2019年08月24日:「犬猿短歌」に見る詩的言語の創造、及び「草の三段論法」について

2.「二物衝撃」は誰のためか

 人間とは基本的に、「分からない」という状態に耐えることができない生き物です。仮に「分からないこと」が目の前に迫ってきた場合には、人は何とかして、その「分からない」ことを理解しようと努めます。端的に言えば、「因果関係」を求めるようになるのです。

 佐々木さんは、この犬猿短歌を生成するうちに、「酔う」のに似た状態を味わうようになったとのことです。佐々木さんは、これを「しずる酔い」と呼んでおり、要するに、「どんなに飛躍のある短歌でも無意識に、強引にでも理解しようと頭をフル回転させます。その結果、精神にちょっぴり悪い影響を与えてしまう」ことが原因であるとのことです(前掲ウェブサイトから引用)。この「しずる酔い」もまた、因果関係を求め、「分からない」ことを何とか理解しようとする、人間の本性に由来することであると思います。

 ……話が散逸し始めたので、少し整理してみましょう。そもそも、犬猿短歌で「しずる酔い」が生じてしまうのは、犬猿短歌の中身が意味不明であり、それを何とか解釈しようとして、鑑賞者が因果関係の把握に努めようとするためです。当たり前のことですが、犬猿短歌が意味明瞭であれば、そもそも「しずる酔い」などは発生しないのです。そして、この犬猿短歌を意味不明なものにしている張本人こそが「二物衝撃」であり、佐々木さんはこの「二物衝撃」による創作短歌を批判していることになります。佐々木さんは、この犬猿短歌スクリプトを作成した結果として、「短歌を鑑賞する脳が期待していた以上に刺激されるため、詩的飛躍のある歌を詠む歌人は、もう彼女一人でお腹いっぱいという気持ちになることもあります。この手の短歌を詠むなら『星野しずる以上』をめざしてほしいし、そういう本当に斬新な短歌にもっと出会いたいと思っています」と締めくくっています(前掲ウェブサイトから引用)。