第43話:国璽尚書

 雲の切れ間から、太陽の光が水平に照らしている――外はそんな、幾何学な天気だった。

 希善樹里チウゼンジュリ、ひいてはこの王都周辺だけ特殊な気流ができ、そのせいで王都を天蓋のごとく雲が覆っている、と言ったほうが良いのかもしれない。

 そうでなければ、ヒスイが列車から確認した日差しの説明がつかなかった。

「寒い、寒い――」

 東から照りつける日差しを恋しげに見つめながら、セフがぼやいた。息を吐けば視界が白くなる。

「しっ――」

 上空を凝視し、静かにするようリリスが合図した。隠れ場所を探そうとし、自分が“透明マント”を羽織っていることをヒスイは思い出す。フードを目深く被りながら、ヒスイはリリスの視線を追う。

 鉛色の空を背景にして、一匹のヘンが翅をひらめかせて飛んでいる。異形は不釣合いなまでに優雅で、自由な有様だった。しかし、あれも元々は人間だったのだと考えると、やるせない気持ちにヒスイは駆られる。

「それ!」

 隣でリリスが、おもむろにタクトを取り出して振るった。風を切る音の後、飛んでいた翩が蚊トンボのごとく弾けとび、墜落した。

「ザッとこんなものよ?」

 無邪気そうに微笑むリリスを前に、ヒスイは苦笑いする。

◇◇◇

 周囲の建物は多くが二階建てで、木造の建物は見られない。路地がうねっていた泰日楼テイロスとは違い、どの家屋も塀で区切られている。道路と塀の合間には水路が張り巡らされ、理路整然とした印象をヒスイに与えた。

「はぁ、戻ってきた、ってカンジ」

 空が安全で、周囲にも人がいないことを確かめつつ、エバが溜息混じりに呟く。

「この辺りなの、エバのおなじみの場所って?」

「そうよ」

 ヒスイの問いにエバは答えるが、視線は妙に落ち着きがなかった。

「でも、何だかなァ。……去年はもっと賑やかだったのよ。この辺りも、露天や、屋台が立ち並んでいたし……そうそう、この辺り!」

 エバが街路の一角を指差した。

「この辺りに陣取っていた麺屋さんの蒸麺ジャオメン、すっごく美味しかったのよ。何か厭だな、こんなに静かになっちゃうなんて」

「でも、残っているだけマシだよ」

 思わず呟いたセフだった。しかし、その言葉が泰日楼テイロスの惨状を暗喩したような、あまりに重い沈黙を呼び込んだことに気付く。

「いや、その、私が言いたいのは――」

「まあ、まぁ、よいじゃろ。着いたぞ」

 取り繕うとするセフを宥め、イェンが皆に呼びかけた。

「ここは――?」

「希善樹里の督撫邸よ」

 ヒスイの質問に、リリスが答える。

「さぁ、みんなもうちょっとの辛抱よ。しっかりフードを被ってね。特にヒスイちゃんは、他の人に見つからないように。ここから先は結界が張ってあるから、化け物たちも容易には入ってこれないわ」

 広い庭を過ぎ、一向は督撫邸へ入る。手入れの行き届いた庭のあちこちに、荷台や、矛や楯などの武器が並べられ、天幕が張られていた。あちこちへせわしなく動き回っていた兵達も、イェンとリリスを見て一旦敬礼する。

