第100話:母と娘と

 周囲の光景が歪み、世界はまた深い暗闇の中へ没してゆく。暗闇の中心部には二人の人影が残っていた。

 一人は構えていた銃を下ろすと、かつての標的を静かに見つめていた。青く澄んだ瞳に、茶色の髪を持つ少女・ヒスイ。

 ヒスイに見つめられながらも、相手は自らの手のひらをずっと凝視していた。黒い瞳に黒髪の少女・キスイ。

「終わった……」

 見つめていた右手のひらを握りしめると、キスイはうわごとのように呟いた。ヒスイの放った銃撃を受け、既にキスイは膨大な魔力から解き放たれていた。魔力のベールを奪われてしまえば、所詮はキスイもただの人間だった。

 自嘲気味に、あるいはいささか満足げに、キスイはそっとため息を洩らした。

「もう時間も無いし、力も無い。私は、誤ったようね。でも、不思議。何だろう、この気持ち……」

 取り留めの無い言葉を呟き続けると、キスイはそこで姉のほうを見つめ返した。

「ねぇ、ヒスイ。あなたは最後、どうやって私の攻撃を避けたの?」

「避けてなんかいないわ」

 そう口にすると、ヒスイは自分の背後に視線を促した。割れた小さなランタンの破片が、周辺に散らばっている。

「タミンからもらったランタンよ。私の体をエネルギーに変えて、あのランタンに閉じ込めていたの。あなたの攻撃を受け止めると同時に、私はあのランタンを開いたのよ」

 ヒスイは両手を、キスイの前にかざした。イヲに切り裂かれたはずの、左手の小指と薬指が、元通りになっている。

「前の体はあなたの攻撃を喰らって無くなったわ。だから今のこの体は、転日宮であなたに狙われたときの体よ」

「そうか。なるほどね。フフフ……」

 キスイの表情が、にわかに明るくなった。トリックが明らかになって、心の中のわだかまりがほぐれたのだろう。

「それに気づかなかったのは私の誤りね。――いや、もっといろいろな誤りが、その誤りの遥か以前からあったのよ。たぶん私が気づかなかったものも含めて、すべて」

 一旦キスイは、ここで言葉を切った。

「でもね、ヒスイ。転日宮であなたを殺したのは私じゃないわ」

「……どういうこと?」

「――それはね、『私があなたを撃った』っていうことよ」

 第三者の声が、暗闇の向こうから突如として響いてきた。足音が周囲に響き渡り、二人の側まで近づいてくる。

「ケメコ……?」

 意外な人物を目の当たりにして、ヒスイは思わずその名を呼んだ。ヒスイと共に地Qを旅行した案内人・ケメコの姿がそこにあった。

「私にできることは、全て果しました」

 事情が飲み込めないままでいるヒスイの代わりに、キスイが口を開く。

「フフフ……そのようね、キスイ。真新しさは無かったけど、あなたは覚悟をもってすべてをやり遂げようとしたわ。そのことだけは絶対に忘れないで、キスイ。あなたの出した答えが、あなたを導く先生なのだから」

「はい……素晴らしい機会をお与えくださり、ありがとうございました」

 キスイの言葉を聞き届けると、ケメコが突然指を鳴らした。指を鳴らすと同時に、キスイの体の輪郭から、光があふれ出てくる。

「キスイ……?」

「お別れよ、ヒスイ」

 近寄ったヒスイに、キスイも歩み寄る。キスイはヒスイの懐に飛び込むと、姉を慈しむように、深々と抱きあった。

「ありがとう、ヒスイ。短い間だったけど、本当にありがとう。この時を生きるために、私はたぶん今まで生きてきたのよ。ずっと、ずっと憧れていたのよ、ヒスイ」

「ありがとう、キスイ。……私のことを愛してくれて、ありがとう」

 白い光が、キスイの体全体を浸食し始めている。光に包まれて、キスイの脚が少しだけ、地面から離れていった。本当の別れが迫っていることを、ヒスイもキスイも感じ取っていた。

「ねぇ、ヒスイ。一つだけ約束してくれる? ――次に、次に生まれ変わったときも、私、あなたの妹でいたい。だから……」

「約束する」

 おぼろげになったキスイの右手を、ヒスイが両手でしっかりと握りしめた。

「必ず約束する、キスイ」

「ありがとう、ヒスイ。――お姉ちゃん……」

 それが、キスイの最後の言葉だった。光が一段と強くなったかと思うと、キスイの姿が点滅した。眩しさに耐えかねて、ヒスイが目をつぶった一瞬の内に、キスイは完全に世界から姿を消した。

