っちゃうんだよね。一度出かけるとなかなか帰ってこないし、この有様じゃ、もしかしたら今頃はもう……」

「――とにかく、その人を探すことにもなりそう、ってことよね?」

「うん……」

「――なんじゃ、二人とも、起きとったのか?」

 そこまで話しこんでいたとき、ヒスイたちの後方で声がした。イェンの声である。振り向いてみると、イェンがしかめっ面をしてヒスイとセフとを眺めていた。

「あ……ごめんなさい、老師ラォシ

 そんなイェンの様子を見て、セフは慌しく香炉を片付ける。

「すぐに戻ります。――ヒスイは、どうする?」

「私はまだいいわ。もう少ししてから」

 というのも、イェンが何か言いたげにしているのを(それも二人きりで話をしたがっているのを)、ヒスイは感じ取ったためである。

「うん、分かった」

 と、セフはそのままテントへともどってゆく。そんなセフの背中を見送りつつ、イェンはヒスイの隣に腰を降ろした。

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