ガリガリ君をガリガリしながら、私は噴水の前に佇み、駅の方角をにらみつけていた。
「みんな、遅いね」
隣では、あのナヨロ・マモルが、サンダルの裏にくっついている泥を石畳にこすりつけていた。
9月ももう半ば、それに今日は曇りだというのに、この暑さはなんだろう。額を伝ってくる汗に、私は内心むかっ腹が立っていた。
頭にきているのは、それだけではない。
「遅くなりましたが、広報の打ち上げをやりましょう。土曜日に噴水の前で――」
と、二年五組にいる、サッカー部のキムラから連絡がやってきたのは、今週の半ばのことだ。噴水の前に、午後一時に集合しましょう。ボウリングをやってから、みんなで夕飯を食べて、カラオケに行きましょう――という流れだったはずだ。
私は腕時計をじっと見つめる。今は一時半だ。秒針はちゃんと動いている。それなのに、広報委員の姿は、私とナヨロ・マモル以外、影も形もない。
(暑いんだよ、ちくしょう)
と心の中で毒づきながらも、私は最悪の事態を想定しつつあった。要するに、私とナヨロ・マモル以外、誰も来ない、というシチュエーションである。両親が心中を遂げた話を聞かされて以来、私はナヨロ・マモルと会っていない。もしこのまま誰も来なかったら、とつぜんマモルは
「じゃ、誰も来ないから、僕の家まで来ない?」
とかいう突拍子もないことを言うかもしれない。マモルの家に案内される程度ならばまだいい。
「じゃ、誰も来ないから、僕の両親の墓に墓参りしようよ」
とか言い出すかもしれない。
穴があったら入りたい。むしろ墓の穴の中に眠っているマモルの両親のもとに飛び込みたい、いやそもそも、この打ち上げに喜んで参加してしまった段階から、私は墓穴を掘っていたのか――などという、とりとめもないことを考えているうちに、駅からこちらへ向かって歩いてくる人影が見えた。幹事のキムラと、トモ子である。
「いやー、ごめんごめん。電車が混んじゃって」
寝言なのか本気なのか分からない言い訳を、キムラは平気でねじ込んでくる。そして右手には、マクドで購入したとおぼしき飲み物のコップが収まっている。絶対ウソだ――と言いたかったが、キムラの笑顔があまりにも朗らかなせいで、私の怒りたい気持ちもしぼんでしまった。
トモ子はと言えば、そんなキムラのことを、神妙な表情で見つめていた。キムラ・ユウセイとコムロ・トモ子とは、幼稚園時代からの幼なじみである。
「それで、ほかの人たちは?」
「まだ来てないっぽいけど」
トモ子に向けた私の質問に、キムラがしゃしゃり出て答える。私は観念した。トモ子はかたくなに、わたしと口をきかないつもりでいるらしい。だから、お人好しのキムラと一緒に来たのである。
キムラはハンドタオルで、自分のおでこを拭いた。
「どうする? 先にボウリング場、行っちゃう?」
私も暑かったけれど、このメンツで行くのはイヤだった。
「もうちょっとだけ、待たない?」
「うん、僕は行きたいかな」
私の言葉にかぶせるようにして、ひとり噴水の間際に腰掛けていたナヨロ・マモルが答える。「うん」と「僕は行きたい」がどうマモルの中でつながっているのか、私にはわからない。
「じゃ、あたしも行きたい!」
トモ子が手を上げた。
「よし、行こう!」
キムラもノリノリである。
そんなわけで私たち四人は、一足先にボウリング場へ行くことになった。
残りの四人はどうしたのか? ――その答えは、ボウリング場についてから明らかになった。
私たちが行ってみると、もう別の四人が揃っていたのである。どうやら四人は、ボウリング場が集合場所だと勘違いしていたようである。
「あれー? おっかしいなぁ」
自分の携帯電話を見つめながら、キムラがわざとらしく頭を掻いている。
「ま、いっか。とりあえず揃ったし、四人ずつ二レーンでいいよね?」
ボウリング場に入ると、キムラはシートに必要事項を記入してゆく。土曜日の午後だというのに、客足は少ないようだった。
「どうやって分けるの?」