「……すごいね」

 セフが小声で、ヒスイにそう告げた。普段のイェンのありさまだと想像がつかないが、やはり海炎ハイイェン国従こくしょう、この国のトップの一人なのだ。

「国従閣下、無事のご帰還何よりにございます」

 壮年の兵隊が一人、うやうやしく進み出てくる。他の兵隊が黒い帯を締めているのに対し、この兵隊は緑の帯を締めていた。おそらく幹部なのだろう。

「堅苦しい挨拶は抜きじゃ」

 右の角を撫でつつ、ヒスイたちをテントへ案内したときと同じ口調で、イェンがその男をねぎらった。これもきっと、イェンの口癖なのだ。

「で、国璽尚書こくじしょうしょはどこにいる?」

「はっ。現在地下の堂館にて、閣下をお待ちになられております」

「結構じゃ、よし」

 イェンはそう言い、入り口まで進んだ。リリス以下、隠れている三人も密かに後へ続いた。

「さぁ、もういいかしら?」

 入り口に入ってすぐ、リリスが指を鳴らす。その途端、ヒスイたちの右方に地下へ続く階段が出現した。

「うわっ……」

「なによセフ、そんなにビビッちゃって」

 驚いて仰け反るセフに、エバがすかさず茶々を入れる。階段には魔法が掛けられており、普通に過ごしていては判別できないようになっているらしい。

「フフフ……さぁ、この奥よ。みんな、いらっしゃい」

 リリスが手招きし、先にヒスイたちを進ませる。ヒスイは周囲を確認してから、ようやくフードを取って息をついた。

 奥まで続く階段を降りきると、そこには廊下があった。廊下の壁には窓が取り付けられており、そこから周囲の山並みが一望できた。どうやら、この地下道は切り立った崖をくり抜いて作られているもののようだ。

 窓辺に寄ったヒスイは、心なしか周辺が暖かくなっているような気がした。

「何か、暖かくないですか?」

 セフも同じことに気付いたらしい。

「それに何だか、ちょっとクサイし」

 言われるまで気付かなかったが、確かにほんのりと変な臭いが漂ってくる。卵か何かが腐っている、そんな感じの臭いだった。

「硫黄の臭いじゃ」

 顔をしかめているセフに、イェンが答える。

「|銀台《ジェンデ」山からは温泉が沸いておってな、そのきつい臭いがここまで漂っておる」

「温泉か、いいなァ」

 羨ましそうに、エバが呟いた。

「まぁ、その話は後にしましょう」

 窓の反対側にある扉の一つを、リリスがノックする。

「――どちら様ですか?」

 扉の置くから、くぐもった少女の声が聞こえてきた。今の声が国璽尚書の声であると、ヒスイは直感した。また同時に、その声の響きにどことない懐かしさをおぼえた。

(これは――何でだろう?)

 自分自身の感情にヒスイが戸惑っている間にも、事態は進行している。

「私です、閣下。イェン国従も一緒です」

「勇者様は無事ですか?」

 その言葉に、エバとセフの視線がヒスイに集中した。

「はい、只今こちらにおります」

「どうぞお入りください」

 その言葉と共に、扉がひとりでに動いた。リリスがノブを掴み、中へ入って一礼する。

「さぁ三人とも、入って」

 リリスに促されて、三人は入る。

 正方形の部屋には、中央に机が据えられている。机の上は一面、地図に占拠されていた。椅子は無造作に積み重ねられ、あちこちにあるランタンが光を投げかけている。

 ジスモンダは、そんな部屋の一番奥の席に陣取っていた。唐草模様に彩られた紺色のローブに、金の刺繍の入った赤い帯を締めている。袖をまくったままの状態で、近くにあった書類に何かを記入していた。

 そしてその顔は――

 顔は、笑う鬼のお面に覆われていた。

 セフが息を呑み、エバが悲鳴を上げかけて口を覆ったのがヒスイには分かった。ヒスイ自身も一瞬、全ての思考が停止した。覆面の下から翻る黒髪や、細い女性の肩などは、紛れもなくサァキャを連想させた。

「歓迎ようこそ、勇者の娘」

 不意に“サァキャ”は立ち上がると、三人に向かって礼をする。サァキャはもう死んだ、ここはウテーじゃない、今目の前にいるジスモンダは、ほら、黒い瞳を覗かせているではないか、だからサァキャではない――頭では分かっていても、目の前にいる国璽尚書の姿は、三人にとってあまりにも受け入れがたかった。

「その――」

 エバが震える声を堪えつつ、ジスモンダに尋ねる。

「その、覆面はどうしたんですか?」

 それはヒスイもセフも聞きたいことだった。ジスモンダは肩をすくめて、躊躇いがちに言った。

「王都が混乱する最中、敵に寝返った兵士の一人に、酸を浴びせられました。辛うじて目は無事でしたが、顔はとても人様にお見せできるありさまではございません」

 答えを訊いたエバは、あからさまな安堵の溜息をつく。ヒスイもそうしたい気分だったが、周囲の状況がそれを許さなかった。

 後から入ってきたイェンが、壁に背をもたれさせ、ヒスイの様子を腕組みしてじっと見つめていた。

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