第8話_平成2X年09月27日

 ナヨロ・マモルと私との縁は、文化祭のあとさっぱりと途絶えた。三年生になってもクラスが同じになることはなく、学年は受験モード一色になり、私はとてもナヨロ・マモルに関心を向けている暇がなくなっていた。

 ナヨロ・マモルは無事、都内のK大に現役合格したらしい。これは噂で知った。私なんかと違って、かれは勉強の勘所をしっかり押さえていたようだった。ちなみに同じ年に、私は無事、都内の予備校に現役進学した。これは仕方がない。ポケモンの新作が発売されたからだ。もちろん大学生になるか、ポケモンマスターになるのかの狭間で、私が真剣に葛藤したのだということだけは、ちゃんとことわっておきたい。

「どうせ浪人したんだし、いっそのこと私もいい大学を目指そう」

 という気持ちになった私は、結局一浪目も滑り止めを滑り倒し(さすがにこれはこたえた)、最終的に二浪でW大にもぐり込むことになった。

「成人式にも行けないなんて――」

 と私のおばあちゃんは憤慨していたが、入学前に一緒に京都へ旅行したときには、すっかり上機嫌だったことを覚えている。

 そして秋学期が開始してすぐのときに、その出来事は起こった。

 ガイダンス講義をサボり、通年で続いている演習授業の予習のために、私が家でロバート・パットナムの論文を読んでいるときのことだった。耳が寂しいのでワイドショーをつけていたのだが、ふと「ナヨロ・マモル」というフレーズが聞こえてきて、私はおどろいてテレビに目を向けた。

 それは、ナヨロ・マモルという学生が、殺人未遂で逮捕されたというニュースだった。

 K大に通うナヨロ・マモルという学生が、ボウリング場で激高し、後輩の男子学生をボールで殴打したという。

 このとき、私はふとカオリちゃんのことを思い出した。「マモルのことが好きなんでしょ?」と尋ねた私の質問に、赤面してうつむくカオリちゃんのことを思い出して、私はナヨロ・マモルにものすごい怒りがこみ上げてきた。

 ナヨロ・マモル、どうしてそんなことをしたんだ。おまえはカオリちゃんの優しさを殺したんだぞ。

「ナヨロ容疑者は――」

 アナウンサーの言葉が、いまだに私の耳にこびりついている。

「『明日が見たかったから』と供述しているとのことです」

 この言葉を聞いた瞬間、私の頭の中に、かつて行ったボウリング場に記憶がよみがえってきたのである。

 どうしてナヨロ・マモルは、ずっとボールをみがき続けていたのだろう? 勝手にピンが倒れてくれることを期待していたのだとするならば、ナヨロ・マモルはよほどの楽天家だということになる。

「ボールをみがくことそのものが、ナヨロ・マモルにとっての世界そのものだったのだ」

 などと言うことだってできるかもしれない。しかし、本当にそうか。ボールを抱え込むようには、私たちは世界を抱え込むことができない。今日という世界の背後には、かならず明日という世界が待っているからだ。抱え込まれ、未来に向かって変化しないような世界など、もはや世界であって世界ではない。

 するとナヨロ・マモルは、ボールを徹底的にみがくことによって、変化を――つまりは未来を――期待していたのだろうか。もしそうだとするならば、私は(あるいは私たちは)、ナヨロ・マモルが朽ち果てていく様子を、ただ指をくわえて見ていることしかできなくなる。

 しかし実際はどうだっただろうか。ナヨロ・マモルの供述は、私にとっては充実感に満ちた言葉のように思えた。しかしどうして? ボールをみがくのがそんなに楽しかったから? 投げる予定もないボールを、ただみがき続けるなんて。それともナヨロ・マモルは、ピンを倒さないために、ボールをみがいていたというのだろうか。だとすればいったい、ナヨロ・マモルは何を恐れていたのだろう? ナヨロ・マモルの精神が分裂状態だったことはまちがいない。片方ではピンを倒すつもりもなくボールをみがいており、もう片方ではピンを倒すために、ボールを抱え込んで懸命にみがいているからだ。そしてボールをみがいているときのナヨロ・マモルは、子どものように無邪気なのだ。まさしく”いま”を、楽しんでいる。未来がやって来てしまったら、ボールをみがく楽しみは失われてしまうだろう。しかしみがいている間は、その楽しみは失われたりしない。実際、それは決して終わらないことのための準備なのだから、みがき終わることなど永遠にないのだ。

 なんという矛盾!

 なんという愚かしさ!

 ――いや、そうではないのだ。ナヨロ・マモルはピンを倒そうとしている。そして同時に、ピンを倒さないようにもしている。決して倒されることのないピンのために、ナヨロ・マモルはボールをみがき続ける。それは、もうピンが倒れてしまっているからではないのか?

 マモルの未来は、マモルの行為そのものの内にある。マモルはピンが倒れることを知っている。だってマモルはいま、このようにしてボールをみがいているからだ。みがいているボールの表面に、ピンの倒れる未来が映り込んでいるからだ。それは未来であり、しかし同時に未来ではない。それがただの未来ならば、やがては完全に過ぎ去ってしまうからだ。しかしボールは、完全にはみがき終わっていない。まだまだみがかなくてはならない。そうすることでナヨロ・マモルは、無意識の中で意識的に振る舞い、不幸の中で幸福に立ち会い、一瞬の中で永遠を生き続けていたのだ。

 しかしそんなマモルの住む世界は、無限につらなるレーンの中で楽しめるような、孤独なボウリングではない。きびしくも美しい時間の豊かさが、ナヨロ・マモルをいつだって待っていたからだ。今日と明日、可能と不可能、価値と無価値、「理解」と「無理解」……そんな対立は、マモルにとってはじめから意味などなかったのだ。マモルの抱え込み、みがき続けていたボールが、マモルを抱え込んでいた未来と同一であるかぎりにおいて。

 いま、私の膝の上には、高校の卒業アルバムがある。しかし、高校の三年間で鮮明に残っている記憶はといえば、アルバムの写真に収められている記録ではなく、ほかならぬこのナヨロ・マモルとのエピソードなのだ。このエピソードだけは、今でも私の中では新鮮だし、これから先もずっと新鮮であり続けるのではないかと思う。そしてそうであるために、私は永遠にナヨロ・マモルのことを「分からない」と言い続けることだろう。だって、記録され、分かり切ってしまったことは、すぐに古びてしまい、アルバムの一ページ、膝の上の重みにしかならなくなるのだから。ナヨロ・マモルを分かってしまえば、私はかけがえのない「青春の一ページ」を、本当の意味で永遠に失ってしまうことになるのだから。

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