【参考文献】

 文章の体裁上の問題より、今回の改訂では、註で引用元を指摘することはしませんでした。ただし、エッセイを読んだ上で、書いてある内容に更に踏み込んでみたいとお考えの方はいるものと思います。

 そこで、この【参考文献】の項目では、そのような読者の方の要求を、それとなく満たすであろう文献・ウェブ記事をいくつか紹介しています。「それとなく」と言ったのは、筆者自身が記憶で引用したにも関わらず、典拠がどこに存在しているかを探しきれなかった箇所が存在するためです。そのような場合は、同種の事柄が書いてあるウェブ記事の中でも、特に発行元の性格がはっきりと分かっているような記事から典拠を示しました。

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「第一章:ブックマーク」、【参考文献】

1.グイド・カルダレリ/ミケーレ・カタンツァロ(高口太朗・増田直紀訳)(2014)『ネットワーク科学 ―つながりが解き明かす世界のかたち』、丸善出版

 「ネットワーク」の何たるかについて、非常に分かりやすく示してあるのが1.の書です。難しい数式はなく、具体例をあげてネットワーク的構造について概説してあります。記述統計、ならびに基本的な推測統計が所与の前提としているような「正規分布」ではない世界が存在しているのだ、ということが、この本を通じて理解できれば良いのではないかと思います。

2.キーワードマーケティング研究所.“Vol.41 インターネットは「べき法則」に従う”.キーワードマーケティングコラム.http://www.niche-marketing.jp/marketing_colum/colum/josyo_vol41.html、(2016年2月15日).

 パレートの法則、つまり「べき法則」について説明してあるウェブサイトの中では、ここのサイトが一番明示的です。全般的に示唆に富む内容が多いので、ウェブログ等の運営者は、このサイト全体を閲覧するとよいのではないかと思います。

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「第二章:評価」、【参考文献】

3.日本統計学会編(2012)『統計学基礎』、東京図書

 大学教養課程で習うレベルの統計学について網羅的に説明されています。ところが、一部の記述に誤りがあるだけでなく(第6刷時点。新刷では修正されているそうです)、それを抜きにしても初学者には極めて難しい内容となっているので、

4.竹内淳(2012)『高校数学で分かる 統計学:本格的に理解するために』、講談社ブルーバックス

 がおすすめです。3.を眺めた後に4.を見ると、分かりやすすぎて泣けてきます。

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「第三章:テンプレート」、【参考文献】

5.ジャン=ミシェル・アダン(末松壽/佐藤正年訳)(2004)『物語論:プロップからエーコまで』、白水社文庫クセジュ

 現代に至るまでに、「物語論」という学問がいかなる道のりを辿ってきたのかについて、分かりやすく書かれています。

 日本でも「小説の書き方」といった類の、創作論についての書籍は大量に出回っています。しかし、それらは作者の個人的な経験に基づいた創作論が大半であり、ややもすれば「物語論」にそぐわない創作論が解説されていることもしばしばです。これはある意味、「大作家の中には天性の直観で小説が書ける人がいる」ということを示しているのですが、そうでない人の場合、足りないところは別の方法で補わなくてはなりません。経験を積むのが一番ですが、せっかく理論が近道を示してくれているのならば、やはり理論を学ぶのも一つの手です。

 いずれにしても、物語論全般についての概説書は、日本ではそれほど知名度が高くありません。最近やっと

6.大塚英志(2013)『ストーリーメーカー:創作のための物語論』、星海社新書

 という、構造主義物語論に基づいた創作指南書が容易に手に入るようになりました。しかし、この本はウラジーミル・プロップについて触れた後、いきなりハリウッド映画の方法論にまで飛んでいってしまっているため、「ウラジーミル・プロップからハリウッド映画の脚本術に至るまでの間に、『物語論』がどのような進化を遂げたのか」というところについて、詳しいことを何も教えてくれません(そもそも作者自身が「フランス語ができない」ということを文中で告白しているため、この本に書かれている創作論も、「物語論」の本場であるフランスの最先端の知見を吸収しているわけではありません)。

 細かいことかもしれませんが、歴史的な経緯を踏まえているのといないのとでは、この本に対する理解も変わってきてしまうと私は思います。たとえば6.の本の中には、「物語の序盤で『主人公の日常に危機が迫っていることを予感させる出来事』を盛り込んでください」と指示してありますが、ハリウッドの創作論について何も知らない人の場合、「どうしてそのような出来事を盛り込む必要があるのか」を理解できないのではないかと思います。そのような疑問を取り除き、理解を深める上でも、ある程度は学説史を踏まえる必要があります。

 もっとも、これは著者の責任であるというよりも、アスキー・メディアワークスから星海社へと版元が変わった際に、そうしたことについて増補するよう指示しなかった編集の責任なのですが(「売れる」と思い、そのまま移植したのでしょうか。だとしたら、薄情な印象を受けます)、これではあたかも、ウラジーミル・プロップの知見が、直接ハリウッドの脚本術に影響を与えたかのような錯覚を与えてしまいます。

