8.1.本草学は何を目的とすべきか?

 このテキストでは、主に第三講から第七講まで、具体的な魔術の様式について説明をしました。その中で頻繁に「質」や「媒」など、魔力・魔術以外に魔法を規定するような物質について触れてきました。

 今回は、そうした物質を「本草」と一くくりにして考察してゆきたいと思います。今までがずっと魔法の学問体系の内訳についての議論ならば、これから行う考察はそうした魔術を利用する際に必要となる、資源についての議論です。

 まず「なぜ本草“学”なのか?」ということについて話をしなくてはなりません。今までに考察してきたのは、魔術それぞれの学問体系・「魔法」でした。しかしその「魔法」の多くは、何かしらの資源を必要としていました。そもそも「魔力」でさえも資源として見なすことが可能です(第二講を参照、魔力は術式に由来するのではなく、個々人に由来するという設定のため)が、ここでは具体的な資源、すなわち素材のみを扱ってみたいと思います。

 ありとあらゆる素材が、おそらくは魔術の発動に利用可能です。それこそ身近にある物質のほとんどが、「書く」、「書き付けられる」、「錬成の素材」のいずれかに利用できるはずです。そうなると、それら一つ一つを手当たり次第に魔法使いが把握することは半ば困難な事業になります。加えて、「今利用している素材がある魔術に対して最適である」という保障はありません。最小の素材で最大の魔術を発動することが、魔法使いにとっての課題となりえるはずです。そうである以上、必要最低限の素材についての知識(どの魔法にとってどの素材を用いることが、最も効果が高いのか、など)は、学問として詰め込まれなくてはなりません。ここに「本草学」の需要が生まれるものと考えられます。

 では、本草学では具体的に、どのようなことが教えられるべきでしょうか? 利用される素材の起源や学術的意義などについて、魔法使いが学ぶ必要はありません。なぜならそれは博物学の領域であるからで、魔法使いはあくまで素材についての実践的な知識を学ぶべきです。

 実践的な知識が重要になる以上、「本草学」では「素材の扱いについて学ぶこと」が第一義的に考えられるようになるでしょう。そして当然、現実に存在するありとあらゆる素材を片っ端から教授するのは非効率極まりないことです。おそらくは汎用性の高い素材、初歩的な魔術に利用できる素材から順番に、ある程度の体系化をめぐらせた知識が学ばれることになるでしょう。

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