 これが三度目の死。

 こうして予言は達成された。

――……

 ヒスイの側で、ケメコが銃を構える。ヒスイの銃と大きさは似ているが、より流線的で、より幾何学的な形状をしていた。

「お別れは済んだようね」

「ケメコ……」

 ケメコから一歩ずつ、ヒスイはあとへ下がった。世界に残されているのは、この二人だけだった。

「“イスイ”と呼んでもらいたいものね、ヒスイちゃん」

 構えた銃を一旦下ろすと、ケメコは

イスイはそう自分の名を口にした。

「……どうして?」

「フフフ……。自分の心に問いかけてみなさい、ヒスイちゃん。目に見えるものばかりが真実ではないでしょう? 気づくべきチャンスは、前からどこにでも転がっていたわ。後はあなたが考えなくちゃダメなのよ?」

 諭されている間にも、ヒスイはこれまでのすべての記憶を辿っていた。

 何かしらの理由をもって、イスイはヒスイを地Qに引きずり込んだのだろう。イヲにやられそうになったのは、イスイにとって一種のパフォーマンスだったのだ。だからイヲを倒したあと、イスイはイヲを“竜の島”へ送り返した。

 塔でヒスイたちが見せられた影像は、カケイの死を伝えるためのものではなかった。イスイの正体を、ヒスイに暗示するためのものだったのだ。

「さぁ、ヒスイちゃん。銃をお取りなさい」

 イスイは再び銃を構え、ヒスイにも銃を取るよう促した。

「イスイ……あなたはキスイと、何を競っていたの?」

 銃に手を伸ばしながら、ヒスイはイスイに問いかける。

「竜の島の処遇についてよ。私には私なりの考えがあって、キスイちゃんにはキスイちゃんなりの考えがあった。だからお互いに、自分の考えをぶつけてみたのよ。私の世界に、キスイちゃんが敵対することでね」

 “私の世界”――、イスイの言葉に、ヒスイの指がわななく。

「……あなたの世界で、みんな死んでいったわ。ロイも、イェンさんも、セフも、エバも、……キスイも」

「そうね……破壊は、誰にでも平等に訪れなければならないわ。分かるでしょう、ヒスイちゃん? 壮大な破壊の総括として、私と、ヒスイちゃんがここに立っている。すべての言葉を真実にするこの空間で、私とヒスイちゃんが最後の闘いをするのよ」

 左手で銃を取り、ヒスイもイスイへ向けた。

「ルールは簡単にしましょう?」

 キスイは両手を上にして、軽く微笑んで見せた。

「二人とも一緒に、三歩ずつ反対方向へ歩く。歩き終えたと同時に振り向いて撃つ。早く歩いて、早く撃てた方が勝者よ。買った方が、好きな世界を作ればいい――」

 ヒスイは黙って頷いた。

「じゃあ……行きましょう? ヒスイちゃん、そんな悲しい顔をしないで」

 ヒスイはイスイに背を向けた。それを見計らい、イスイもヒスイの後ろを向く。

「せーの……」

 イスイは一歩進む。イスイの耳に、ヒスイの足音が響いてきた。

 あと二歩、あと一歩……。

 キスイは即座に振り向くと、ヒスイに照準を合わせる。ヒスイの動作より、イスイの動作のほうが速い。

 引き金に指をかけたイスイに、異質な音が響いてきた。ヒスイの足元に、銃が転がっていた。ヒスイは両手を挙げたまま、イスイの姿を視界の中央に定めている。

 イスイの指が、引き金を引ききる。

「あなたは……私を殺す!」

 ヒスイの声が、暗闇を突き抜けた。

「――アデュウ!」

 遅れて、イスイの声も響き渡った。イスイはもう、銃撃を止める術がない。

銃声。

――……

 ヒスイの胸に衝撃が走る。

(痛い)

 ヒスイは即座にそう考えたが、身体つたう衝撃は“痛み”というよりも“痺れ”だった。全身を稲妻が走ったようになり、ヒスイの足腰から力が抜ける。銃撃の圧力に負けて、ヒスイは倒れこんだ。

(これが死か)

 不思議な感触だった。たった今床に打ち付けた頭のほうが、よっぽど痛い。全身から力が抜けていき、睡魔に襲われているかのようだった。そしてこの睡魔がヒスイを支配しつくすとき――それがヒスイが息絶えるときなのだ。

 ヒスイが目をつぶりかけた、そのとき。

 誰かがヒスイの上半身に腕を回し、ヒスイをそっと抱きかかえる。半眼になっているヒスイは、自らを覗き込む顔を見た。

 穏やかな微笑を浮かべて、カケイがヒスイを見つめていた。

(カケイさん?)

 ヒスイの疑問をよそにして、カケイが自らの顔をヒスイに近づける。薄く開いたヒスイの唇に、カケイがそっと自らの唇を重ねた。

(祝福されている)

 なぜだかヒスイは、そのように感じた。

「ウフフ……」

 遠くのほうから、イスイの微笑が聞こえてくる。

 ヒスイの意識は、そこで途切れる。

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