第23話:祈り

(騒がしいな……)

 エリジャがはじめに知覚したのは、静寂の向こう側から聞こえてくる、太鼓のような音だった。それはちょうど、エリジャが背を向けている側、鉄格子のはるか向こう側から聞こえてくるようだった。

(何かあったのかな?)

 もちろん、何かあったからこそ音がしているのだろう。だがエリジャは不必要に身じろぎをせず、じっとしていることにした。「気づかないそぶりをする」ことは、エリジャがこの東の砦に幽閉されてから身につけた、最初のスキルだった。

 太鼓の音は、次第に近づいてくる。それが太鼓の音ではなく、砲撃の音だとエリジャが確信した頃にはもう、エリジャのいる独房からは土煙が吹きだしはじめ、鉄格子は小刻みに震え、硝煙の臭いが立ちこめてきた。

(まずいな)

 いい加減寝たふりを決め込んでもいられず、エリジャは身を起こした。交代でやってくる独房の見張り番も、今日ばかりはやってこない。とてもエリジャを見張っている場合ではないのか、あるいは今聞こえている砲撃に巻き込まれ、消し炭になってしまったか――。

(ここを出ないと――)

 エリジャは独房の壁際で身をかがめると、レンガの一つを手で引き抜いた。もともと緩んでいたレンガの奥には穴があり、そこにはお目当てのものがある――アースラが身につけていた髪飾りだ。

 アースラが死に、エリジャがこの東の砦に幽閉されてから、すでに三年が経っている。エリジャは王族の身分であったため、砦の中庭で剣の稽古をすることが特別に認められたが、所定の時間以外は、もっぱら独房の中で過ごし、外へ出ることは許されなかった。アースラからもらった衣服も当然のように奪われ、エリジャはそれまでに身につけたこともないような、赤い麻でできた衣を身にまとうだけだった。

 それでも、エリジャはこの髪飾りだけはだれにも渡さず、一人で隠し持っていた。独房に放り込まれた初日に、偶然緩んだレンガの奥にある穴を見つけたのは、エリジャにとって幸いだった。

(アースラ……)

 両手で髪飾りを握りしめ、目を閉じると、エリジャは亡くなってしまったかつての友人に思いを馳せた。

(今日、私はこの砦を抜け出そうと思う。砦を抜け出したら、オルタンスのところまで向かうわ。どれくらい時間がかかるかは分からない。もしかしたらたどり着けないかもしれない……いや、私、必ずたどり着くわ。あなたと約束したとおりに。だから見守ってて、アースラ)

 祈りを捧げ終えたエリジャは、目を開け、すぐに鉄格子の側まで駆け寄った。鉄格子を占めている錠前のところまで近づくと、エリジャは髪飾りの留め金を鍵穴に差し込む。ほどなくして、エリジャの手に確かな手ごたえが伝わった。錠前が外れて下に落ち、鉄格子が開いた。

「やった――」

 思わず声を弾ませると、エリジャはすぐに鉄格子の外へ身を躍らせる。

 そのときだった。ものすごい音が空間をふるわせたかと思うと、エリジャの身体は宙に投げ出され、床に叩きつけられた。たいまつは砂ぼこりにまみれて潰え、エリジャの背中にも礫れきが降りそそいだ。

 がれきを押しのけると、エリジャは音のした方をふり向いた。先ほどまで独房”だった”ところは、落下してきた大砲の鉄球で、ばらばらになってしまっていた。

 あと少し脱出が遅れていたら――。そう考え、エリジャは身震いする。そして、第二、第三の弾丸が、いつ頭上に降りそそいでくるかも分からない。

(とにかく、遠くまで逃げよう)

 折れた鉄格子の一本を武器代わりに握りしめると、エリジャは奥まで続く通路を見やった。

(できるかぎり遠くまで……)

 覚悟を決めると、エリジャは、通路を駆け出した。

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