 実はプロップの研究題材がロシア魔法民話であるために、彼の考案した31機能をそのまま現代の小説創作に当てはめることはできません。6.は創作論の中では最良書の部類ですが、6.を読む際に生じてくる「なぜ?」という疑問を解決する手立てとして5.の本を添えておくことをオススメします。

 しかし5.の本は「物語論」の記述に熱中するあまり、「ロシア・フォルマリストの学術的成果が、いかにして構造主義と結びつき、『物語論』を形成したのか」について大分おろそかになっています。この間隙に何があったのかを理解するためには、

7.橋爪大三郎(1988)『はじめての構造主義』、講談社現代新書

 を読むと良いでしょう。まず6.の本を入手した上で、5.→7.の順に読んでいくのが良い(ただし、7.は創作に直接関係がないため、無理して読む必要はありません)ですが、【白水社文庫クセジュ】は【平凡社ライブラリー】に匹敵するレベルで、地方書店で入手することが不可能な書籍です。そこで、ウェブで注文することを強くオススメ致します。

8.廣野由美子(2005)『批評理論入門:「フランケンシュタイン」解剖講義』、中公新書

 古典小説の一つである『フランケンシュタイン』を題材に、小説技法と批評理論とを概説したのがこの本となっています。「小説の冒頭がいかに大切か」ということは、この本が教えてくれるでしょう。「批評理論」というと難しく聞こえますが、批評理論を逆手にとって物語を構築することも可能ですので、全般を通じて示唆に富む内容の良書だと思います。

 なお、批評理論(文学理論)について更に詳しく知りたい人は、

9.テリー・イーグルトン(大橋洋一訳)『文学とは何か:現代批評理論への招待』(上下巻)、岩波文庫

 を読むと良いでしょう(なお、路瀕存(ID:1734、http://mypage.syosetu.com/1734/)先生によると、この本よりもピーター・バリー(2014)『文学理論講義――新しいスタンダード』、ミネルヴァ書房、の方が良いそうです。詳細は活動報告「読書の秋そのいち(構造主義以降の文学理論、少し私信めいているかもしれない)」. 2014年 10月18日 (土) 22:28更新. http://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/1734/blogkey/1010332/、2016年2月15日閲覧、を参照ください)。ただし、この本はヨーロッパにおける現代思想の流れを理解していないと把握が困難です。

10.椹木野衣(2001)『増補 シミュレーショニズム:ハウス・ミュージックと盗用芸術』

 シミュレーショニズムについて全面的に依拠したのが本書です。シミュレーショニズムについての筆者の見解は「13.テンプレート小説における「個性」の問題について」で示したので、改めて繰り返すことはしません。

 ただ、「15.『要約の結果残るもの』と『要約されてしまうもの』との関係」において、「要約の結果残るもの(=構造、シミュレーションの結果残るもの)」と「要約されてしまうもの」との対立関係を提示した際には、ベルクソンの「生の哲学」と前期ウィトゲンシュタインの思想とが念頭にあったことだけは指摘しておきます。

 ベルクソンの思想のあらましを知るためには、

11. H・ベルクソン(原章二訳)(2012)『精神のエネルギー』、平凡社ライブラリー

 を読むのが良いでしょう。哲学者の書く本ですが、創作に携わる人がこの本を読めば、「創作において、創作者はどのような態度をとるべきか」ということについて、深く反省することができるものと思います(ちなみにこの本の訳者はベルクソン思想における「美学」の問題について研究者であるため、このあたりの事情はより鮮明に分かります)。

 ウィトゲンシュタインについては、

12.鬼界彰夫(2003)『ウィトゲンシュタインはこう考えた:哲学的思考の全軌跡 1912-1951』

 を読めば十分です。

 なおエッセイという性格上、どんな本でもとにかく原典に触れて論じることが大切なのですが、筆者の浅学菲才のためこの程度のことしかできませんでした。

――……

「第四章:小説のPR」、「第五章:ジャンル」【参考文献】

 第四章・第五章についての【参考文献】は、おおむね第一章から第三章までにあげた【参考文献】と被っているため、ここでは取り上げません。

 ちなみに、この第四章・第五章は、私が以前書いた活動報告、あるいはエッセイに基づいて書かれています。念のためURLを添えておくと、

・「2015年8月26日:twitterを利用した宣伝に意味はあるのか? について」、2015年 08月26日 (水) 20時35分、http://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/332693/blogkey/1224822/。

・「2015年10月11日:某大手レーベルによる新小説投稿サイトについて」、2015年 10月11日 (日) 15:13、http://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/332693/blogkey/1255944/。

・「2016年2月9日:シミュレーショニズムについて(1):その考え方の意義と限界」、2016年 02月09日 (火) 18:24、http://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/332693/blogkey/1342873/。

・「2016年2月10日:シミュレーショニズムについて(2):創作における時間の問題」、2016年 02月10日 (水) 21:46、http://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/332693/blogkey/1343776/。

・『【私論】今春実施予定の「ジャンル変更」が、誰の得にもならないことについての考察』(2016年 01月02日 16時16分)、http://ncode.syosetu.com/n1542db/。

 となっております。いずれの活動報告/エッセイも、思いつき、もしくは駆け足で書いたものが大半ですので、質は著しく低いものであるということだけはあらかじめことわっておきます。

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