せわしなく瞬きしながら、トモ子がキムラに尋ねてくる。
「ジャンケンでいいんじゃない?」
私はキムラに向けて言った。がしかし、キムラからはすぐに返事がなかった。妙な間があったあと、私の意見を呑むかわりに、キムラは
「来た順でいいよ。そのほうが面倒くさくないし」
と言ってのけた。
いや、ジャンケンだって別に面倒くさいわけじゃないし――などと、私が答える間さえないまま、キムラはさっさとシートを提出してしまった。
「ほら、もう出しちゃったし」
あっけにとられている私を尻目に、キムラはわざとらしく肩をすくめてみせる。そんなキムラを見ているうちに、私の背中を悪寒が駆け巡った。今のチーム分けの采配は、もしかして、私とナヨロ・マモルを二人一緒にさせるための口実なのではないか。噴水で私とナヨロ・マモルが一緒になったのも、もしかしたらキムラのおせっかいだったのではないか――。
「じゃ、レーンに行こう!」
キムラのかけ声に合わせ、みんながレーンに分かれていく。荷物をさっさと置いてシューズを取りに行くマモルの背中を、私はただ目で追いかけるしかなかった。
レーンにおける最初の投球者は私だった。自分ではうまく投げたつもり――だったが、一投目も二投目も、十ポンドの球は右へとそれていった。結局、倒れたのは四本だけだった。
(これがあと三ゲームも続くのか――)
と、初めこそ絶望した私だったが、キムラとトモ子の投球を見て、そんな気持ちなどすぐに吹き飛んでしまった。自分のことを棚に上げて言うが、キムラもトモ子もとんでもなくへたくそだったのである。
「はっはー! ヘッタクソー!」
と、私の投球を見て、ペプシを飲みながら大爆笑しているキムラだったが、かれはほとんど力任せに投げるせいで、当たるときは当たるが、ダメなときはさっさとガーターレーンに引き寄せられてしまう。トモ子はレーンにボールを置くようにして投げるが、なにぶんボールが軽いせいで、まっすぐに投げたとしても、油の上をすべってゆき、端っこのピンにしか当たらない。
「イヤー、ダメだな! おっ、マモル! 任せた!」
すがすがしい笑顔で頭を掻くと、キムラはペプシを飲み干した。その手前を、マモルが通り抜ける。
十五ポンドのボールを、マモルは胸元のあたりに抱えていた。私も、キムラも、トモ子も、そして隣のレーンにいる広報部員たちも、なぜか皆マモルに注目していた。
マモルは深く息をはくと、そのまま右足から踏み込んで、ボールを投じた。添えた左手でボールをレーンに押し込み、支えていた右手でボールをスピンさせるような、そんな不思議な投げ方だった。投球フォームも何もあったものではない。反時計回りにスピンしたボールは、右のガーターレーンに近づいていく。しかし、あと少しというところでガーターレーンから逃れると、十五ポンドの球は真ん中のピンに炸裂した。ストライクだった。
「おーっ! やるじゃん!」
キムラが差し出してきた手に、マモルは軽くタッチする。マモルは何も言わないまま、サプライヤーの側に立ち、投げたボールが返ってくるのを待っていた。
ゲームはその後も、滞りなく進んでいった。私たち三人が八十から百程度のさえないスコアを出している間にも、ナヨロ・マモルはどんどんストライク、ターキーを連発していた。ほとんどマモルの独壇場であったといっていいだろう。
――そう、「独壇場」だった。マモルはボールを投げ、その行く末をろくに確かめることもしないまま、さっさと戻ってきたボールを受け取り、布で磨く。私たちのことなど、マモルはまるで意に介していないようだった。無駄口を叩かず、マモルは一生懸命ボールを磨く。私にはその光景が、あまりにも奇妙だった。投げているときよりも、磨いているときの方が、マモルは楽しそうだったからだ。
ただしそのときの私は「マモルがボウリングが好きなだけだ」と自分に言い聞かせ、それ以上のことを考えないようにしていた。三年経った今、その意味がようやく私にも分かりかけてきたのだが、この話は最後に取っておきたいと思う。