「――それで?」
うやうやしくひざまずいている一人の男性めがけて、エリジャは冷たく言い放った。
「陛下にはぜひとも、王宮の方へお戻りいただきたく存じます」
視線を床に落とし、いっさいエリジャの座る方向を見ないまま、男性は慇懃に応じてみせる。かれの名はヨルム――左大臣カシムの息子だ。
王宮へ侵入する間際に、エリジャは「ヨルムは死んだ」という報告を受けていた。ところが、実際に死んだのはヨルムとうり二つの影武者であり、肝心の本人はこっそりと王宮を抜け出し、国境付近の森で様子を窺っていたのだという。
苦虫をかみつぶしたような顔をしているのは、エリジャだけではない。エリジャの隣で脚を組んでいるロオジエも、半ばさげすむようにヨルムのことを見ている。ともあれ、ヨルムに関するロオジエの予感は当たったことになる。
「建物が崩れる心配は無用。すでに魔術士を手配し、建物が崩壊しないように結界を張ってあります。王者が王宮におわさずに、家臣の屋敷を仮の住まいとするなど、あってはならないこと」
「戻るつもりはありません、ヨルム」
ヨルムを強くたしなめるようにして、エリジャは言った。こうでもしないと、ヨルムはエリジャの意見を黙殺して、勝手にことを進めてしまう。左大臣のカシム同様に、あるいはそれ以上に、ヨルムは抜け目ない臣下だった。
「王都の復興は道半ばです。その最中に、宙に浮いた王宮へ私が戻り、市民たちと隔たってしまえば、どうなるでしょう? 市民は私のことをいぶかしく思うに違いありません」
「陛下は王都の危険をご存じでない」
「そうかもしれませんね! ですが、王都以外のすべての危険ならば、私はもう十分この双肩に背負ったつもりです。……ところで右大臣、話は以上ですか?」
「サウルの残党が、王都にはまだ大勢おります」
立ち去り際、ヨルムはエリジャにそう告げる。
「身の安全とは、それを奪われて初めて身に染みて理解できるものです。――それでは、失礼させていただきます」
「……おい、エリジャ。あいつ、お前のことを襲うつもりらしいぞ」
ヨルムがいなくなってから、隣にいた内大臣・ロオジエが言った。ロオジエは薄く笑っていたが、これはあきれかえったがためにそうしているのか、それともやけになってそうしているのかは、エリジャからは判別のしようもなかった。
「そうね……気をつけておくわ。でもまさか、私のことを本気で殺したりはしないでしょう」
「おいおい、自分に対する言い訳はよせって――」
不意に扉が開け放たれたかと思うと、一人の伝令が、ロオジエに伝言を渡し、去って行った。
「もしオレがアイツならば、お前なんかとっとと殺しちまって、お前の影武者を立てるな。あとはもう、アイツの思うままだ」
「ロオジエ……その伝言を見せて」
手を伸ばすと、エリジャはロオジエから伝言を受け取った。エリジャが気になったのは、伝言を受け取ってすぐに、ロオジエの表情が険しくなったことだった。
伝言を見たエリジャは、そこに出てきた単語にどきりとした。”北の国境”、”魔法使い”、”全滅”――。
「これって――?!」
「悪い噂なら、前々から聞いたことがあるな」
ロオジエが頭を掻いた。
「隣国のヨアシェ王太子とヨナタン摂政が権力闘争しているのは知っているだろ? そのせいで、あちこちから魔法使いたちがかき集められているらしいんだ。近いうちに内戦になるな。カシムのじいさんも一枚噛んでるらしいが――」
「それより、この……この特徴って……」
報告によれば、王国の国境の北、隣国の辺境域において、その警備を担っている連隊が一人の魔法使いによって全滅させられたという。
報告書には、その魔法使いの似顔絵が添付されていた。添付された似顔絵は、間違いなくアースラのものだった。
「アースラ……」
伝言を掴むエリジャの手に、自然と力がこもった。サウルを討ち果たして以降、アースラは忽然と姿を消してしまっていた。国王として王都の復興に尽力する傍らで、エリジャは必死になってアースラの消息を追い求めていたのである。
立ち上がったエリジャを見て、ロオジエが声を掛ける。
「おい、エリジャ、どうする気だ?」
「アースラのところに行くわ」
「『行く』って……この報告書は何日も前のものだぞ?」
「分かってるわ」
「それに、アースラの姿は隣国の情報だぞ。なぁ、いま首突っ込むとどうなるか、分かってんだよな――?」
「分かっている……でも!」
それでも、エリジャには行くだけの理由があった。国王として復権したエリジャだったが、大切な妹は永遠に帰らぬ人となってしまった。今こうしてエリジャがまごついている内にも、アースラはどこか遠くへ、エリジャでは想像も及ばないような、どこか遠くへ行ってしまう気がしたのだ。
「すぐに戻るわ。ロオジエ、馬の支度をして!」
「バカ言え、オレも行く――」
こうしてエリジャとロオジエは、アースラを探すために国境まで向かうことになった。結局はロオジエの予想通り、エリジャは隣国の王位継承戦争に巻き込まれ、そこでまた出会いと別れとを繰り返すのだが、それはまた別の話になる。