第50話:救済の地(Ултра)

……人生に意義はない、人生そのものが悪である――こうした答えをえたことによって、予は絶望におちいり、みずから殺さんとまでしたのであったが、その時、むかし自分が信仰を持っていた子供の時分には、人生が自分にとって意義のあったこと、および、予の周囲の信仰を持っている人々……は信仰を失わず、人生の意義を獲得していることを思い出して、予は……周囲の賢人たちの解答の真実性に、疑念をいだくにいたったのである。

トルストイ(中村白葉訳)『要約福音書』、p.256

 何事も終わりが肝心である。

 だからこの物語が終わる前に、ちょっと想像力をはたらかせてみてほしい。

 いま、あなたは映画館にいるとしよう。もうそろそろ、いま見ている映画も結末へと至るところだ。

 スクリーンの手前側では、筏に乗った五人の少女が、観客に背を向けて立っている。

 それもそのはず、スクリーンの奥側には、五人が夢にまで見ていた救済の土地が控えているからだ。

 三つの川の分岐点上に位置するこの街は、その四方を高い城壁に囲まれている。この世界を襲っている大災厄から、街がかろうじて無事でいられるのも、この白く無機質な壁のおかげである。

 城壁に吊り下げられた横断幕には、こう書かれている、

「Добро пожаловать в Ултра(ウルトラへようこそ)」

 と。

 黒いオーバーオールを身にまとった、ひときわ背の高い少女が、魚籠を片手に提げたまま、横断幕に向かって大きく手を振った。

 その隣では、金髪を無造作に束ね、眼鏡をかけた少女が、銀髪で褐色の肌をもった少女に、何かを耳元でささやいていた。その様子は、さながら恋人同士と言った方がよいのかもしれない。

 その更に隣では、ひとりの少女が立ちすくんでいた。黒く、長い髪を一房に束ねている、色白でやせた少女である。少女はウルトラへ行きたいともっとも強く願い、旅の中でもっとも多くのものを喪い、しかし同時にもっとも多くのものを手に入れていた。

 そんな少女のとなりには、もう一人の少女がいた。水色のタオル地のパーカーを身にまとう、桃色の髪をした少女は、ハーフパンツの尻ポケットから、何かをとりだそうと一人でがんばっていた。

 ちょっとだけ、その少女の様子を見てみよう。

――……

「あれ……?」

 おしりのあたりに違和感を覚えたクニカは、ハーフパンツの尻ポケットをまさぐってみた。そして指に引っかかったものをつかみ取り、目の前にかざしてみせる。

「あ……」

 クニカは思わず声をあげた。リンと初めて出会った日の夜に書いたカードが、数か月ぶりに飛び出してきたからだ。

 あの日の夜、“黒い雨”に怯えながら、クニカは自分のことを、必死になってカードにメモしていた。そして書くべきことがあまりにも無かったせいで、クニカは途方に暮れてしまっていたのだ。

名 :加護……国 (……カゴハラ ク …)

性別:……

年齢:……(  X年10月22 …れ)

住所:〒……、

所…:  ……

 カードはしわくちゃになっており、表面の文字はかすれて、ほとんど読めなくなってしまっていた。

 しばらくカードとにらめっこをしていたクニカだったが、次第にどういうわけかおかしくなってきてしまい、とうとうクニカは、最後には吹きだしてしまった。

「自分はなぜ生きているのか?」

 ――あの日、あの夜、クニカを悩ませた質問である。カードを書いていた最中に、クニカはそのことを真剣に考えてしまった。もしかしたらずっと、それこそクニカの知らないうちに、この質問はクニカを束縛し続けていたのかもしれない。

 しかし、いまのクニカはちがう。

「人はなぜ生きているのか?」

 と尋ねられたら、いまのクニカはきっとこう答えることだろう。――その質問に、意味はないんだよ、と。そしてその質問の答えにも、意味はないんだよ、と。だってそうではないのか? どのように考えたところで、「結局生きることに意味はないのだ」という答えに行きつくのだとしたら、その質問に、はたしてどれだけの価値があるというのだろう?

 その代わりにクニカは、「今の自分はこうやって生きている。これで充分だ」と言うことだろう。生きることに意義を求めることはできない。生きるという行為そのものが、一つの大きな意義なのだから。ちょうど映画の登場人物たちが、「この映画の意味は何だろう?」などと、自らに質問することなく、ただ突き進むのと同じように。

 筏の後ろに目をやったクニカは、そこで空き缶を発見した。空き缶をたぐり寄せると、クニカはその中に、カードを丸めて入れる。それから大きく振りかぶると、クニカは缶を川へと投じた。

 放物線を描きながら、缶は川面へと落ち、水しぶきを立てた。その水しぶきからフェード・アウトしつつ、この奇妙で、そしてつたない物語は、静かに幕を閉じるのだった。

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