浴場からは、先ほどからずっと、エリジャの上機嫌な鼻歌が聞こえてくる。
一方のアースラはと言えば、エリジャが着ていたぼろきれを懐に抱えたまま、その場に立ち尽くしていた。
「ぁ……」
エリジャがついさっきまで身につけていたものを、いま、自分は抱きかかえている。これはつまり、エリジャの身体を抱きしめている、ということとほとんど同じこと――そんな考えが、アースラの心の中によぎる。
(何考えているんだろう、私――)
はじめは冷静にその考えを退けようとしたアースラだったが、いつしか次第次第に、その考えはアースラの心の中に浸透しはじめた。するとどういうわけか、それまでは見るも無惨だと思われたエリジャの着るぼろきれが、まったく新しい印象を帯びてアースラに迫ってくる。
(なんだろう、この気持ち――)
今や、アースラの頭の中は、エリジャのことでいっぱいだった。しかしエリジャのことを考えていたのは、今もむかしも変わらない。変わったのは、エリジャを思うときに現れる、奇妙な胸の高まりだった。
「アースラ――」
浴場にいるエリジャから、アースラへと声が飛んだ。
「はい――」
「もう上がろうと思うの。タオルと着替えとを持ってきてちょうだい――」
「はい。ただいま――」
まごつきながらも、アースラはぼろきれを置き、着替えとタオルとを取り出し、浴場まで近づいた。そのとき、扉を覆っていたすだれが引き上げられたかと思うと、一糸まとわぬ姿のエリジャが、アースラの正面にまでやってきた。
「あ……え、エリジャ様……」
「ありがとう、アースラ」
アースラの逡巡に気づかないのか、エリジャはタオルをたぐり寄せると、それで自分の身体を拭いはじめた。濡れぞぼった髪をかき分けると、エリジャは自分の白いうなじ、白い肩から水滴を拭き取ってゆく。
「不思議ね。なんだか生まれ変わったみたいな気がするわ。……どうしたの、アースラ? 顔が赤いわよ?」
「いえ……そんなことは」
「もう、アースラったら。前より子どもみたいになったわね」
着替えを受け取り、エリジャはアースラの脇を通り抜けた。
「し、失礼します」
アースラはばつが悪くなり、エリジャに一声掛けると、浴場から廊下へと出て、深く息をついた。「子どもみたいになった」というエリジャの言葉が、アースラの心に突き刺さっていた。
(どうしよう……どうしよう……!)
自身の胸の辺りを押さえ、アースラは必死に動悸を押さえつけようとする。今や、アースラ自身も、胸の苦しみの原因を理解した。――自分は、エリジャに恋をしているのだ。それも、エリジャの身体を奪うことを、激しく求めている。
(でも……どうして……同性なのに……)
その瞬間、アースラは自分の身体に魔力がみなぎってくるのを感じた。と言ってもこれは、アースラ自身の魔力ではない。三年前、アースラが死の淵に立っていたとき、命の代償としてヂョゼからもらった、強大な魔力だった。
さいきん、アースラはこの魔力を押さえつけるのに必死だった。この力を使えば、エリジャの望みをかなえることはたやすいだろう。それどころか、世界のすべてを滅ぼし、もう一度作り直すことだってできるかもしれない。
その悪魔のような力が、エリジャの肌を見て、歓喜のあまり共鳴しているのだ。アースラは恐ろしくなった。このままでは、エリジャの目標を邪魔してしまうばかりか、エリジャそのものを滅ぼしてしまいかねない。
「アースラ殿、」
名を呼ばれ、アースラはあわてて振り返った。そこには、一人の男性が立っている。身ぎれいな商人の姿に身をやつしてはいるが、かれもれっきとしたロオジエの取り巻きの一人、海賊の一味だ。
「そろそろロオジエ様がお見えです。エリジャ様にもそうお伝えください」
「し、承知しました……」
男性とやりとりをしている際も、アースラは何度も瞬きをし、自分の中に渦巻いている不埒な思いを追い払おうとした。しかし、目を閉じるたびに、アースラの瞼の裏では、たったいま間近に見た、エリジャの無防備な肢体が浮き上がってくるのだった。